第19話 お相手
15歳の春を迎え、私は再び王都へ来ていた。
今年の9月には王立学院に入学し、学問の他に実戦的な魔術や戦術を学ぶことになる。
だが、その前に今年15歳になった貴族の子女たちにとっての一大イベントが控えている。
舞踏会デビューだ。
それは8月の半ば頃、学院への入学を祝うパーティーという形で王宮で開催される。
入学前の生徒の顔合わせという意味合いもあり、ほとんどの者がそこで本格的な舞踏会デビューとなる。
ここで注目になるのがそれぞれのファーストダンスの相手だ。ファーストダンスを踊るのは意中の相手という不文律が貴族の間にはある。
ちなみに、特に相手がいない者は親族と踊る場合が多い。
予め相手を決めず、その場で何となく選ぶという者も中にはいるが少数派だ。
約束はしていないが当日になって突然申し込む、というドラマチックな演出をする者もいる。
よほど自分に自信がなければできない芸当だが、成功すればかなり注目を集め、学院で生徒たちに一目置かれる事になる。
貴族にとって学院はただ学ぶための場ではなく、結婚相手を探すための場でもある。
もちろんファーストダンスを踊った相手と必ず婚約するとか結婚する訳ではない。しかしここでどんな相手を選ぶかは、学院生活のスタートにおいて少なからぬ影響を与える。
誰と踊るか。誰を誘うか。
入学を控えた15歳の子供たちにとって今一番の関心は、兎にも角にもこのダンスパーティーの事なのである。
護衛を連れた殿下とスピネルがジャローシス侯爵屋敷を訪れたのは、私が王都に来てから2週間ほど経ってからだった。
二人に会うのは半年ぶりで、今年初めてになる。
「ごきげんよう、エスメラルド殿下、スピネル様。お久しぶりです。おふたりとも壮健のご様子で、何よりでございます」
15歳となった殿下は大人びて一回りたくましくなったようだ。背が伸びただけでなく、肩幅も少し広くなった気がする。
「久しぶりだな。君も元気そうで良かった」
「ありがとうございます」
殿下は少しばかり眩しそうに目を細めながら挨拶を返し、スピネルもまた、「お久しぶりです」とかしこまった礼をする。
スピネルもさらに背が伸びたみたいだな。そう言えばこいつかなり長身になるんだよな…大人の殿下とはどっちが大きかったっけな…。
一瞬考え込みかけた私にスピネルが「?」という顔をしたので、にっこり笑ってごまかした。
「さ、どうぞ中へ」
今日はカエルの観察は後だ。テラスで紅茶を飲みながら、簡単に近況を交換し合う。
「パーティーのための準備はもう始めているんだろう?」
「はい。新しいドレスはもう注文していて、ひと月前には届く予定です」
お母様や使用人たちが、仕立て屋を呼んで何やら熱心に選んでくれた。
私はドレスのことなどさっぱり分からないので全部お任せだ。
「ダンスはもう大丈夫なんだろうな」
「はい。おかげ様で、だいぶ形になりました」
「それは良かった」
スピネルが紹介してくれたダンス教師はとても優しく、粘り強く私に指導してくれた。
一時はどうなることかと思ったが、おかげでちゃんと女性のダンスも踊れるようになっている。やっぱりあまり上手くはないのだが。
「実は昨日も半日ずっとレッスンで…。足が痛いです」
「それで疲れているのか」
「他にも魔術や護身術の訓練もありますしね。仕方ないので勉強の時間を削っていますが、ダンスが一番難しいです」
「どんくさいと大変だな」
「悪かったですね!」
私はスピネルを睨みつけた。スピネルも殿下もダンスは得意だし、私の苦労が二人には分からないのだ。
「…あの、それで。ダンスと言えばですね…」
おずおずと言う私に、殿下が「なんだ?」と答える。
私は思い切って単刀直入に尋ねる事にした。
「殿下がファーストダンスを申し込まれる方は、もう決まっているのでしょうか」
「…ほほう。お前もさすがに気になるか」
なぜかニヤついた顔になったのはスピネルだ。
何がおかしいのか、私は真剣だ。私としても、殿下のお相手は非常に気になるのだ。
有力な貴族家のご令嬢達は、未来の王妃となるべく王子へとあの手この手で近付いてくる。外見、教養、家の権力、何でも使う。一番厄介なのは権力だったりするのだが。
学院入学を控えたこの時期ともなれば尚更。
お茶会やら狩りやら晩餐会やら音楽会やらのお誘いは、それはもう引っ切り無しのはずだ。
私が王都に来たという報せは到着後すぐに殿下に送っていた。なのに今まで会えなかったのは、二人がその手のお誘いで忙しかったからだろう。
…その中には、あの女からのお誘いも含まれているはずなのだ。
「お茶会でも一番の話題は殿下のお相手のことですし、気になります。あ、もちろん言いふらしたりしませんので!」
私はニヤつくスピネルを無視してそう言った。
入学祝いパーティーで最も注目されているのが誰かと言えば、当然今年舞踏会デビューになるエスメラルド王子だ。
王子のファーストダンスの相手は、そこらの貴族の子供とは比にならない重要度で周囲から見られる。
さらにパーティーで王妃殿下から声をかけられたりしたら、もう王家公認の婚約者候補として考えられてしまう。
王都に来てから既に何度かお茶会やパーティーに参加したが、本当に皆その話に興味津々なのだ。
私は殿下の友人だと皆知っているので、同席したご令嬢にあれこれ問い詰められたり睨まれたり、逆にすり寄られたりもする。
思い出して疲労感を感じていると、殿下が「リナーリアはどうなんだ?」と尋ねてきた。
殿下が質問に質問を返してくるなんて珍しい。
「私ですか?」
「ああ。誰かに誘われていないのか?」
「まさか。私にはそこまで親しい殿方はいませんよ。兄に頼もうかと思っています」
まあ、もし兄の都合がつかなければ当日適当な相手に声をかけられるのを待ってもいい。
別にお互いがファーストダンスでなければならないという決まりはないので、踊り終わった誰かが来るのを待てばいいのだ。
壁の花を見つければ「自分が誘ってやらなければ!」という謎の使命感でもっておせっかい…もとい、親切な誘いをしてくれる貴族はどこにでもいる。
「それで殿下は?カーネリア様はいかがです?スピネルの妹君ですし、親しくされてますよね?」
「カーネリアはない」
横からスピネルがきっぱりと言い切った。
カーネリア様はスピネルの妹で、私と同い年だ。私も数年前から親しくさせていただいているが、兄と違い裏表のない闊達な性格の可愛らしいご令嬢である。
高位貴族のご令嬢にしては珍しく女騎士を目指していると言うが、才能もあるらしい。真っ直ぐに夢を語る姿はとても眩しい。
悪くない相手だと思うのだが、スピネルはどうやら勧めたくないようだ。
兄妹揃って殿下に近いと、ブーランジェ公爵家がいらぬ敵を作ってしまいかねないからかな。
何よりカーネリア様当人に全然その気がなさそうだしなあ…。
「ではビスクビ家のトリフェル様は?かなりアタックを受けているのでは?」
「…まあ、そうだな」
殿下は歯切れ悪く言う。乗り気ではなさそうだ。
「あとはそうですね、年下ですがヴァレリー様なども適任かと…」
「いや、お前ちょっと待て」
畳み掛けた私を遮ったのはスピネルだ。
「殿下の意思を無視すんな」
そう言われ、私は沈黙している殿下の表情に気付いた。気まずそうにしている。
「す、すみません…」
私は唇を噛んでうつむいた。
…前世では、殿下はあの女をファーストダンスの相手にはしなかった。
無難にブロシャン公爵夫人…国王陛下の妹、つまり殿下にとっては叔母に当たる方を誘っていたはずだが、今世でも同じとは限らない。前世と今世とは環境が変わってしまっている。
私はリナライトだった時のようにずっと殿下の傍にいる訳ではないし、殿下の意向を把握しきれていない。そのせいで少し焦りすぎてしまった。
友人として親しくはしているが、軽々しく何にでも踏み込んで良いわけではないのに。
肩を落とした私に、スピネルが「はぁー…」と大きくため息をつく。
「…つーかお前、他に言うことあるだろうが」
「え?」
「ああー、もう!お前な、こういう事俺に言わせんじゃねーよ!俺にだって従者としての立場ってもんがあるんだからな!」
イライラしたようなスピネルの言葉の意味が分からず、しばし頭を捻り…それからやっと理解した。
「スピネル、まさか私が殿下のお相手になりたがってると思ったんですか?」
「………」
気まずい沈黙が落ちた。殿下は困ったような、スピネルは何とも言い難い表情になっている。
「あの、そんな訳無いでしょう。ただでさえ私は殿下の友人だと知られているのに、さらにファーストダンスを踊ったりしたらまるで婚約者候補みたいじゃないですか」
慌てて言い訳をする私に、スピネルはさらに「うわあ…」という顔になった。
「確かに、踊ったからと言って必ず婚約者に決まるわけではないですけど。そんな噂が立って困るのは殿下ですよ?先程はカーネリア様やトリフェル様をお勧めしましたけど、別に意中の相手がいなければ近縁の女性に頼めばいいだけで」
「あーあーあー。分かった。もういい。もうやめろ。俺がバカだった…」
スピネルと、それに殿下までもなぜだか落ち込んでいるようだった。
殿下が今最も親しくしている貴族令嬢は私だと思うので、私がファーストダンスの相手になるのではないか?と考える人間は当然多い。
私も実際、自分が殿下のファーストダンスの相手になるという案を考えないでもなかった。
頭を下げて頼めば優しい殿下は断らない可能性が高いし、何よりあの女が相手になることを確実に阻止できる。
私が婚約者候補だと噂が立つのは困るが、時間をかければ噂を消すこともできるだろう。
だけど、それではだめだと考え直した。
実際私は、条件だけ見れば悪くはない相手なのだ。
新参とは言え一応侯爵家の令嬢だし、ジャローシス家は特にどこかの有力貴族と癒着している訳でもない。
王妃になるには後ろ盾が弱すぎるが、変なしがらみがない分逆に選びやすいとも言える。
殿下は前世でも、婚約者探しにはあまり積極的ではなかった。結局、周囲の者の意見を聞きながら候補者の中で最もふさわしいと思える令嬢を選んだ。
…それが全ての間違いだった。
今世こそ殿下は、真に王妃たるにふさわしい女性を選ばなければならない。
そのためには一時的にでも私が婚約者候補扱いなどされては困る。殿下の邪魔をしたくないのだ。
何より、婚約者候補と扱われれば、私は殿下にとってますます「守らなければならない者」になってしまうかもしれない。それが怖かった。
私は殿下を守りたい。守られる側には、絶対になりたくないのだ。
「…殿下。殿下のお気持ちも考えずに申し訳ありませんでした。どうか、お心のままにお決め下さい」
殿下に向かって深々と頭を下げる。
もし殿下がお相手に選ぶのがあの女だったとしても、それで全てが決まるわけではないはずだ。
あの女もまだ15歳になったばかり、大それた事を実行に移すにはまだ子供すぎる。
その動機は未だに分からないので安心はできないが、今は彼女の動きに注意するだけに留めておくべきだろう。
「リナーリア」
名前を呼ばれ、私は顔を上げた。
「俺は気にしていない。だから君も気にするな」
殿下は、優しく笑ってそう言ってくれた。




