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第34話 寒中水泳(前)

「もうすぐ寒中水泳の訓練だな」


 昼休み、スピネルが何の気無しに言ったその一言を聞き、私はできるだけ感情を表に出さないように努力しつつオムレツをつついた。


「ブラシカ川まで足を運ぶんだったな。少々寒そうだが」

「少々じゃないだろ。12月だぞ?ったく面倒くせえ」

「だがそれは川の水位が下がり水流もゆるやかな時期だからで…リナーリア?」


 殿下に呼びかけられ、私は顔を上げる。


「どうかしたのか?」

「…どうもしません。ですがスピネルの意見に全面同意します。どうしてこんな面倒な訓練があるのでしょうか」


 努力はしたが、やはり感情が漏れてしまっていたようだ。私はぶすっとしつつオムレツを口に運ぶ。

 寒中水泳訓練。この学院の授業の中で、私が最も嫌いなものだ。



 この国の民を脅かす敵である魔獣は、水が苦手だ。ほとんどの魔獣が池や川、湖などには近づきたがらない。

 そのため、突然魔獣に襲われた時の対処として推奨されているのが「近くの水場に飛び込む」だ。

 水中に潜ってしまえばそれ以上魔獣に追われる事は少ない。

 もちろんずっと潜っている事はできないし、時には魔獣の使った魔術などが飛んできたりもするのだが、それでも緊急時の避難としては十分に使える。最低でも時間稼ぎ、運が良ければ逃げ切る事もできる。


 だから王立学院では水中で行動するための授業がある。

 予め座学で概要を学び、それから近くの川での実践訓練。内容は水泳、そして水中に避難した者を助けるための救助訓練の二種類だ。

 魔獣が出るのは季節を問わないからだとか、心身を鍛えるためだとか、様々な理由でよりによって真冬に行われるのが慣例となっている。


「魔術を使えば水壁や水撃で魔獣を追い払えますし、水中に避難した人を助けることも容易です。どうして自ら川に飛び込んで泳ぐ必要があるんですか?魔術師には不要な訓練ではありませんか?」

「まあ確かに…」


 殿下は相槌を打ってくれたが、スピネルは腹の立つニヤニヤ笑いを浮かべた。


「…さてはお前、泳げないんだな?」


「私はそんな訓練は不要だと言っているんです!しかも寒い冬の川ですよ!?無駄に体力を奪うだけではありませんか!魔術で対処するのが合理的かつ安全です!!」

「はーん。で、泳げないんだな?」

「わざわざ自分で泳ぐ必要がどこにあるんですか!」

「つまり泳げないと」

「泳げるかどうかの問題ではありません!!無駄なんです!!」

「ブフッ…」


 噴き出しやがった。こいつ絶対締める。間違いなく締める。


「…そ、それなら水泳訓練は見学してもいいんじゃないか?救助訓練にだけ魔術で参加すればいいだろう」


 殿下はそう言ってくれたが、私は眉をしかめて首を振る。


「それではまるで逃げているみたいじゃないですか。卑怯ですし嫌です」

「だが君はこの前風邪を引いたばかりだろう」

「だからこそです。私はもう少し鍛えなくてはいけません」

「お前難儀な性格してんな…散々無駄だの不要だの言っておいてそれか」


 スピネルが呆れた顔をするが、私は真剣だ。

 水魔術師ともあろう者が水から逃げてなるものか。ただちょっと、浮かんだり前に進むのが苦手なだけだ。

 魔術さえあれば水は私の手足のように動くのだから大丈夫のはずだ。



「そんな意固地になる事か?どうせお前他の成績は良いんだし、水泳訓練くらい休んでも問題ないだろ」

「嫌です!ちゃんと水着も作りましたし、参加はします」


 水泳をする、そのためだけに作られた服が水着だ。

 肩から肘、太ももまでを覆うもので、基本的に貴族用のオーダーメイドだ。水を弾きやすい特殊な繊維を使っているのもあり、シンプルな作りの割にかなり値が張る。

 刺繍を施したりして色や柄などに凝る者も多い。


 口に出したくはないが、この水着着用というのも私が寒中水泳訓練を嫌いな理由の一つだ。

 水着は概ね身体のラインに沿った作りになっている上、普段着ている制服に比べると手足や肩などの露出が多い。


 魔術師はどうしても騎士課程の同級生に比べると体格的に見劣りしてしまうので、前世の水泳訓練の時も私はこれを着るのが憂鬱だったのだが、そこを思いっきり馬鹿にしてきたのがあのオットレと取り巻き達だ。

 水泳訓練には上級生数名が監視業務に付いてくるのだが、その年はそれが何故かオットレだったのである。点数稼ぎか、あるいは女子の水着が見たかったんだろうが。


「おい見ろよ、あんなに生白くてヒョロヒョロじゃ、むしろ救助される側だと間違われるんじゃないか?」と言われた私は完全に頭にきた。

 筋肉がないのはともかく色が白いのは母譲りの生まれつきだ。それをあげつらうとは何事か。

 そこで私はつい「貴方が1人助けてる間に私は魔術で10人助けられますが?」と言い放ってしまい、オットレ達と大喧嘩になった。

 お互い手が出る寸前に周囲に止められたのだが、後で先生どころか殿下にまで叱られたのは痛恨の出来事だった。あまり思い出したくない。


 そんなあれやこれやで寒中水泳訓練には嫌な記憶しかないのだが、それでも参加しないわけにはいかない。

 だが私の決意を完全に台無しにしてくれるのは、やはりスピネルだった。


「お前の水着なんか見てもどうせガッカリするだけだろ。着ない方が良いぞ」

「…殿下。この下衆を川底に沈める許可を」

「う、うむ…そうだな」


 一切の表情を消して低い声で言った私に、殿下は曖昧にうなずいた。

 殿下を味方につけようとしたからか、スピネルがムッとした顔になる。


「待て、殿下も本当にこいつを止めろ。いくら魔術が使えるっつっても泳げない上に病み上がりだ。元々体力のある奴ならいいがこいつにはそんなもんないだろ。脂肪も筋肉も全然ないのに、冬の川になんか入ったら死ぬぞ」

「ヒョロヒョロで悪かったですね!!」


 気にしている部分を言われて私はつい頭に血を上らせてしまう。


「自覚あるならもうちょっと何とかしろ!前から気になってたが、毎回毎回卵と野菜ばっか食ってんじゃねえ!肉を食え肉を!」

「は?卵の栄養価の高さをご存じないんですか?脳味噌まで筋肉が詰まってる方には栄養学は難しすぎました?」

「お前は筋肉好きなのか嫌いなのかどっちだよ!」

「頭が悪い筋肉は嫌いなんです!!」

「筋肉に頭いいも悪いもあるか!!」

「待て、二人共落ち着け!」


 殿下が少々慌てながら割り込む。

 …少しむきになりすぎたようだ。若干周囲の注目も集めている気がする。



「リナーリアの気持ちも分かる。真面目なのは君の良い所だ。だが、今回はスピネルの言う事が正しいと思う。何かあったら大変だし、また風邪がぶり返しても困るだろう」

「……。はい」


 気遣わしげに言う殿下に、私はしゅんとうなだれた。


「スピネルも、すみませんでした…貴方が言ったことは絶対許しませんが、私を心配してくださったのは一応分かっています」

「お前一言多くないか?」

「貴方にだけは言われたくないです」

「お前たち…」


 殿下は完全に呆れ顔だ。


「寒中水泳のことは、先生に相談してみます。先生が参加をやめろと言うならやめます」

「…わかった」


 殿下とスピネルは困ったように顔を見合わせたが、とりあえずうなずいてくれた。

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