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第25話 ラストダンス※

 スピネルが去った後も、私はテラスのベンチに腰掛けて休んでいた。

 今日はもうこれで帰ってもいいかな。もうすぐ舞踏会も終わりの時間だろうし。


 お兄様やお父様たちを探しに会場へ戻ろうかと振り返ると、丁度テラスに誰かが入ってくるところだった。

 淡い色の金髪が逆光に透けている。

 …エスメラルド殿下だ。


 殿下は私の横へと腰掛けると、雲間から光る月を見上げた。


「ファーストダンスはスピネルと踊ったんだな。見ていた」

「あ、はい。…殿下は、ブロシャン公爵夫人とでしたね」


 私も横目で見ていた。結局、前世と同じ選択肢を取ったらしい。彼女ではなくて安心した。


「…正直、少し羨ましかった。楽しそうだったから」

「そ、そうですか…?」


 私としては楽しいどころの話ではなかった。

 一人目がスピネルだったおかげで、若干緊張がほぐれたのは確かだが。


「その後もずっと誰かと踊っていたし」

「それは殿下もじゃないですか」


 舞踏会デビューの時に王子と踊れるというのはかなりの名誉だ。ご令嬢ならば誰もが皆踊りたがる。

 こう言っては何だが、美少女をとっかえひっかえだ。


「俺は王子だからだ。だけど、君は俺が思っていたより皆に注目されていると分かった」

「…いや、それアーゲン様とスピネルのせいだと思うんですが…何だかすごく目立っちゃいましたし…」


 地味で大人しい令嬢として過ごしてきたはずなのに、何故こうなったのか。

 しかし、殿下はゆっくり首を振ってみせる。


「多分それは違うな。どうやら俺が不甲斐なかっただけらしい。…もうつまらない後悔はしたくない。次からは素直に行動する事にする」

「??」


 その言葉の意味がわからず、私は殿下の横顔を見つめた。

 今世で再会してから5年、ずいぶん成長し大人びたその顔は、あの時別れた殿下へと少しずつ近付いてきている。


「リナーリア」


 殿下は私の名前を呼ぶと、その手をそっと差し出した。


「きっと、もうずいぶん疲れているだろうが。…ラストダンスは、俺と踊ってくれないか」




 最後の曲の始まりには、何とか間に合った。

 お互いにお辞儀をして、ホールドを組み足を踏み出す。


 慎重に、大胆に。

 殿下のリードは、その表情の読みにくさとは真逆でとても分かりやすいのだと、私は初めて知った。

 ダンス練習で初めて踊った時は、私は下手くそすぎてそんな事はちっとも分からなかった。

 そう言えば、殿下と踊るのはあの時以来だ。


「…やっと分かりました。殿下、本当にダンスがお上手だったんですね」


 前世では見ているだけだったのでただ「さすが殿下は上手いなあ」としか思っていなかったが、こうして一緒に踊ってみるとよく分かる。

 殿下のダンスは、相手がとても踊りやすいと感じる、そういう上手さなのだ。


「君も、あの時に比べると見違えるように上手くなった」

「いえ…私などとても…」


 先程までは何とかまともに踊りきった事で満足し胸を張っていたが、やはり私のダンスなど全然ダメだ。

 殿下に比べると足元にも及ばない。

 思わず恥ずかしくなる私に、殿下は微笑む。


「君はそれでいい。リードのしがいがあるし、何よりとても楽しい」

「…楽しいですか?」


 もっとダンスの上手い方と踊ったほうが楽しいのではないだろうか。

 そう思ったが、殿下は重ねて「楽しい」と言う。

 こちらを見つめる目がなんだか眩しい気がして、少し動揺した私はステップを間違えてしまった。

 殿下の足を思いっきり踏んでしまって青くなるが、殿下は素知らぬ顔でダンスを続けてくれている。



 やがて曲が終わりダンスを終えた私は、殿下から離れると恥ずかしさに身を縮めてうつむいた。


「すみません…今日はちゃんと踊れたと思っていたのに、最後の最後で殿下の足を踏んでしまうなんて」

「今日は他に誰の足も踏んでいなかったのか?」

「は、はい…」


 よりによって殿下の足を踏んでしまったのが情けない。

 疲れていたせいかも知れないが、ちゃんと集中していれば防げたと思うのだ。


「なら、俺は今日君に足を踏まれたただ一人の男という訳だ。それは嬉しいな」


 え、と思って見上げると殿下は私を見て優しく笑っていた。

 とても楽しそうに。


挿絵(By みてみん)


 私はふいに、胸が温かい感情で満たされていくのを感じた。少しだけ戸惑い、それから理解する。

 …私は、殿下と踊れた事が嬉しいのだ。

 15歳となり舞踏会デビューをしたこの記念すべき日に、殿下と踊ったという思い出を作れた事が嬉しい。


 今でも色褪せない、たくさんの前世の思い出。

 初めて会った日や、一緒に馬に乗った日や、大きな魔獣を討伐した日。

 一級魔術師になった事を祝ってもらった日。学院を卒業した日。

 何度も一緒に新年を祝った。共に学び、育ち、過ごしてきた。


 だけど今日この日、殿下と踊った思い出は、それに勝るとも劣らない輝きを放ってくれるものになると思った。

 これから先も、ずっと忘れないものだと。



「あ、あの、殿下」


 溢れ出そうになる思いに突き動かされ、私は胸に手を当て殿下を見上げる。


「私も…、私も今日、殿下と踊れてとても楽しかったです。本当に楽しかった」


 殿下がわずかに目を瞠った。

 言葉では表現しきれないこの感情を少しでも伝えようと、私は精一杯、心を込めて笑う。


「…今日、貴方と踊れて良かった」



 その瞬間、殿下の頬が真っ赤に染まった。


「で、殿下?」


 口元を押さえてうつむく、こんな表情の殿下を見るのは初めてだ。前世でだって見たことはない。

 どうしたら良いのか分からずおろおろとしていると、横から助け舟がやって来た。スピネルだ。


「殿下。そろそろ時間です」


 こういう時のこいつは本当にタイミングが良いと言うか、頼りになると言うか…。

 さすが私に代わって殿下の従者に選ばれただけはある。そう思うととても悔しいが。

 あとはスピネルに任せておけば良いだろうと、私は二人に頭を下げる。


「殿下、本当に有難うございました。私も今宵はこれにて失礼させていただきます。ごきげんよう」

「あ、ああ」


 殿下はぎくしゃくとうなずいた。

 スピネルは無表情を装っているが面白がっているのが丸わかりだ。…本当に任せて大丈夫だろうな?




 帰りの馬車の中では、私が陛下から声をかけられた上に、スピネルやアーゲン様や殿下と踊った事に興奮したお父様が大分はしゃいでいた。

 ティロライトお兄様ものんきに喜んでいて、いつもはのんびりしているお母様が珍しくたしなめる側に回っていた。

 常識人のラズライトお兄様がここにいないばっかりに…。


 私もどちらかと言うと困ったなと思ってる側なのだが、それでも幸せな気分だった。

 …今はもう少しだけ、この幸せな気分に浸っていたい。

 そう思いながら馬車の窓から夜空を見上げた。

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