第9話 無口な令嬢
「スピネル様!お願いします、ご令嬢方と上手く会話する方法を教えて下さい…!」
「……は?」
城の薔薇園近くの庭、ガーデンパラソルの下。
ガバっと頭を下げた私に、お茶を飲んでいたスピネルは間抜けな声を出し、エスメラルド殿下はちょっと目を丸くした。
私はお茶会というやつが苦手である。特に、ご令嬢達とのお茶会が苦手である。
これは前世からだ。何しろ元々あまり社交的な質ではない。
そして、王子の従者というのは女性から大変に人気がある。平たく言えばモテる。
将来高官の地位が約束されている若い男。どう見てもお買い得な物件だ。しかも上手くすれば王子や王家ともお近付きになれる。
なので私は、お茶会でも学院でも非常に女性から話しかけられやすかった。
従者リナライトが目当てなのか、王子が目当てなのか、はたまた両方か。上目遣いでしきりに擦り寄り媚を売ってくるご令嬢のなんと多いことか。
しかしその目は獲物を狙う鷹のごとく、である。
他のご令息からの嫉妬とやっかみの視線もなかなかに辛い。
さらに大抵の場合同席している(むしろ私の方が同席させられている立場なんだが)殿下は無口であまり喋らない。必然私が応対する事が多くなる。とても胃が痛い。
ゆえに、私はお茶会というやつが苦手なのである。
貴族の子供は12歳頃から、親の同伴なしでもお茶会や昼間催されるパーティーに出席できるようになる。もちろん、自分で開く事だって許される。
今世の私リナーリアも12歳になった事で、ご令嬢方からのお茶会への誘いがずいぶん来るようになった。
殿下と親しいという噂はもうすっかり広まったようなので、そのせいもあるのかな?と思うのだが、なぜかご令息の家からはあまり来ない。何故だろう。
だが別に構わない、重要なのはご令嬢の方なのだ。
貴族の同性同士の付き合いというものは非常に重要である。
うっかり疎かにしていると、爪弾きに遭い学院生活から結婚から就職からとんでもなく苦労する羽目になる。親兄弟にまで迷惑が掛かる事も珍しくない。お兄様の結婚に支障が出たら困る。
何より、私にはあの女の動向や正体について探るという大切な目的がある。
ご令嬢方の持つ情報網が絶対に必要だ。
だから意気込んでいくつかのお茶会に参加してみたのだが、想像以上に辛かった。
ほとんどはごく普通にお花だの憧れの異性だの貴族間の噂だのについて和やかに話すのだが、時折挟まれる自慢話や探り合いや嫉妬や牽制は聞いているだけで精神を削る。話を振られでもしたら尚更だ。
男同士での腹の探り合いには前世で慣れていたが、女同士のそれはまた違ったいやらしさがあった。とても胃が痛い。
あと、殿下やスピネルについて根掘り葉掘り訊かれるのも非常に困る。あまり何でも話せるものではないし。
…そんな訳で、冒頭に戻る。
「…実は、お茶会でご令嬢方と上手く話す事ができないのです。私、女性らしい社交会話というものが苦手でして…」
「あー…。だろうな…」
「分かる、俺も苦手だ」
納得したような顔のスピネルに対し、殿下はうんうんと同意してくれる。ちょっと嬉しい。
「私には身近に同年代の少女があまりいないのです。使用人のコーネルとは仲良くしていますが、彼女は無口な方なので普段あまり多く話しません。だから、お茶会に行っても…」
「何を話せばいいのか分からない、か?」
「はい…。植物についての知識はありますので、ご令嬢の好きなお花の話などもしてみたんですが。私の話はどうも専門的というか理屈っぽいらしく…」
土壌だの発芽方法だの肥料の種類について話してもご令嬢方には全く受けなかった。難しいお話をされるんですのね、とむしろ嫌そうな顔をされた。
前世ではそれなりに聞いてもらえたのだが、あれは右から左に流してただけなんだろうな…。薄々気付いてはいたけど…。
「確かにな。俺もお前の話は聞いてて半分もわからん事がよくある」
「俺はリナーリアの話は面白いと思うが」
「それは殿下だけだ」
そうなんです…殿下のお気持ちは大変ありがたいのですが、それではダメなんです…。
「しかし、何だって俺にそんな事訊くんだ?他にいるだろ」
「もちろん私も、最初はお母様に相談したんです。そうしたら『もっと普通の女の子が好きそうなお話をしなきゃだめよ』と言われたので、ご令嬢が好きそうなお茶やお菓子とか、他愛のない噂話などについても頭に詰め込んでみたんですが…その、やっぱり理屈っぽすぎたらしく…」
「…引かれた訳だな」
「はい…」
お菓子の原材料やお茶の発酵方法についての説明はやっぱりあまり受けなかった。
他の貴族の噂話が最も食いつきが良かったが、あまりその手の話ばかりして下品だと思われるのも困る。どの程度のバランスで話せばいいのか分からない。
「スピネル様は、お城でもよくご令嬢やご婦人方と楽しそうにお話をされてますよね?猫を被るのもとても上手です。ぜひ、私にその極意を伝授していただきたいのです」
そう、スピネルはよく女性から声をかけられている。同年代の少女だけじゃなく、年上の女性からもだ。
よく分からないがきゃあきゃあと黄色い声で騒がれているのも見かける。
これは単に顔が良いからだけではないだろう。愛想が良く、弁が立つからモテているのだ。こいつは殿下や私以外の貴族に対しては、それはもう爽やかな笑顔で丁寧に接している。
前世では学院であれこれと浮名を流していた記憶もある。それでいて意外に悪い評判は聞かなかったので、女性の扱いは確実に上手いはずなのだ。
「猫を被るってお前なあ…。俺だって色々苦労してんだぞ」
気軽に言うなよ、とスピネルが顔をしかめる。
知っている。王子の従者が周囲からどのように見られ、どのような対応を求められるか、その難しさはよく知っている。
誰にでも愛想良く、それでいてへりくだり過ぎないように。毅然としつつも、敵を作らないように。主の体面を、権威を傷つけてはいけないのだ。
だが非常に悔しい事に、その面において彼は私よりよほど上手くやっているように見える。
あのちょっとムカつく爽やか笑顔も、彼が処世術として身に着けたものに違いないのだ。
だから私は、自分の思いを素直に打ち明ける事にした。
「わかっています。…あ、いや、全部がわかるわけではないですが…。その苦労をあまり表に出さないスピネル様は、とても凄いと思います。だからこそ貴方に相談しようと思ったのです」
「……」
いきなりストレートに褒められ、面食らったらしい。
スピネルは黙り込むとぷいっと横を向いてしまった。
「スピネルは照れているんだ」
「殿下!!そういう事は言わなくていい!!…ああもう、分かった。俺でいいなら、ちょっとはアドバイスしてやる」
がしがしと頭をかきながらそう言う。
「ありがとうございます!!」
こいつ意外とおだてに弱いらしい。覚えておこう。
スピネルは近くのメイドを呼ぶと、新たなお茶を淹れてもらった。
僅かな間その香りを楽しみ、一口飲んでから、カップを置き人差し指を立てる。
「リナーリア。お前がなるべきなのは『無口で控えめなご令嬢』だ」
「無口…?」
会話方法を尋ねているのに、無口とはどういう事か。
疑問に思う私に、スピネルは横の殿下を視線で示す。
「殿下を見てみろ。さっきから大して喋ってないが、お茶会ではもっとひどいぞ。おかげですっかり無口王子で通ってるが許されている」
「それは殿下だから許されているのでは?あと、多分スピネル様のフォローのおかげですよね?」
「二人共さりげなく酷い事を言っていないか」
「それもあるが、殿下はそういう方だってもう皆が知っているからな」
殿下の抗議は黙殺された。すみません殿下…。
「俺はお前もその方向で行けると思う。お前は貴族の間では引っ込み思案で人見知りなご令嬢ってことになってるからな」
「えっ、そうなんですか!?」
全然知らなかった。
確かにそういう傾向はあると自覚しているが、なるべく頑張って表に出さず、誰に対してもしっかり応対していたつもりなのに。
やっぱりお茶会で失敗ばかりしたからそう思われたのかなあ…。
ちょっとしょんぼりした私に、スピネルは咳払いをした。
「あー…とにかくまあ、その噂を利用すればいい訳だ。幸い、お前は見た目だけはいかにもそれっぽく大人しそうだからな。隅で目立たないようにして、微笑みながら話を聞いてれば大体なんとかなる」
「そ…それだと確かに問題は起きないかも知れませんが、仲良くなる事もできないのでは…?」
「いっぺんに何でもやろうとするな。そこらはおいおいやって行けばいいんだ。まずは周囲の話を聞く事から始めて、少しずつ雰囲気に慣れていけばいい」
確かに一理ある。うーん、やはり慣れるしかないのだろうか…。
眉を寄せて唸る私に、スピネルが指をもう一本立てた。
「それから、もう一つ重要なことを教えてやる。…いいか、女と仲良くなる時に一番大切なのは『共感』だ」
「共感?」
「そうだ。例えばここに、ひどく落ち込んでいる女性がいるとする。どうやら彼女は、昨日大切な友達と喧嘩をしたばかりらしい。お前は、なんて声をかける?」
「…大変ですね、良かったら一緒に謝りましょうか、とか?」
「それは残念ながら悪手だな。俺なら『可哀想に。大切な友人と喧嘩をして、とても傷ついたことだろう。その気持ちはよく分かる。俺で良ければ、詳しく話を聞こう』…とまあ、こんなとこだな」
「むむ…。なぜ私のはだめなんでしょうか?」
解決方法を示しただけなのに…と思う私に、スピネルが言葉を続ける。
「謝って仲直りすりゃ済む話だってのは誰にだって分かる。それなのにわざわざ他人に話すのは、ただ話を聞いて欲しいって事なんだよ。つまり…」
「ああ、そこで共感な訳ですね。求めているのは解決してくれる相手ではなく、話を聞いて自分の気持ちを分かってくれる相手だと」
「そういう事だ。だいたい友人同士の諍いなんて、首を突っ込むとろくな事にならないしな。
よほどの事情なら手を貸しても良いだろうが、大抵はただ愚痴を聞いてやるだけで十分だ。本人達に解決させた方がいい」
スピネルはたくさん喋って喉が渇くのか、またお茶を飲む。
「…そうやって上手く共感してやりながら話を聞いていれば、相手は『この人は私の事を分かってくれる人だ』って印象を持ってくれる。女と仲良くなるにはこれがとても大事なんだ。
逆に、自分を理解してくれない相手に対して女は冷たい。聞いていてどれだけアホらしい話だと思っても絶対に顔に出すな。決して否定しないで、辛抱強く話を聞き続けるのがコツだ」
「ははあ…なるほどぉ…」
私はとても感心した。
確かに、相手の話に共感して取り入るのは社交術の初歩だ。私は相手がご令嬢だからと、難しく考えすぎていたのかも知れない。
殿下も同じく感心したらしく、大きくうなずいている。
「スピネルはすごいな。どうりで令嬢たちから人気があるわけだ」
「まあ二番めの兄貴からの受け売りなんだけどな」
「ああ、あの近衛騎士のお兄様ですね」
スピネルの兄の一人は近衛騎士団に所属していて、私も城で何度か会った事がある。
人当たりが良く、どことなく色気のある整った顔立ちがいかにもモテそうな印象の男だ。
「そうだ、この共感のテクニックは男にも有効だぞ。男も自分の話に共感してくれる女には弱いからな」
スピネルがそう付け足した。
確かにそれは私にも心当たりがある。
「分かりますわ、その気持ち」とか優しく言われるとついうっかり気を許して、あまり話すべきじゃない事まで話してしまったりしたな…。ちょっと苦い思い出だ。
まあそれは置いておいて、スピネルのおかげでお茶会での会話への対処方法が分かった。上手く実践できるかどうは分からないが、そこは努力して何とかしていくしかないだろう。
なんだか先行きが明るくなった気がして、私は嬉しくなってしまった。
思わず身を乗り出し、スピネルの手を両手で握りしめる。
「ありがとうございます!スピネル様のおかげで何とかなりそうな気がしてきました…!」
笑顔で精一杯の感謝の意を伝えたのだが、しかしスピネルはなぜか固まってしまった。
「……?」
どうしたのかと首をかしげる私に、殿下が言う。
「リナーリア。手」
「あ…!す、すみません、はしたなかったですね」
慌ててぱっと手を離す。感激のあまり勢いで手を握ってしまったが、まずかったらしい。
また怒られるか?と思ったが、スピネルはむしろ呆れているらしく片手で顔を覆って俯いている。
「…お前…。…さっきのやっぱ無しだ。共感するやつ、男には使うな」
「ええ?何でですか?」
間違いなく使えるテクニックだと思うのだが。
情報を集めるためには男の知り合いだっていた方がいいし。
「いいからやめとけ。絶対事故が起こる」
「なんですか事故って」
「俺もやめた方がいいと思う」
殿下にまで言われてしまった。
何だか納得いかないが、私はしぶしぶうなずくしかなかった。
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サブタイトルを付けてみる事にしました。




