第13話 温泉※
翌朝、朝食を取ったあとジャローシス侯爵領の視察に出た。
ゴトゴトと馬車に揺られながら窓の外を眺め、ラズライトお兄様があれこれと説明してくれるのを聞く。
「あちらの遠くに見える緑の塊がスペリーの森です。ほとんどが湿地帯になっていて、ミナミアカシアガエルなどの固有種も多く棲んでいます」
「む」
思わず反応した殿下に、お兄様が優しく笑う。
口の堅いこの兄にだけは、殿下の趣味を話してあるのだ。
「明日は湿地帯の近くにも行きますので、その時よろしければ御覧ください」
「そうか」
時折、馬車から降りて様々なものを案内する。
私は昨日の反省を踏まえ、余計な口を挟まずにほとんど付いて行くだけだ。たまに話を振られた時だけ、軽く補足したり話したりする。
「こちらの石碑はジャローシス家の祖先、フェナカイトを祀ったものです。とても優れた魔術師で、その大魔術で魔獣から千の民を守ったと伝わっています」
「ジャローシス家伝来の水魔術だな」
殿下は興味深げに石碑を見つめた。
その横顔を眺めながら、懐かしいな…と強く思う。
前世でも毎年こうやって殿下と共に視察をして回ったのだ。殿下は池などを見つけると、カエルを探してそちらに行きたがるのでいつも困ったっけ。
様々な物を一緒に見た。
雪を冠った美しい山、不思議なほど青い池、風の強いオリーブの林。
王都では見かけない珍しいカエルや、鮮やかな七色の翼を持つ鳥。
はるか昔に建てられた荘厳な神殿に、技術の粋を集めて作られた噴水。
年に一回のこの行事を、殿下も私もとても楽しみにしていた。
今でも決して忘れない思い出だ。
お昼は見晴らしの良い草原に敷物を広げ、屋敷から持ってきた軽食を取った。
殿下は城や屋敷でいただく豪華な食事には慣れているので、あえてのピクニックスタイルだ。
案の定殿下は、小ぶりなパンに切り込みを入れて作ったサンドイッチと、魔術で軽く温めたスープなどの食事を大変気に入ったらしい。
「こうして眺めのよい場所で食べる昼食というのも良いものだな。このサンドイッチもうまい」
「バッファローの肉を挟んだものですね。このあたりには多いので」
「ほう…普通の牛肉とはまた少し風味が違うんだな」
両手に持って食べる殿下の様子をニコニコしながら見守っていると、急に背後からスピネルの声が聞こえた。
「お前は本当に殿下の好むものがよく分かってるな」
「…いきなり背後に回らないでください。どこに行っていたんですか?」
「ちょっと近くを見てきただけだよ」
どうやらスピネルは護衛の騎士たちと共に、午後から行く道の安全を軽く確認してきたらしい。
予め我が家の兵によって近くの魔獣は討伐してあるし、昨日もしっかりとそれを確かめてある。仮に新たな群れが発生したとしても、そう大きなものにはならない。
だから当日の安全確認は護衛に任せておいても問題ないのだが、意外と真面目なところがあるのだ。こいつは。
「お疲れさまです」と言ってサンドイッチを手渡すと、彼は大きな口を開けてそれにかぶりついた。
「ん、うまいな、これ。ちょっと癖があるけど、それがソースとよく合ってる」
「そうでしょう」
故郷の料理を褒められれば私も悪い気はしない。思わず得意げになってしまう。
「本当にうまい。これ、王都でも食べられないか?」
「うーん…。輸送が難しいですね」
「魔術で何とかならないか」
スピネルはよっぽどバッファロー肉が気に入ったらしい。
ふむ。エサ代がかかる上に気性の荒いバッファローそのものを運ぶより、一度さばいてから魔術で氷漬けにして肉だけ運べばいいか…?距離があるので、一定時間ごとに魔術をかけ直す必要があるが…。
そんな事を考える私の横で、スピネルはさらに一つサンドイッチを手に取って食べていく。
「ちょっと、そんな急いで食べなくてもいいですよ。まだたくさん…あ」
ちょうど最後の一つを殿下が取ったところだった。
他の具のサンドイッチはまだ残っているが、バッファローのものはもうない。
「…殿下。そいつをよこせ」
「む…」
ジト目になるスピネルに、殿下がたじろぐ。
「このバッファロー肉のサンドイッチ、もう3つも食べただろ。俺はまだ2つだ。不公平だ」
「……」
残念そうな顔で殿下がサンドイッチを差し出す。
それを受け取ると、スピネルは満足そうにかぶりついた。
「でも、向こうから来たのになんで殿下が食べた数が分かったんですか?」
少し首を傾げる。サンドイッチを食べているのは見えても、食べた数までは分からない気がするのだが。
「見えてねえよ。適当にかまをかけただけだ」
「何!?」
「当たってたんだから同じことだろ!」
やれやれ。二人共、こういう所は子供っぽいのだ。
…しかし、殿下とスピネルは本当に仲が良いな。
元々従者というより友人として接する面が強かったように思うが、近頃ますます仲が良いようで正直羨ましい。
もちろん私だって殿下とは親しくしているのだが、気安さという点で少々差がある気がする。
やっぱり今の私が女だからなのだろうか…いやいや、殿下と私の友情に性別など関係ない。きっと付き合いの長さの違いだ。
「仕方ありませんね。そのうち王都にバッファロー肉を持っていきますので、今日のところは我慢して下さい」
「本当か!」
二人が嬉しそうにこちらを見る。
「上手く行けば高級食材として販売を始めようかと思いまして。その時はお二人共、宣伝に協力してくださいね」
「お前ちゃっかりしてんなあ…」
「しっかりしてると言って下さい」
そう言って、3人で笑い合った。
午後から向かったのは、火竜山の麓近くにある温泉の足湯だ。
明らかに人の手によって作られたこの温泉は、1万年以上前…古代神話王国時代のものだという説が有力だ。
皮膚病や火傷、切り傷、関節や腰の痛みなどに効能があるらしい。
だがここに来るためには、魔獣の棲み着く森を越える必要がある。
温泉が作られた当時には遠く川向こうにあっただろう森が、長い時を経て広がり、温泉の周辺まで覆ってしまったからだ。
危険な森を越えてまでわざわざ温泉に足を運ぶ者はおらず、長い間ほぼ伝説のような存在になっていたが、この地に侯爵として着任したフェナカイトはその話を聞き大変惜しいと思ったらしい。
屋敷の庭の件といい、なかなか変わった人物だったようだ。
魔獣を倒しながら少しずつこつこつと森を切り開き、鉱山に向かう道も兼ねて道路を作り、当代になってようやく温泉の周囲まで整える事ができたのである。
足湯は底につるつるとした白い石が敷き詰められていて、腰掛けるのに丁度良い大きさの岩が縁を囲っている。周りの板壁と屋根は今年建てられたばかりのものだ。
すぐ近くにはちゃんと全身が浸かれそうな温泉もあるのだが、そちらはまだ壁も屋根もない。
近々ちゃんとした施設を作り、数年後には立派な温泉として開業する予定だ。
今日殿下ご一行を案内したのも、その前宣伝という意味がちょっとある。
王子殿下も浸かった湯!とか言えば確実に話題になるだろうし。ジャローシス侯爵家は商魂たくましいのだ。
「なるほど…。これはとても良いな」
「疲れが取れる感じだな」
ズボンの裾をまくり上げ湯に素足を浸けながら、殿下とスピネルが感心し合う。
「気持ち良いでしょう?体内の血や魔力のめぐりが良くなると言われてます」
そう答える私もまた素足だ。
少々はしたないかも知れないが、あくまで膝下だけなのでまあいいだろう。
「浸かっていると元気が出る気がする。足だけなのに不思議だ」
「この湯の成分によるものかもしれません。どうやらただの水とも違うようなので。少し変わった匂いがするでしょう?」
説明してくれたのはお兄様だ。
足湯はそれほど広くはないのもあり、今入っているのは私達4人だけである。
殿下の提案で、このあと護衛の騎士たちにも交代で足湯を味わってもらう予定だ。
「…ん?近くに川があるのか」
湯から上がり、ブーツを履いていた殿下が言った。
その視線の先、ここから数百メートルほど離れた場所には小川がある。
温泉の周辺はいずれ建物を立てる予定で広く開けているため、ここからでも川原の様子がよく見えるのだ。
「少し見てみますか?すぐそこですし、川なら魔獣は近付いてこないので大丈夫でしょう」
騎士たちが足湯に浸かっている間は手持ち無沙汰なので、私はそう提案した。
森まではかなり距離があるし、そもそも魔獣は水が嫌いなのでめったに川には近寄ってこない。万が一出てきてもすぐに戻って護衛たちと合流すればいいだけだ。
私たちだけではなく、既に一級魔術師の認可を受けているラズライトお兄様もいるし。
「どうでしょう、川を見に行ってもよろしいですか?」
ラズライトお兄様が護衛の騎士達に確認する。
すでにブーツを脱いでいた護衛の騎士は、川への距離を確認するとうなずいた。
「念の為騎士を一人お連れ下さい。必ず目の届く所にいて、川の中には入らないようにお願いします」
「おわっ。なんだこの魚。すごい模様だ」
スピネルが川の中を覗きこみ、たくさんの斑点を持つ魚を見て声を上げる。
「アカマダラプレコ、ナマズの仲間です。温泉のせいか水温が高いので、少し変わった魚が棲んでいるんですね。
個体によって模様や色合いが違うんですが、それはすごく真っ赤ですねえ。スピネル様の頭みたいですよ」
今度は私が説明した。この手の話はやはり兄より私の方が詳しい。
しかし髪の色をナマズに例えられたスピネルは憮然とした顔だ。
「褒めてるんですよ?綺麗な色じゃないですか」
「嬉しくねえよ!じゃあお前、今日のそのスカートをカエルみたいな色って言われたら喜ぶのか?」
指をさされ、今穿いているロングスカートを見下ろす。
落ち着いたディープグリーンで、確かにこんな色のカエルもいる。
「貴方が言ったならアホな喩えだなと思います。殿下が言ったなら『ありがとうございます』と答えます」
「あからさまな扱いの差!!」
「だって、殿下にとって『カエルみたいな色』は褒め言葉です。でも貴方は違うでしょう絶対に」
「当たり前だろうが。…殿下、この喩えで喜ぶのはこいつだけだぞ。他の女には絶対にこんな事言うんじゃねえぞ」
「む、う、うむ…」
「…まさか、もう言った事あるのか…?」
「…あまり喜んでいないようだとは思ったんだが…」
殿下はちょっぴり落ち込んでいた。
こんなに素晴らしい方である殿下が、どうしてご令嬢達と仲良くなれないのだろうとずっと不思議だったのだが…もしかしてこんな所に原因が…!?
「だ、大丈夫です殿下!!いつかはきっと殿下の真心が伝わるはずです!!」
「いや、まず別の喩え方を覚えるべきだろ」
「努力する…」
それからもあれこれ言いながら川を眺めていたのだが、ふと殿下がある大岩を見上げて言った。
「この岩だけ、やけに大きいな」
確かに、この川の岸はせいぜい数十センチほどの大きさの岩や石で埋まっているのに、この一つだけやたらと大きい。高さ2メートルを軽く超えている。
「……?」
「殿下?どうしました?」
「いや…この岩、何かおかしくないか?うまく言えないが…」
「え?」
私は首を傾げて岩を見つめる。見た所、大きさ以外は何の変哲もないただの岩だが…。
そして、ふと思いついて岩に探知魔術を流してみる。
「…本当だ。何かおかしな気配がします」
「どういうことだ?」
眉を寄せた私に、スピネルが怪訝な顔をした。私達の後ろに回り、少し下がって岩全体を眺める。
「普通の岩にしか見えないぞ?」
「巧妙に隠蔽されてされていますね。うーん…」
目を閉じてもう一度魔術に集中すると、ほんの一瞬。ものすごく複雑な構成の魔法陣が見えた。
「えっ?」
慌てて探知魔術を解除し、手を引く。
「リナーリア、どうかしたのかい?」
離れたところで私達を見守っていたお兄様が、魔術の気配に気付きこちらに寄ってくる。
「あ、はい。それが…」
お兄様に話そうとしたその時。
突然、足元を大きな揺れが襲った。
「わっ…!?」
立っていられないほどの大きな揺れ。低い地鳴りがあたりに響く。
地震だ。しかも、とても大きい。
転びそうになり、咄嗟に殿下と二人で目の前の大岩にしがみつくと、いきなり岩の一部がぼうっと光った。
同時に、足元に複雑な円と線が絡み合った不思議な模様が浮かび上がる。
「え!?」
慌てる暇もなく、私と殿下の身体が宙に浮いた。地面の揺れから解放され、全身を浮遊感が包む。
覚えのある感覚。この現象が何を指すのかをすぐさま理解し、愕然とする。
転移魔術だ。
「殿下!!リナーリア!!」
揺れのために地面に膝をついていたスピネルが叫んだ。
足元が定まらない中で無理矢理立ち上がり、身体強化を使って大きくこちらへと踏み出す。
「スピネル!!」
「スピネル様!!」
私と殿下の声が重なる。
「リナーリアを!!」
「殿下を!!」
驚愕に染まった殿下の翠の瞳が私を振り返る。
必死の形相でスピネルが手を伸ばし、殿下の腕を掴む。
…そして、私は二人の目の前から消えた。




