第16話 おかしな魔術師
私があの温泉近くの大岩の魔法陣で転移してしまった後。
まず、仰天したラズライトお兄様はすぐに私の後を追おうとした。しかし、いくら試しても転移魔法陣は全く動かなかった。
軽く大岩を調べた結果、本来は鍵が必要なタイプの魔法陣であり、私は誤作動に巻き込まれたのだと判断したお兄様は、すぐにジャローシス侯爵屋敷に戻った。
慎重なお兄様は、何かあった時のためにすぐに転移魔法陣を設置できる魔導具を持って視察に出ていたのである。これを使い屋敷に跳んだのだ。
そこでお父様に事情を説明し、魔術師や捜索の兵を集めてもらうように頼んだお兄様は、すぐに動かせる我が家の騎士たち数十人を連れてまた温泉へと転移で戻った。
騎士達に周辺を捜索してもらいつつ、お兄様自身もまた私を捜すために私を対象とした探索魔術を実行。殿下とスピネル、その護衛たちも協力してくれたそうだ。
しかし、何の痕跡も発見できなかった。
続いて到着した魔術師や兵士たちにも協力してもらい、岩の魔法陣の調査と私の捜索を並行して行ったが、やはり進展はなし。
やがて日も暮れてきて、何度も探索魔術を使った兄と魔術師たちが「この近辺には恐らくいない。どこか閉鎖された、魔術的に隔離された空間にいる可能性が高い」と判断したことで、捜索は一旦打ち切られ屋敷に戻って捜索計画を練り直す事になった。
暗い中で闇雲に探し回ったところで、魔獣を刺激し危険を招くだけなので仕方がない。
しかし、私が魔法陣から戻ってきた時のため、大岩の側には誰かを残しておかなければならない。
その役を自ら願い出てたのはお兄様だ。さらに我が領の騎士数名と、それからスピネルも、お兄様の護衛を兼ねて一緒にあそこに残ってくれたのだという。
殿下も残ると主張したが、視察中の王子にそんな事をさせる訳にはいかないと説得し、屋敷に戻ってもらったのだそうだ。
そうして大部分の者は屋敷に戻り、軽く明日の事について打ち合わせてから一旦解散となった。
だがなんと、その夜遅くになって私が突然屋敷へと現れたのだ。
遺跡で転移魔法陣の鍵を使った私は、あの大岩ではなく何故か屋敷内の殿下が滞在している部屋へと転移していたのである。
いきなり戻ってきた私に屋敷は大騒ぎになったらしい。
らしいと言うのは、私はその時完全に気絶していたからである。原因は魔力切れ。ほぼすっからかんだったのだそうだ。
殿下は急に倒れた私に随分慌てていたそうで、本当に申し訳ない。
翌朝目を覚ました私は、お父様やお母様、お兄様、使用人や騎士たちと、周り中の人々から無事を喜ばれた。
特に家族やコーネル、執事長などは泣いていて…まあ、そこは詳しく語らなくてもいいだろう。私もつられて泣いてしまったりしたし。
ただ、少し離れた場所から見ていたスピネルが泣きそうに顔を歪めていたのがひどく印象に残った。
…そして、それから数時間後。
「それではリナーリア嬢!転移先がどのようなものであったか説明していただこう!!」
ウキウキとしか表現しようのない様子で、目の前のボサボサ頭の魔術師が私に向かって言い放った。
ここは屋敷内にある会議室だ。
並んだ席にはお父様やお兄様、殿下とスピネル、幾人かの騎士と魔術師。さらに、たった今言葉を発した王宮魔術師のローブを着た男が座っている。
私から事情聴取…もとい、事情説明を聞くために皆集まっているのだ。さっきまでは、お兄様が昨日の出来事を掻い摘んで私に説明してくれていた。
それでいよいよ私に事情を訊く段になって、身を乗り出してきたのがこの魔術師の男なのである。
「古代神話王国の遺跡だったんだろう?中の様子は?何があったんだい?どうやって戻って来たのかな!?」
「…リナーリア、このセナルモント殿は古代研究が専門でね。わざわざ王都から来て、お前の捜索に加わってくださったんだよ」
その勢いにちょっと苦笑いをしながらお兄様が言う。
いや絶対私の捜索のためじゃないです、古代神話王国のものらしき魔法陣が見つかったと聞いて飛んできただけです…。
この魔術師については先程軽く紹介を受けたばかりだが、実は私はそれ以前からこの人を知っていた。
セナルモント・ゲルスドルフ。歳は確か今34歳だったか。
ボサボサのくせ毛に何ともとぼけた顔をしたこの痩せた男は、前世での私…リナライトの魔術の師匠の一人。
そして、生粋の古代神話王国マニアにして研究者なのである。
この島は大規模な魔獣災害のたびに大きな破壊を受けているため、過去の文明や遺産はあまり現代に伝わっていない。
特に古代神話王国時代の魔術関連の品はとても貴重で、見つけた時は王都の王宮魔術師団への報告義務が生じる。
それが王子の視察中となれば尚更だ。お父様も、すぐに遠話の魔導具で王都へ連絡をした。
王都からはかなり距離があるが、先生…セナルモントは報せを聞いてすぐにいくつもの転移魔法陣を経由してやって来たに違いない。
連続での転移は相当身体に負担がかかるはずだが、いても立ってもいられなかったんだろうな…。古代王国の事になるとなりふり構わない人だし。
私は内心で呆れつつ、セナルモントへと頭を下げる。
「この度は大変ご迷惑をおかけいたしました」
「いやいや良いんだよ!古代神話王国の魔法陣が見つかるなんて滅多にある事じゃないからね!大急ぎでここまで来たんだ。
昨日既に見せてもらったけど、いやああの魔法陣は面白いねえ。本当に興味深い。で、転移した後はどうだったんだい?」
「…リナーリア。ゆっくりでいいから、お前の身に起きたことを順を追って話してくれ」
お兄様もこの魔術師の事は噂で知っているんだろうな。だいぶ困った様子だ。
わりと有名だからなこの人…。主に変人として。
「…という訳で。なんとか魔法陣を発動しようと鍵に魔力を集中させていて、気が付いたらこの屋敷にいたんです」
「ふむふむ、なるほど。とてもとても興味深いねえ!しかし何故この屋敷に出てきたのかな?心当たりはあるかい?」
「分かりません。…ですが、その時エスメラルド殿下のことを考えていたのは確かです」
「なるほどねえ~。特定の個人を転移先目標にできるのだとしたら凄い事だなあ…しかも意識しただけで?どうやって座標を特定するんだろう?うう~ん…」
セナルモントはしばし考え込み、だが結論を出すことはあっさり諦めたようだった。ごそごそと懐を探り、何かを取り出す。
「まあ、それは後で考えよう。じゃあその鍵というのは、これの事でいいのかな?」
白い布に包まれたそれは、一枚の小さな黒い板だった。
こちらへと回されてきた板を、手に取って見てみる。
「昨夜、気を失った君が手に持っていたものだ。魔石を削り出して作ったもののようだが…見ての通り、魔力焼けで黒化してしまっている」
黒化というのは、過剰に魔力を注がれた魔石に起こる現象だ。
魔石は魔力を蓄えられる性質を持つ透明な石だが、限度を超えて魔力を注ぐとこのように黒く染まってただの石ころになってしまうのである。
板を軽く光にかざしてみたが、完全に黒化していて向こうは全く見えない。
刻まれた古代文字は読み取れたが、うっすら浮かんでいたはずの魔法陣は跡形もなく消えてしまっていた。
「…間違いなくこれだと思います」
「そうかい…残念だねえ。これが使えれば、遺跡に入れるかもしれないのになあ…」
セナルモントは心底残念そうだ。遺跡に残っていた本や道具について思いを馳せているのだろう。
だが私は内心で少し安心していた。あの遺跡にあったものは、あまり人目に触れさせない方が良いような気がしていたからだ。
あれらの本や不可思議な道具、そして哀れな竜の一部が収められた瓶の数々は、人の手には余るもののように私には感じられていた。
…だが、表面上はあくまでしおらしくしておく必要がある。
「申し訳ありません。夢中だったので…」
「ああ、いや、気にしなくて良いとも!そのおかげで君は戻って来られたのだからねえ。
先程の話を聞く限り、この鍵は本来、予め登録した者のみが使えるように設定されていた可能性が高い。君はきっとそれを、容量を大幅に超える魔力を注ぐことで無理矢理発動させたんだね。
もし発動できていなかったら、今も遺跡に閉じ込められたままだっただろう」
「なんと…」
皆が息を呑む。私も今更ながらに背筋がひやりとした。本当に危ないところだったのだ。
「まあ、王都に戻って解析してみるよ。魔法陣の一部くらいは読み取れるかも知れないしね!
あ、そうそう、この鍵もあの大岩も王宮魔術師団で回収させてもらうよ。それからしばらくの間は、あの温泉地及び火竜山の周辺を封鎖させてもらう。近く調査団が派遣されてくる事になるだろうから、よろしくね。
…ああ、言うまでもないけど、今回の件は決して人に話さないように。捜索に関わった騎士や魔術師たちにも箝口令を敷くようにお願いします」
「承知いたしました」
お父様がうなずく。封鎖や箝口令は当然の処置だろう。
また何かの拍子に転移が起こらないとも限らないので危険だし、私も未知の魔法陣に巻き込まれたご令嬢なんて噂はされたくないので有り難い。
「それで、リナーリアは…」
遠慮がちに口を挟んだのはお兄様だ。
「ああ、リナーリア嬢の処遇だね。僕もまだざっとしか調べていないけれど、今回の事は間違いなくただの事故だ。リナーリア嬢は地震によって誤作動した魔法陣に巻き込まれただけ、だから何も気にすることはないよ。
後で軽く検査をしてもらうけど、魔力を使いすぎた以外は健康にも問題なさそうだしねえ」
良かった、お咎めなしらしい。私はほっと胸をなで下ろした。
「あ、でも一応、さっき話してくれた事を後でレポート…文章にまとめて送ってもらえるかな?
ちゃんとこちらでも記録しておいたけど、記憶というのは時間が経つと齟齬が出るものだしね、念の為にね。他に何か思い出した事なんかもあったら追記してね」
「分かりました…」
かなり面倒だが、このくらいは仕方ないだろう。
「どうやら君はかなり記憶力が良さそうだから大丈夫だろう。話も理路整然としていて分かりやすかったし、君はとても優秀だなあ!
何より古代神話王国文字が読めたというのが素晴らしいね!古代文明についての理解もあるようだし、こう言ってはなんだが、転移したのが君だったのは実に幸運だったよ!!」
大きく腕を広げて感激を表すセナルモント。…周りの者はだいたい皆引いている。
「あの文字を読める者は魔術師でもあまりいないよ!一体どこで教わったんだい?」
「えーと、独学で。少々興味がありまして…」
私は笑って誤魔化す。前世で貴方から話を聴いて興味を持ったんですとは言えない。
「素晴らしい!実に素晴らしい!!君、良かったら王宮魔術師団に入らないかい!?」
「は!?」
さすがに黙っていられなかったらしく、お父様とお兄様がぎょっとした声を上げた。
「君はきっと優秀な研究者になれる素質があるよ!それに、まだ13歳だったかな?その歳で高純度の魔石をここまで見事に黒化させるほどの魔力量も素晴らしい。どうか考えておいてほしい!」
「は、はい…」
気圧されてうなずく私。
お父様達は困り果てているが、でも王宮魔術師か。学院卒業後の進路としては悪くない。
家族は私がどこぞの貴族家に嫁ぐ事を望んでいるだろうけど、私としてはやっぱり男と結婚するのは避けたいしな。
「まあ別にその気がなくても構わないから、王都に来たらいつでも訪ねて来てくれたまえ。僕はだいたい王宮内の研究棟に詰めているから、名前を出せばすぐに会えるよ。
古代神話王国について研究した本もたくさん置いてあるからね!君に見せてあげよう!!」
あの、私はその古代神話王国の遺跡内に閉じ込められてて、そのまま死ぬかもしれなかったんですが…?
きっと古代マニアの同志が見つかったと思ってるんだろうなあ。
デリカシーの欠片もないその発言には苦笑いをするしかなく、お父様や殿下達も非常に苦い顔で、興奮するセナルモント先生を見ていた。




