◇ シルヴィオの執務室
ディアナの兄、シルヴィオ視点です
ユエール王国のアメティス侯爵家にて。
「ディー……?」
エンブルク王国から急ぎ送られてきた手紙を見て、ディアナの兄シルヴィオは困惑の表情を浮かべていた。
シルヴィオはディアナから色々と情報を聞いてから急ぎユエールに戻り、例の男爵令嬢の件について調査を進めていたところだ。
断罪されるべき令嬢が人攫いに遭うという不測の事態と、それを引き起こした兵たちの不可解な行動。
セドナの家のこともあってランベルトとも連絡をとり続けていたが、ここにきて届いたのはディアナからの近況を伝える手紙だ。
ただのお便りだと思って上機嫌で封を切ったところまでは良かった。うん、
そこには『ガラスペンの売れ行きは好調です。職人の方々の逸品が仕上がりましたので、お兄様にもお贈り致しますね! それと娼館をもう一つ買いました』との報告が記載されていた。
ガラスペンについてはいい。事業を始めると聞いていた。売れ行きが好調なのも微笑ましく、誇らしく思う。
問題はさりげなく添えられた後の文だ。
「全く……行く先々の娼館をコンプリートするつもりなのか……?」
王妃となるべく、日々厳しい妃教育に耐えてきた妹ディアナの幼少期のことを思い出す。
彼女の鍛え上げた能面は、日常生活においても表情を乏しいものにさせたし、いつの頃からか作り物のような綺麗な笑顔しか見なくなった。
婚約者の王子サフィーロに蔑ろにされているという噂はあっても『テンプレなので』と飄々としていたため、そこがまたあのプライドだけは高い元王太子には生意気に映ったのだろうか。
シルヴィオにとっては、どんな妹でも可愛い可愛い大切な妹だというのに。
「ふ……ディーはのびのびと暮らしているようだね」
頭を抱えつつ、シルヴィオの口元は笑んでいる。
少し前、エンブルクでもトラブルがあったと聞き急いで妹の元に駆けつけてみれば、随分と表情豊かになった彼女がそこにいた。
自由に学院生活を送ることは、彼女にとって大切な部分だったのだ。
そんな事を考えながら、改めて手紙を読み直す。
『黒楼亭がちょうどお安くなっていたので購入しました』と。まるで装飾品でも買ったような報告だ。
前にあちらに行った時は百花楼を買う買わないの話をしていたと思うから、そこからさらに競合店まで手中に収めてしまうとは……流石のシルヴィオも考えが及ばなかった。
こちらでは忙しくて、妹が自由にできる時間などなかった。
シルヴィオも後継者としての勉強を必死にこなしているところで、あそこまで姉弟の仲が拗れているとは考えていなかった。
枷が外れて、身軽になった彼女はひどく逞しく、そして自由だ。
元はそういう性質だったのかもしれない。ユエールでも我慢ばかりせずに過ごすことができていたなら……とそこまで考えて、シルヴィオは頭を振った。
前を見て進んでいる時に、過去に囚われてしまっていては意味がない。
シルヴィオは手紙と共に届いた小包を手に取った。厳重に梱包されたその中に、店名の焼印がなされた木箱が入っている。
「……これがガラスペンか。美しいものだね」
持ち上げて陽光に晒すと、透明なガラスがキラキラと光を集め、そこからグラデーションで黄色に変化していく様がとても美しい。
黄色は、シルヴィオの瞳の色だ。それを考えて送ってくれたのだろう。
ディアナから届いた手紙に全て目を通したシルヴィオは、同封されていたもう一つの手紙に視線を落とす。
これは、弟のジュラルに宛てたものだ。
「私も……もっとやれることがあったのにね。だからこそ、今は後悔しないように動くしかない」
貴族籍を剥奪され、遠くの地に行くことになった弟の居場所と状況については逐一報告を受けている。
環境の大きな変化に戸惑いながらも、ジュラルはしっかりと前を向き、農作業などにも懸命に取り組んでいると影から報告を受けている。
「セバスチャン、いるか?」
「はい、ここに」
シルヴィオが卓上の鐘を鳴らすと外から返事があり、ロマンスグレーの髪を後ろにきっちりと撫で付けた馴染みの家令が部屋に入ってくる。
「どうされましたか。旦那様」
恭しく腰を折るセバスチャンに、シルヴィオは手元の手紙を差し出した。
「この手紙をジュラルの元に届くように手配してくれるか。確実に渡してほしい」
「もちろんでございます。ぼっちゃまのところにお届けいたします」
シルヴィオの依頼を快諾したセバスチャンはその手紙を受け取って部屋を出ていく。
その背中を見送ったシルヴィオは、一度大きく背伸びをした。
「さて、こちらも動くかなあ〜」
ディアナから受け取った手紙の下にあるのは、少し前にランベルトから届いた業務報告書である。
例のソフィア・モルガナが例の娼館から身請され、スワロー男爵の養女となり名前と姿を偽っているというものだ。
時期を推測するに、ソフィアが男爵令嬢の身分に戻ったのは、ディアナが黒楼亭を購入するよりも前の出来事であるだろう。
「全く、あのお嬢さんは……。姿と名前を偽ったからといって、積み重ねた行為が無くなるわけではないのにね。そろそろジェダイト殿下にも動いてもらおうかな」
シルヴィオは黒い笑みを浮かべ、ディアナからもらったガラスペンに早速インクを含ませる。ペン先から吸い込まれたインクが上へと登っていく様子も、輪をかけて美しい。
「うん、いい書き心地だ。こちらでも売ってくれないかな?」
第二王子に宛てた手紙をスラスラと書きながら、シルヴィオはそんなことを呟いた。




