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第32話 見舞い

 喉の渇きで目を覚ました私はぼんやりと天井を眺めた。

 乳白色に緑で草模様が描かれた、見慣れた寮の部屋の天井だ。


 気だるい身体を起こして枕元の水差しに手を伸ばそうとし、ごほごほと咳き込む。

 咳が落ち着いてからようやく水を飲む事ができ、私はほっと息をついた。

 …情けない。風邪を引いてしまうなんて、自己管理がなっていない証拠だ。


 近頃急激に冷え込んだのが風邪の直接の原因ではあるが、やはり体力不足が大きいように思う。

 授業以外でもちゃんと身体を鍛えなければと分かっていても、つい他の事に時間を取られてしまっていた。すぐに本や訓練に夢中になって夕食を飛ばしがちだったのもまずかった。


 殿下やスピネルが視察で王都を留守にしている時で良かったと思う。心配をかけたくないし、こんな格好悪いところを見られたくない。

 ただ殿下は学院在学中なので、視察の日程は例年より短めだ。あと1週間もすれば帰ってくるだろう。

 それまでにはきっちりと治さなければ。



 こんこん、と小さなノックが聞こえた。入ってきたのはメイド服に身を包んだコーネルだ。

 彼女は私の使用人としてこの寮への出入りを許可されている。相変わらず口数は少ないが、こちらが何も言わずともしっかりと仕事をこなしてくれるのでいつも助かっている。


 私の部屋は個室なので、自由に出入りできるのは私とコーネルの2人だけだ。

 魔術学院の学生寮には個室と2人部屋、4人部屋の3種類があり、人数が多いほど寮費が安いのだが、私はお父様に頼んで個室にしてもらった。

 他のご令嬢と同室になるのを避けたかったせいもあるが、勉強だとか訓練だとか、一人でやりたい事が多いからだ。

 特に魔術は、前世の知識を活かし学院のレベルを遥かに超えた勉強をしているので見られたくない。

 授業でもなるべく見せないようにしている。もうあの火球のテストの時のような失敗はしていない。


「お嬢様、お加減はいかがですか?」

「熱は大分下がったと思います」


 コーネルは「失礼します」と言って私の額に手を当てる。


「…昨日よりはずっと良いですね。でもまだ微熱があるようなので無理はなさらないで下さい」

「ありがとう」

「お食事をお持ちしました。もう身体が回復に向かっているようなので、ちゃんと全部食べて下さいね」


 念を押しつつ、小さな土鍋が載ったお盆を渡してくる。

 私が「もう帰っても良い」と言ってコーネルを帰したあと、たびたび夕食を取り忘れていたのを知ったからだろう。私は苦笑しながらお盆を受け取った。


 土鍋の蓋を取ると軽く湯気が上がる。

 鶏の出汁を取ったスープで細かく刻んだ野菜と大麦を柔らかく煮込み、卵を落としたもののようだ。学院の食堂で作ってもらったのだろう。

 お腹も空いているし、これなら食べ切れそうだ。



 ゆっくりとスプーンを動かし食事をする私に、コーネルがサイドテーブルの上に載せられた2冊の本を指す。


「こちらの本はティロライト様とヴォルツ様からです」


 ヴォルツは我がジャローシス侯爵家に仕える騎士の息子だ。2歳上で学院の3年生。ティロライトお兄様とは同級生になる。

 無口だがとても勤勉で、槍術を得意としている。少々訳ありの家の出なのだが、将来有望な騎士として我が家で学費を支援しているので、ジャローシス侯爵家に対し忠誠心が強い。

 私に対してもとても良くしてくれている。


 ヴォルツが選んだ本は戦術論の本だった。実用的な所が彼らしい。

 そして兄が選んでくれた本は最近流行りの恋愛小説のようだった。この手の本も嫌いではないので、暇つぶしには良いだろう。


「この花はアーゲン様からです。お嬢様によく似合う花を探したとのことです」


 花瓶には大輪の白い百合の花がたくさん活けられている。

 今は冬だと言うのに、よくこんな見事な百合を用意したものだ。さすがの財力である。


 アーゲンはこの所、前にも増して私に近付いてくるので面倒くさい。

 多分この前のテストで私がアーゲンを抑えてトップだったからだ。アーゲンは非常に成績優秀なので、最初の定期テストで負けたのはショックだったのだろう。


 前世でもよくトップ争いをしたのだが、今世は一度学院を卒業した記憶がある私が絶対に有利だ。

 若干卑怯な気がしなくもないが、手を抜くのも何だしな。王宮魔術師になるには学業の成績も大事なのだ。

 なお殿下とスピネルもちゃんと10位内に入っていた。二人とも流石だ。殿下の成績が前世より低かったのは少し気になるが。


「こちらのお菓子はカーネリア様から。中身はクッキーのようです」


 日持ちがするように焼き菓子を選んでくれたのだろう。小さめの陶器の瓶には、可愛らしい青いリボンがかけられている。カーネリア様らしい気遣いだ。

 最後にコーネルは、大きな黄色い果実を指した。ザンボアと呼ばれる柑橘類の一種だ。


「こちらの果物はフロライア・モリブデン様からです」

「…フロライア様から?」


 私はぴたりとスプーンを止めた。

 彼女はクラスメイトだが、特別親しくしている訳ではない。どうして私に見舞いの品を寄越すのか。


「朝方、寮の廊下ですれ違った時に声をかけられたんです。ご実家からたくさん送られてきたので、おすそ分けだそうで…。風邪にも良く効く果物だと仰っていました」


 明るい黄色をしたザンボアの実は、とても栄養豊富で万病に良いと聞いた事がある。

 そう言えばモリブデン領は果樹園が多いのだったか。



「それ、取ってくれませんか」


 一旦スプーンを置いて手を伸ばす。

 コーネルが手渡してくれた果実は大きく、ずっしりと重い。ざらざらとした果皮からは爽やかな良い香りがした。

 私はじっとそれを見つめ、探知魔術をかけてみる。


「…ありがとう。今すぐは食べられそうにないので、後で皮をむいて下さい」

「分かりました」


 コーネルにザンボアの実を返し、私は再び雑穀スープを飲むためにスプーンを取った。


 魔術には何も引っかからなかった。何らおかしい部分はない、ごく普通のただの果実だ。

 今の彼女が私に対し何かを仕掛ける理由などない。

 ザンボアの実は本当にたまたますれ違ったから、風邪で授業を休んでいるクラスメイトへの見舞いとして好意で分けてくれただけだ。

 そう考えるのが自然だろう。


 だが私は、胸の中がざわめくのをどうしても抑えられなかった。

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