8 音楽祭がはじまります③
それから、わたくしは穏やかな気持ちで他の人の演奏を観覧する。
「今度また、新しいガラスペンの試作品を見に行くの」
「そうなのか」
「ロミルダさんもサシャさんも、みんな張り切ってくれていて! カラーのインクはどうかと思うのだけれど、インクってどうやって作るのかしら」
「ふむ……確かにピンとは来ないな」
合間に娼館やガラスペンについての現状を話しながら、ピアノに始まり珠玉の演奏が続き、いよいよ最後が声楽部門になるようだ。
つい力が入って、わたくしは唇を引き結ぶ。
『では続きまして、声楽部門より推薦選出のマーヤ・スワロー男爵令嬢。お願いいたします』
最初に呼ばれたのは、マーヤの方だった。
自信満々な姿で、豪華な赤いカクテルドレスを身に纏っている。それからピアノの伴奏に合わせて、彼女らしい明るい曲調の歌を歌い出した。
悔しいけれど、上手だ。わたくしもディアナも歌は苦手なので、その点においては複雑な気持ちになる。なんとも複雑な気持ちだ。
観客も同様で、彼女には人を魅了する力が確かにある。
本当に。乙女ゲームになどこだわらずに彼女らしく生きるだけでいいのにと、そう思ってしまうのはわたくしのエゴなのだろう。
『最後になりますが、ローザ・グラーツ嬢です』
意気揚々とマーヤが歌った後、ローザの番になった。いつもと同じ学院の制服姿の彼女に、会場は俄かにざわざわと騒がしくなる。
確かに、この流れで一番最後に平民が歌うとなると、貴族社会においては異例なものに映るだろう。わたくしはハラハラとした気持ちでその様子を見つめる。
それでも彼女は舞台の中央で頭を下げると、しっかりと前を向き、口を開いた。
「「「!」」」
──透き通るような歌声に、会場の空気が一変した。
騒がしかった観客も口を閉じ、華奢な彼女からは想像できないような、遠くまで届く力強い声。
伴奏もない中。彼女のソプラノが会場の奥まで突き抜ける、
「すごい……素敵だわ、ローザさん……!」
わたくしはうっとりと聴き惚れる。隣でバートも息を呑んだのがはっきりとわかった。
「……これは……彼女に決まりそうだな、今年の女王は」
そう呟くバートにわたくしは「女王?」と聞き返す。
「音楽祭では、最後に誰がもっとも優れた奏者だったかが発表される仕組みになっている。最優秀奏者は、その生徒が男子生徒であれば王、女生徒であれば女王と呼ばれるらしい」
「そうなのね」
「色々と怪しい動きもあったが、ローザ・グラーツがここまで素晴らしいとは」
目を丸くして驚いた表情を見せながら純粋に褒めているバートの言葉に、友人が褒められて嬉しい気持ちになる。
ええそうよ、ローザさんは素晴らしいお嬢さんだもの!
天使のような歌声を永遠に聴いていたいと思ったのはわたくしだけではなかったようで、彼女が歌い終わると、スタンディングオベーションとなった会場からは割れんばかりの拍手が彼女に送られた。
ユリアーネさんがくれたメモによれば、この音楽祭も乙女ゲームのイベントだという。
ヒロインを操作してここまでステータスを高めることにより声楽部門で優勝し、好感度の高いキャラクターから花束を受け取るという流れになっている。
そのイベントが起きるのか、という別のハラハラとした気持ちを抱えながらわたくしは結果発表が始まる様子を固唾を飲んで見守る
フリードリヒ殿下が舞台に現れると、会場には歓声が沸き起こった。
きっと、彼が発表を行うのだろう。これだけの舞台で、王太子殿下直々に名を挙げられるとなると、またとない誉れだ。
というか、出場者のはずのバートはずっとここにいて、下に行く気配がないのだけれど……?
舞台にはずらりと演奏者が並んでいて、端っこにはローザさんもいる。
もちろん得意げなマーヤもその隣にいるのだが。
「バートは行かなくてもいいの?」
「ああ。元々頭数には入れないようにお願いしてある。生徒会も評価者に入っているから癒着だとかいらない憶測を呼びかねないし、そもそもディアナに聴いて欲しかっただけだから」
わたくしの質問に、バートは笑顔でそうさらりと答えた。
そう言われてしまえば、むぐ……と口をつぐむ他ない。なんてことだ、攻撃力が高い。
「お、そろそろか」
バートの言葉に舞台に視線を戻すと、ちょうど殿下が口を開こうとしているところだった。
「──では、私から発表させてもらう」
顔の熱さを感じながら、わたくしは殿下の次の言葉を待つ。一様に緊張の面持ちを浮かべる奏者の中で、マーヤだけがやけに得意げだ。
まるで、自分が呼ばれることが確定しているかのような──?
「今年の最優秀奏者は、声楽部門の……ローザ・グラーツ。天使のような透き通る歌声は、会場の心を打った。これからも精進するように」
「わ、私ですか……!?」
「ああ、君だ。どうぞこちらに」
マーヤの態度に違和感を覚えていると、殿下はローザさんの名を呼んだ。
自分のことのように嬉しく、壇上で驚きのあまり感涙しているローザさんを見ながら、わたくしは精一杯拍手を送る。じんわりと涙まで込み上げてきた。純粋に、彼女を祝う気持ちでいっぱいだ。
殿下は笑顔でありながら、手にしていたカードをグシャリと握りつぶしたように見えたが、気のせいだろうか。
舞台袖から、花束を持った男子生徒がローザさんの元へと歩み寄り、その花束を渡している。彼は、以前サマーパーティーの時にローザさんと踊っていた人だ。
確か、メモには『騎士のハンス』と書いてあっただろうか、
花束の受け渡しをしながら照れてはにかむ二人の様子を見ていたら、二人の関係性は偶然ではなさそうだ。
「ユリアーネさんのメモの記載からすると、ローザさんはハンスルートに入ったということ……?」
バートに気づかれないように、そう小さく呟く。ゲームの世界と全く一緒ではないと分かってはいるが、時折強制力のようなものを感じてやまない。
ふとステージにずらりと並んだ奏者達を見ると、ゾッとするほどの視線をローザに向けている女生徒がいた。マーヤだ。
何やらぶつぶつと呟いているように見えるけれど。こちらからは当然聴こえない。
あれだけ確信的な振る舞いをしていたのだ。何か裏があったのではないだろうか。
その企みが上手くいかなかったとすれば、マーヤの取る手段は──
「ねえ、バート。ソフィア……じゃなかったマーヤは普段、ローザさんとの関わりはあるかしら?」
わたくしはバートの袖をくいくいと引きながら尋ねる。
「……っ、いや、特に衝突しているようには見えないが。エレオノーラ嬢が時折注意などをしているようだ」
「そうなの」
「心配事か?」
バートにそう尋ねられ、わたくしは真剣な表情で会場を見下ろした。
ローザさんの受賞に沸く会場で、マーヤは先ほどの形相を隠して今度はにこやかに拍手を送っている。
「……」
何だか、不穏な空気を感じる。
「バート。話しておきたいことがあるのだけれど、まだ時間はあるかしら?」
妙な胸騒ぎがしたわたくしは、隣にいるバートをじっと見つめた。
ローザさんが優勝し、音楽祭は成功に終わったと言えるだろう。
強制力があったとしても乙女ゲームのシナリオ通りには事は運んでいる。騎士様とも順調なのであれば、バッドエンドは免れたのかもしれない。
──だけれど、先ほどのマーヤの顔と彼女の執念、それからゲームの知識のことを考えるとどうしても楽観視はできない。
音楽祭の次に起こるとされているイベント分岐は確か……
「ああ、もちろん。なんでも言ってくれ」
「ありがとう。あの、ローザさんについてなのだけれど……」
わたくしは意を決して口を開く。
何が起こるかわからないけれど、起こるとされている出来事のその先に進む必要がある。
自分が娼館を事前に買収した日のことを思い出しながら、わたくしはバートにローザさん誘拐の懸念について伝えることにした。
お読みいただきありがとうございます。折り返し地点かな!?と思います。
お付き合いいただきありがとうございますー!




