9 不穏な動きがあるようです
音楽祭が終わり、年内の大きな行事は年末の創立周年パーティーのみであるらしい。あくまで乙女ゲームのイベントで言えば、だけれど。
(ガラスペンの出荷は順調のようだし、今日もまたサシャさんたちが新商品を試すと言っていたわね)
今の所、怖いくらいに順調にことが進んでいる。
ガラスペンについては、工房の職人さんたちの方がわたくしよりもちろんプロなので、スポンジが水を吸い上げるようにどんどんと新しい知識を吸収し、もっと書き心地が良く見栄えの美しいペンにするにはということを職人目線で改良している。
エクハルト商会は、そんな職人たちの魂のこもった一品を、こちらもまた熱意を込めて販売している。
一時期はライバル商会の妨害により経営が厳しいところまで追い込まれていたようだけれど、今ではそのライバル商会の方が風前の灯のようだ。
堅実に良品を取り扱っていたエクハルト商会にはまた客が戻り始めて、信用も回復に向かっているそうだ。
元々、エクハルト商会の名を騙って粗悪品を高値で売っていたりする連中がいたらしいけれど、その人達ももう捕えられているようだ。
(黒楼亭の譲渡も無事に終わって、中にいた子たちもみんな引き取ることができたし……ええと、次は)
わたくしは頭の中で色々と考えを巡らせる。
商会の経営不審のおかげで手中に収めることのできた黒楼亭には、やはり人攫いの被害者の子達も多数いた。
王宮から女性騎士を派遣してもらって、その子達は今王宮預かりとして保護されている。
以前からフリードリヒ殿下が懸念していた人身売買ルートの証人にもなるとのお考えだ。今は、バートからの報告を待っている。
次は、黒楼亭をどう改装しようかしら。前は和風カフェのようにしたけれど、今回も同じ路線で行くべきか否か。悩ましいところだわ。
頭の中でやることを整理しながら、わたくしは生徒会へと足を進める。どうしたことか、今日は生徒会室に呼び出されてしまった。
「ディア様っ。お久しぶりです!」
経営学クラスから棟を移動すると、嬉々とした表情を浮かべるエレオノーラ様と合流することになった。今日も美しい。
「エレオノーラ様もお元気でしたか?」
わたくしがそう問えば、いつもは凛としている表情をやんわりとほころげ、とびきりの笑顔を見せてくれた。
「はい! 色々と心配事があって最近は少し憂鬱でしたが、こうしてディア様とご一緒できるならばそんなものどこかに吹っ飛んでしまいましたわ!」
「そ、そうでしょうか」
今はディアの名で呼んでくれているが、以前からこのお方はディアナ・アメティスという人物をやけに神格化しているようなところがある。それがどこかくすぐったく、気恥ずかしい。
彼女の好意は、最初に初めて顔合わせをしたアドルフ侯爵家でのお茶会の時から感じてはいるが、あまり接触する機会のなかった今でも変わらずにそう思っていてくれているようで、ホッとしてしまう。
そう、この学院に来てから、彼女がこうして表立ってわたくしに話をしにくる事はなかったはずだわ。
一体どうしたのだろう。
わたくしは楽しそうなエレオノーラ様の横顔を見つめながら考察する。
ここ最近で変わったことといえば、やはりマーヤのことしかないような気がする。
でもこの前、彼女がマーヤと真っ向から対立しているところは見ていたが、わたくしが見ていたことをエレオノーラ様は知らないはずなのに。
「ふふっ、不思議そうなお顔のディア様もとても愛らしいですわ!」
エレオノーラ様は、そんなわたくしを見てにっこりと微笑んだあと、声を潜めた。
「急なことで申し訳ありません。ディア様。あなたが極力穏やかに学院生活を送れるようにこちらからは声をかけないようにしていたのですけれど、その状況が変わりましたの」
「状況、ですか」
放課後で人が少なくなっているとはいえ、まだ人気のある校舎だ。この学院でもっとも身分の高い令嬢であるエレオノーラと連れ立っていれば、どんなに地味だろうと見た人の印象に残るだろう。
むしろ、地味だからこそ「あの子は一体何?」と思ってしまうに違いない。
あえてその状況を作るということは。わたくしとエレオノーラ様の間に特別な関係があると知らしめることが目的──そう、なんの後ろ盾もない女生徒ではないということを、周囲に対して牽制しているということになる。
そして、その状況を生み出したのは紛れもなくマーヤなのだろう。絶対そう。
「ご配慮ありがとうございます」
わたくしがそう微笑めば、エレオノーラ様はほんのりと頬を赤らめた。
「そ、それに! もうすでにランベルト様が何度もディア様に普通に話しかけているのですもの! ずる……いいえ、だったら、わたくしが我慢する必要もないことに気がついたのですわ!」
ぎゅう、と握り拳を作ってエレオノーラ様が力説する。わたくしはそれを聞いて、目をぱちくりと瞬かせた。
「ランベルト様ったら、ずっと前からディア様の周囲の男子生徒を牽制してらして……そのやり方を、わたくしも参考にいたしましたの!」
胸に手をあて、エレオノーラ様は得意げだ。ドヤっていらっしゃる。
──バートが牽制? 周囲を?
わたくしはエレオノーラ様から与えられた情報を整理するのにいっぱいになっている。
ダンスレッスンの時もそうだし、サマーパーティーでも音楽祭でもバートは普通にわたくしのところに来ていた。確かにそういったイベントの折、他の人から誘われたりはしたことがない。
でもそれは。
「それは……わたくしがこうして地味にしているから、誰も話しかけてこないのではないでしょうか」
昔から、年の近い人に気軽に話しかけられたことなどあまりない。
男性だったら、家族であるお兄様を除けばアレクとバート、それからクイーヴくらいじゃないだろうか。
フリードリヒ殿下はなんとなく気軽という感じではないし……?
わたくしの思考が混迷を極めていると、エレオノーラ様から「ふふっ」という軽やかな笑い声が聞こえてくる。
「いくら外見を装っていても、ディアナ様の所作や話し方からただものではないことは分かる人には分かります。そういう有象無象を、ランベルト様はいつも睨みつけて」
「エレオノーラ嬢。少しおしゃべりが過ぎるのではないかな?」
わたくしたちの前に颯爽と現れたのはバートだ。にっこりとした笑顔だが、なんとなく目が笑っていないような気がする。
その後ろにはフリードリヒ殿下がいて、どこか笑いを堪えるような表情をしていた。
「まあ、ランベルト様とフリードリヒ殿下! ごきげんよう」
そんなことは気にも留めず、エレオノーラ様はゆったりと挨拶をする。彼女の視線はもう殿下に釘付けだ。本当に、仲の良い婚約者同士で結構である。
「生徒会室にまで話が聞こえていましたよ。全く、この廊下は一般生徒が使わないからいいものを……」
「エレオノーラ。ほらほらバートが怖いからこっちにおいで」
バートが険しい表情で言うと、フリードリヒ殿下はまだ楽しそうだ。
そんな二人を見ていると、バートの瞳とパチリと目が合った。
「……ご、ごきげんよう」
「……ディアナ。エレオノーラ嬢が言ったことは、全て忘れてくれ。すぐに」
「ええ、わかったわ。ふふふっ」
難しい顔をしていうバートがおかしくて、わたくしは思わず笑ってしまう。
そんな器用なことなんてできるわけないのに。
「呼び立ててすまないね、ヴォルター嬢。ユエールのことで聞きたいことがあってね。さあ、生徒会室へ」
居住まいを正したフリードリヒ殿下がそう言うと、わたくしたちを生徒会室へと誘う。
ユエールからの留学生であるディア・ヴォルターという生徒の設定を守ってくださっていてありがたいことだ。
「さあ、行きましょう。ディアさまっ」
エレオノーラ様に手を引かれ、わたくしは生徒会室へ足を踏み入れる。
中にはアレクと、この前ローザさんと踊っていた男子生徒がいた。
いつも誤字報告ありがとうございます。大変助かっております…!




