10 不穏な動きがあるようです②
皆に倣って、わたくしは案内された席に着く。
久しぶりだわ、こうして生徒会室に来るの。
ついつい物珍しくて、キョロキョロと辺りを見渡してしまう。
アンティック・ローズの深みのある赤色の絨毯が敷かれていて、部屋の左端には応接テーブルと長椅子がある。
そういえば、よくああいう場所でサフィーロ殿下たちはソフィアを取り囲んで歓談をしていたっけ。
アレクとせっせと書類仕事をしていたユエールでの日々。働かない殿下たちに注意したら「生意気だ」と生徒会から締め出されたことも懐かしい。
書棚には本が整然と並んでいて、ラベリングも分類ごとの仕分けも美しくなされている。すごいわ、とっても素敵……!
美しい本棚には抗えない魅力がある。わたくしがその美しさを噛み締めたくてじっくりと眺めていると軽い笑い声が聞こえた。
「ふっ、ディアナ嬢が書類仕事に優れているのはアレクから聞いて知っていたけれど、そこまで目を輝かせるなんてね」
フリードリヒ殿下が心底楽しそうに笑っている。
「まあ、ありがとうございます。書類仕事は割と好きだったので……」
言いながら、アレクの方を見る。すると彼も穏やかに微笑んでいて、間違いなく殿下に何か伝えたに違いないことがわかった。
何を言ったのか気になるわ。
「ちょっと君と色々話したいことがあったんだけれど、城に呼びつけるのもなと思っていてね。色々この学院も立て込んできたから、こうして招いてしまったことを許してほしい」
「いえ、それは構いませんけれど……本当のご用件はなんでしょう?」
申し訳なさそうな顔をしているフリードリヒ殿下に、わたくしは聞き返す。
殿下たちが私をここに呼んだ本来の目的が、先ほど言っていた『ユエールのこと』でないことは百も承知だ。
「マーヤ・スワローのことだ。君は彼女の正体を知っているね?」
「……、はい」
フリードリヒ殿下に問いかけられて、私は一瞬思案した後、神妙な顔で頷いた。
こちらを見据えるフリードリヒ殿下の表情は柔らかではあるが、正しい答えだけを求めているのがわかる。
「彼女がここに来てから、直接話したことはある?」
そう尋ねられて、エレオノーラ様のことも言っていいのだろうかと逡巡したけれど、今は話したほうがいいと判断する。
「はい。以前放課後の校舎でエレオノーラ様がちょうどマーヤさんとお話しされているのを偶然お見かけして、その後に彼女に気づかれてしまったので少しお話ししました」
この前の出来事を端的に話すと、エレオノーラ様は驚いた顔をした。
「まあ……! あんなお見苦しいところをディアナ様に見られていただなんて……! とっても恥ずかしいですわ」
頬に手を当て、エレオノーラ様は本当に恥ずかしそうに身を捩っている。確かにあの後彼女とこの件について話す機会はなかったなと思い至る。
「……ディアナ様。私、あの方をいじめる『悪役令嬢』なのですって」
「悪役令嬢……?」
「ご友人たちにそうお話ししているみたいですわ。彼女の行動が色々と目につくところが多くてつい口を出してしまうのですけれど……不思議なお方ですね。マーヤさん」
エレオノーラ様は本当に不思議そうな顔をしているが、わたくしはなんだか頭が痛くなってきた。
悪役令嬢だなんて、そんなことまで口にしているのね……!
「その他にも、『ディアナも続編の悪役令嬢も邪魔しないし、勝ち確!』と言っていたとの報告がありますね」
「わあ……」
アレクがノートのようなものをめくりながら発言し、わたくしは頭が痛くなった。
ユリアーネさんからの報告からあったように、彼女はまだゲームの世界に囚われているのだ。ユエールでの断罪は、彼女にとってなんの毒にも薬にもなっていなかったのだと思い知らされる。
エレオノーラ様を悪役令嬢としてしか見ていないのと同様に、きっと攻略対象者のこともそうとしか思っていないし、名もなきキャラのことなどモブとしか思っていないだろう。
「この前の音楽祭で、ローザ・グランツが優勝した際は大変な荒れようだったそうだ。子息たちが何かと貢いで少し落ち着いたようだったが」
バートがため息をつく様子を見ながら、わたくしは音楽祭でのマーヤの様子を思い返してみる。
ローザさんの名前をフリードリヒ殿下が読み上げた時のマーヤは、優勝者として名前を呼ばれることを疑ってもみなかったような顔をしていた。
鬼のような形相でローザさんを睨みつけ、それからハッとしたようにいつもの笑顔を浮かべてかろうじて拍手を送っていたもの。
「マーヤさんは結果には納得いっていない様子でしたね」
「まあねえ。男爵が金を積んで優勝者にしようとしていたくらいだからなあ。僕がグラーツ嬢の名を呼んで驚いたのだろうね」
──え、なんですって?
わたくしの言葉に相槌を打ったフリードリヒ殿下がその後話した内容に、わたくしは眉を顰めた。
彼女が勝利を確信していたのは、義父から不正を聞いていたから?
「まあ殿下。そうでしたの?」
驚いた声を上げたのは、エレオノーラ様だ。
「うん。どう考えてもあの場で最も素晴らしい演奏をしたのは彼女だった。なのに投票結果が書かれた紙にはスワロー男爵令嬢の名前が書いてあってね。僕があの場で言い換えたんだ」
「グラーツ嬢の歌唱はとても素敵でしたわ。皆さんもちゃんと聴いていたら絶対にグラーツ嬢を選んだはずです!」
「そうだね、そのとおりだよエレオノーラ」
長椅子に隣り合って座るエレオノーラ様とフリードリヒ殿下があの日の出来事を話し合っている。
フリードリヒ殿下がエレオノーラ様を見つめる瞳はとても優しく慈愛に満ちていて。
どう考えても彼女が見ているゲームの景色とは違うはずなのに。
それでも、ゲームと似たイベントが起きてしまう。頭の痛いことに、この世界の強制力は侮れないのだ。
そのことがようやく分かり、ユリアーネさんに託されたメモに記載されていた今後の展開についても警戒し続けなければいけない。
「その時の不正についてはすでに調査済みで、正しい結果はフリードリヒ殿下が発表したとおりです。偽の結果を殿下に渡した生徒はすでに謹慎処分となっています」
アレクが冷静にその顛末をつらつらと教えてくれる。
あの音楽祭での発表の際に、殿下が何か握りつぶしたように見えたのは、見間違いではなかったらしい。その後のことへの対処も迅速で、さすがすぎる人たちだ。
「あの……そちらのクラスで、ローザさんは嫌がらせなどはされていませんか?」
工房で会うローザさんはそんなそぶりを微塵も見せないけれど、ヒロインといえば悪役令嬢から叱責されるものだ。そしてこの世界には悪役令嬢はいない。
ローザさんに害を加えたいと思うのは正にマーヤ・スワローしかいないのだ。
わたくしが見上げると、バートは真剣な顔で頷いてくれた。
「現時点では問題は起きていない。彼女の動向は密かに皆で見守っている。スワロー男爵令嬢に付き従っているように見える令嬢たちにも、なんとか救いの道を模索しているところなんだ」
「そうなのね。わたくしの方からも、ローザさんにはあまり一人にならないようにと友人と一緒に伝えてはいるのですが……」
「そうだな。その方がいいと思う」
ゲーム展開上、誘拐される予定となっているヒロインだから……とはとても伝えられないので『商会や以前のようなことがあるかもしれないから』とできるだけサシャさんやロミルダさんと行動してもらうことにしている。
何より、あの時のマーヤの目が忘れられない。嫉妬と羨望と憎しみがこもっていて、そして彼女はそれを躊躇なく行動に移すことができる底知れぬ怖さがある。
「こうしてマーヤさんのことを聞くために呼ばれたということは、音楽祭の一件以外にも彼女は何か企んでいるということですよね?」
「そうだね。スワロー男爵には余罪もたくさんあるし、できればこのあたりでまとめて決着をつけたい。君のおかげで商会を失い、人身売買のルートも潰えていよいよ焦っている頃合いだろうからね。そして彼女は……ユエールでもきちんと罪を償うべきだからさ。そうだろう?」
わたくしが尋ねると、フリードリヒ殿下の目が妖しくギラリと光る。
彼女がソフィアであることも、ユエールでのことも知っているのだ。
わたくしがこくりと頷くと、バートとアレクが心配そうにこちらを見ていることに気がついた。
ソフィアとずっと一緒だったのは彼らも同じだ。そして今も同じクラスで過ごしている。
フリードリヒ殿下は、ふうと息を吐く。
「これで情報の共有ができたね。あとは、これからの動きについて考えていこう。バートはディアナ嬢についているよね? グラーツ嬢には影の者をつける。それからアレクはスワロー男爵周りの罪を洗い出していこう。エレオノーラは今まで通り、スワロー嬢が間違ったことをしたら正してくれていい」
「分かりました」
「ええ」
殿下のその一言で、また部屋の空気が変わる。これから、とても大きなことが起きようとしているのだと実感する。
それから話が終わって、わたくしはバートと共に部屋を出た。
「……ごめんね、ディアナ嬢」
この部屋を出たあと、フリードリヒ殿下がそんなことをポツリと呟いていたことなんて、もちろんわたくしは知る由もないのだった。
また少し間隔が空いてしまいました…!
エンディングに向けて頑張っていきますね!!
下にあるとおり、7月25日にコミックス5巻が発売されます。原作を元に丁寧にコミカライズしていただいておりますのでぜひよろしくお願いします!!




