6 音楽祭が始まります①
準備は進み、いよいよ学院は音楽祭当日を迎えていた。
声楽部門に参加するローザさんの勇姿を見るために、わたくしはロミルダさんと観覧席にいた。
家族招待枠として、ローザさんのお兄さんであるサシャさんが来ている。
父である工房長は今日も今日とてガラスペン作りの指揮をとっていらっしゃるそう。
「……嘘だろ、ローザのやつこんな舞台で歌うのかよ……俺だったら無理」
「わかるわ。とんでもないプレッシャーよね……」
どこかソワソワして落ち着かない様子の二人を見て、わたくしはなんだかそのお揃いが微笑ましくて、思わず頬を緩めてしまう。
授業参観に来た父母のよう、と言ったら、流石に怒られてしまうかしら。
「ディア嬢!」
二人の隣に腰掛けて観覧の準備をしようとしていた時だった、
不意に名前を呼ばれたわたくしが声の方を振り返ると、そこにはバートがいる。
黒色のタキシードに真っ白なシャツと黒のボウタイといった装いをしていて、それから髪を少し後ろに流しておりいつもの制服とはまた違った雰囲気だ。
……似合っていて、とても素敵だと、思う。
「バート……じゃなかった、ランベルト様。どうかされましたか?」
高鳴る鼓動に戸惑いながら、わたくしがそう尋ねるとバートはにっこりと微笑んだ。
バートとこうして話すのは随分久しぶりだ。
そのせいで、きっとこんなに緊張してしまうのだわ。そう、きっとそのせい。
わたくしはそう結論づけて、なんとかいつものよそゆきスマイルを作る。王妃様直伝だ。
「──ディア嬢をお誘いに参りました。エクハルト嬢、ディア嬢をお借りしてもよろしいでしょうか」
フッと口の端から笑みを逃しながら、バートがゆったりと腰を折る。優雅な所作に、周囲からもうっとりとしたため息のようなものが聞こえた気がする。
「もっ、もちろんでございますわ! どうぞどうぞ〜!!」
急に水を向けられたロミルダさんは素早く立ち上がると、頬を赤らめながらも力強く快諾した。
「わあ……とても素敵なかた」
「ランベルト様だわ」
「どなたを誘っていらっしゃるの?」
わ、わあ……!
周りが少しざわつきだし、焦ったわたくしはバートの右腕をさっと掴んだ。それから、この場を離れるようにグイグイと引っ張る。
ホールから出て廊下の隅の方に行くと、人もまばらで少しだけ落ち着けるようだった。
わたくしはちょうどいい陰を見つけて、そこでようやく立ち止まる。
振り返ると、どこか嬉しそうな顔をしているバートと目が合った。
「ど、どうしたの? それにその格好、バートも何かに出場するの?」
観客は皆制服だ。そうではないということは、バートもローザさんと同じく何らかの演目で出場するのだと推察する。
「ああ。出るつもりはなかったんだが、ピアノ部門に出場するようにと殿下から直々に依頼されてしまってね。断れなかった」
「そう……ピアノ。とっても上手だったもの、殿下のお気持ちがよくわかるわ」
昔のことを思い出して、わたくしはふふっと笑ってしまった。
殿下の従者だったバートとユエールで一緒に過ごした時間は長い。その分殿下に蔑ろにされていた時間とも言えるけれども。
ピアノを弾いてくれたこともあった。あれはいつの夜会だったかしら?
殿下とは最初のダンスだけ踊って、そこで解散になったしまったのよね。
色々と思い出してしまうけれど、その時のバートの演奏で救われた気がした。そのことを思い出して心がポカポカと温かくなり、思わず頬が緩んだままになっていると、バートがポーッとした表情でこちらを見ていることに気がついた。
「……どうかした?」
そう尋ねると、バートはハッとした顔をして、それからにっこりと微笑んだ。
「いや……ディアナは今日も愛らしいな、と思ってね」
「!!」
突然の言葉に、熱が一気に顔に集まるのを感じる。きっと真っ赤だ。
以前はもう少し心中穏やかだったはずなのに、心臓の音がうるさい。
「ま、またそんな冗談を……」
「冗談ではないよ。ディアナはいつも愛らしい」
──ど、どうしましょう!バートの……押しが強いわ……!?
恋愛耐性が無さすぎるのに、甘い言葉がましましになったバートに目がぐるぐるになってきた気さえする。
未だかつて、こんなに動揺してしまったことがあっただろうか。
そうだ、と気づく。今まで言い寄られることがほとんどなかったから、こうして必要以上に緊張してしまうのだ。
わたくしは胸に手を当て、平常心平常心……と念じながら深呼吸を繰り返す。そうしているうちに、少し落ち着いたようで、きっといつものスンとした表情に戻れた気がする。
「ありがとう。褒め言葉として受け取っておきます」
眼鏡に触れながら、極力凛とした姿でいようとバートを見ながらそう言ったのだけれど、一旦ぽかんとしたバートはまた緩やかに笑むだけだ。
「はは、ありがとう。ディアナ」
それからバートは、わたくしが咄嗟に掴んでいた手を左手で取ると、そのままエスコートをする時のように誘導した。わたくしはバートの隣に並び立つ形になる。
「君にはぜひ、特別席で見てほしいと思ったんだ。生徒会しか使えない観覧席があるから、そこで見てもらいたいなと思って。こっち」
「え、ええ……!?」
戸惑いながら、バートに手を引かれるまま階上の特別席へと連れられる。
到着すると、そこは会場にせり出した小さなバルコニーのようになっており、下からは上の様子は見えない。
そこに二人がけの長椅子があって、わたくしはバートに案内されるがままにおとなしくそこに座ることにした。
「私の出場の時は一人になってしまうけれど、ここで待っていてくれるか?」
バートの申し出に、わたくしはこくりと首を縦に振る。
舞台の様子がよく見えて、確かに下のアリーナ席よりもずっと迫力のある演奏が楽しめそうだ。壇上にあるあの大きなグランドピアノでバートがこれから演奏するのかと思うと、わたくしも少し緊張してそわそわしてしまう。
「ここは関係者以外は出入りできないようになっている。隣のボックスは殿下とエレオノーラ嬢がいらっしゃるしね」
「そうなのね。エレオノーラ様は何に出場されるの?」
「彼女はヴァイオリンだな」
「まあ! そうなのね。わたくしたちには詳細は何も分からなくて。ローザさんの出場だけを楽しみにしていたけれど、ますます楽しみが増えたわ」
ローザさんの声楽の他に、バートのピアノとエレオノーラ様のヴァイオリン演奏もあるだなんて、なんて豪華なのだろう。
「きっと素敵なのでしょうね。楽しみだわ。ローザさんとバートとエレオノーラ様のことをしっかり見ておかなくちゃ」
バートと他愛もない会話を交わすうちに、わたくしは少しリラックスした気持ちになってきた。
会うのが気恥ずかしいと思っていたが、いざこうして会ってみれば、確かに心臓はうるさかったりもするが、楽しくてふわふわしてしまう。
バートはわたくしを微笑ましそうに見つめながら、長椅子の隣に腰掛けた。




