11 大詰めでしょうか
週末、わたくしは今後の娼館経営の相談のために黒楼亭に来ていた。
これから様相を変えて立て直していく上で、環境などを整えておく必要があるからだ。
それに加えて、ここがもともと人身売買の本拠地だったこともあり、どこかに重要な書類が残されていないかと探ろうと思っている。
お金になりそうな絵画や装飾品などは慌てて持ち出されたらしく、執務室はガランとした印象を受けた。
「ここにはないわね……。もう処分してしまったのかしら。バート、そっちはどう?」
書類を探す手を止め、わたくしは手をぱんぱんと払う。置きっぱなしになっている机やチェストの引き出しは粗方探ったけれど、それらしきものは出てきていない。
「こっちにめぼしいものは無さそうだ」
手にしていた本を書棚に戻しながら、バートも嘆息する。
先日のフリードリヒ殿下の話し合い以降ずっと行動を共にしてくれている。学内でもそうなので、経営学クラスの同級生に温かな目を向けられてしまっている。
音楽祭までは気恥ずかしくなっていたというのに、今ではまた以前に戻ったようで。
──落ち着く……というのは不思議な感情なのかしら。
「もう全て処分してしまったのかしらね。もっと分かりにくいところに何か落ちていたりしないかと思ったけど……」
気を取り直したわたくしは同じく作業に来てくれていたセドナの方を振り返る。セドナも別の本棚の本の間を探りながらハッとした顔をした。
「そうですね……構造上、もしかしたら」
「セドナさん、何か心当たりがあるのですか?」
セドナに声をかけたのはバートだ。
何か思い当たる節がありそうな顔をしたセドナは、わたくしたちの前で部屋の中を歩き始めた。何かを確かめるように、ゆっくりと足を進めている。
「前の娼館でもそうだったのですが、床下や壁裏に金庫を設けていることがあります。例の商会は急な経営不振でしたので、夜逃げするように撤退した結果、もしかしたら隅々まで見ていない可能性があります」
絨毯の上を歩いていたセドナは、ある一点で足を止めた。そこだけ他の場所とは違ってギッと床が軋む音が聞こえた気がする。
「……たとえば、こういう所とか。ランベルト様、そちらを持っていただけますか」
「セドナ、わたくしも手伝うわ」
「ありがとうございます。ではオーナーはそちらを」
セドナに指示をされ、わたくしとバートはそれぞれ絨毯の端をとる。それから徐に持ち上げると……板張りの床の一箇所に四角の隠し扉のようなものが現れた。
「床下収納か」
「ええ。裏稼業をしていたのであれば、帳簿などは表には置いていないはずですからね。役人がくれば金庫を検められる可能性もありますし」
セドナの言はやけに実感がこもっている。
もしかして、ユエールでも度々検査が入ったりしたのかしら?
「ねえセドナ、もしかしてユエールの娼館にもこういうのがあったの?」
「うふふ、秘密です」
人差し指を唇の前に添えて妖艶に微笑むセドナにわたくしも笑顔を返すのみだ。もうあの娼館は一度全てなくなってしまったので、真相は分からないけれど……あれは十中八九あった顔だ、うん。
「開けるぞ」
バートが収納扉の金具に手をかける。ギギギと鈍い音を立てながらその戸が開き、わたくしとセドナはそこを覗き込んだ。
「あら……なんだかとっても怪しい感じがするわ」
「ふふふ。当たり、ですかね」
わたくしの感想に、セドナも
そう広くない収納庫の中に、黒い表装の冊子がどさりと積まれている。鼻をつくようなツンとした匂いはカビなのだろう。つまり、かなり古いものもありそうだ。
「このまま触れるのは危険ね。それにこれ以上ここの空気を吸うのは良くないわ。カビは身体に悪いもの」
ハウスダストの原因となるカビ。わたくしも前世でしばらくお世話になった記憶がある。雑然とした収納庫を整理するには、きちんと準備が必要だ。
一旦この作業を中断しようとした時のこと。
──ガラガラガラ!
窓の外からけたたましい音がした。急いで窓のそばに寄ると、街道の向こうから一頭立ての馬車がこちらに向かって走ってきているのが見える。
「まあ、何かしら。かなり急いでいるのね……?」
かなり荒っぽい運転なのか、異質な騒がしさがある。
こんな昼の最中に、娼館のある地区一帯にこうして騒がしく走ってくる馬車なんて見たことがない──そう思ったところで、その馬車はこの娼館の前に急停車した。
ええ……?
もしかして、と思っていると。その馬車からは黒い外套を被った怪しい人物が降りてきた。それから中から大きな麻袋のようなものを持ち出してきてこの黒楼亭に二人がかりで持ち込もうとしている。
「この娼館に来るみたいね……?」
わたくしの言葉にセドナが頷く。
「はい、そのようですねえ。あらあら、まだ前のようなことをやっていると思っているのでしょうか」
「そこでソフィアを見かけた時と全く一緒だわ。あっ、裏口を叩き始めたわ」
「あらあら。どうしますか?」
セドナに問われ、わたくしは一度深呼吸をする。何の目的かは知らないが、どう見ても彼らは合法的な存在ではないだろう。
「わたくしが対応するわ。それであの、バートとセドナにお願いがあるのだけれど」
「もちろんだ。一人で行かせるわけがない」
「では、先に奥の部屋に案内しておきますね。その間にオーナーはしっかり変装なさってください」
頼もしい二人に微笑まれ、セドナが先に対応に向かったのを見送ったわたくしも急いで準備を始めることにする。
髪は簡単に夜会巻きにして、顔がわからないように黒いベールがついた帽子のヘッドドレスを装着する。それから黒いストールを身に纏って素性が分からないように変装する。
「バート、どうかしら?」
「そうだな……紅はあるだろうか?」
「そうね。化粧道具ならそこのドレッサーにあったと思う。真っ赤なものにしましょう!」
真っ赤な口紅を引けば、もうわたくしがディアもしくはディアナだと一目でわかる人はいないだろう。
出会った頃のセドナと百花楼のマダムのことを思い浮かべながら、彼女たちのようになりきれるようにと自分で暗示をかける。
「ではマダム、お手を」
髪を後ろに流し、恭しく腰を折るバートはまさしく娼館のマダムの従僕だ。
「ありがとう。では行きましょう」
わたくしはバートのその手を取り、ゆっくりと階下の部屋へと向かう。
あの者たちが何者で、どういった案件なのか。
少し緊張するけれど……でも大丈夫だと思える自分もいる。
扉の前で深呼吸をして、わたくしはそれからまっすぐに前を見た。




