◇作戦会議
◇バート視点
──放課後の生徒会室にて。
「はあ」
私は無意識に大きなため息をついた。座卓を囲むのはフリードリヒ殿下とアレクだ。
今日は重要な話し合いのため、こうしてこの場に集められている。
だが、私の頭の中はそれどころではない。
「バート、どうかしたの?」
フリードリヒ殿下にそう問われ、黙秘しようとしたがそうもいかない。何より殿下の目が『何か楽しいことがおきていそう』と期待に満ち溢れている。
私はどことなくぼそぼそと言葉を紡ぐ。
「……ディアナに少し避けられている気がしていまして」
「ぷっ、流石の君でもディアナ嬢は一筋縄では行かないんだね」
案の定、フリードリヒ殿下は楽しげだ。ぴくりとまゆが反応してしまったが、あくまで無表情を貫かねばなるまい。絶対に面白がっている。
「語弊のある言い方をしないでください。全くもう」
言いながら、手元の書類をトントンと整えてみる。
新学期が始まって以来、ディアナとまともに話していない。
私の不機嫌の原因はこれだった。
夏休みは貴族としての夜会巡りがあり、父と共にほとんどの夜会に参加した。見聞を広めるため、長年の任務を終えてこの国に帰ってきた私には必要なことだ。
ディアナはディアナで、新しく発明したガラスペンの販売で忙しく、工房とエクハルト商会への出入りで忙しいようだった。
それから百花楼にもたびたび顔を出していて──これは彼女の身に危険が及ばないか調査しているだけで、他意はない。
数度、タウンハウスを訪ねたときもどこかよそよそしかったが、新学期が始まってからもほとんど会話らしい会話をしていない。そのことが寂しくもあり、どこか自分に不手際があったのではと思ってしまう。
──サマーパーティーの時、距離を詰めすぎたのだろうか。しかし、ディアナは鈍感だからわかりやすく好意を示さないと全く気がついてくれないしな。
ユエールでのことを思い出すと今でも心の奥底がチリチリと痛い。同じ轍はふむまいと、なりふり構わず彼女に猛アタックをした結果、現在に至る訳だ。
「ごめんごめん、君が困ってるなんて珍しいものを見たからさ……さて、では話をしようか」
私の視界の端でヒーヒー笑っていたフリードリヒ殿下が、目尻の涙を指で拭きながら話題を変える。本当に、この人は。
「今日集まってもらったのは、ギレッセン伯爵家の没落にまつわることについてだ。それから、マーヤ・スワローという令嬢について」
すっかり真剣な顔に戻ったフリードリヒ殿下はそう言いながら、隣のアレクに目で合図をする。ほんの数ヶ月の間柄ではあるが、そこには確かな信頼関係が築かれているようで安心する。
ギレッセン伯爵家とは、例の画家ゲーベルクの家だ。なんの巡り合わせか、ディアナが知り合いになったユエールの娼館の元オーナーを務めていた女性がその没落貴族の令嬢だという。
「アレク、資料をいいかな? 君から説明してくれ」
「はい。わかりました」
フリードリヒ殿下の声かけに、アレクが紙束を応接テーブルの上に広げる。
私たちは三人揃ってその資料を覗き込んだ。
「ゲーベルクと呼ばれる人物が当主だったギレッセン伯爵家について、調査しているうちにいくつか不審な点がありました。まずはこちらを」
静かな口調で話すアレクが一枚の紙を取り出す。少し黄ばんでいる古びた紙は、下の方にサインが並んでおり、何かの契約書のように見える。
「……これは?」
文書の内容を目で追いながら、私はアレクにそう尋ねる。この古びた紙切れが、非常に重要な書類であることはすぐにわかった。
「とある情報提供者からいただきました。美術品の譲渡に関する契約書の副本です。こちらの美術品に関する契約においてギレッセン伯爵家は詐欺にあい、全財産を失うことになりました。爵位の返還に関する記述は、こちらの記録書に」
アレクが取り出したのは別の書物だ。それをパラパラとめくって、年表のようなものを指差す。
「これは……貴族名鑑か?」
「はい、そうです。この一節を見てください」
貴族名鑑にはこれまでの貴族のことが全て載っている。アレクに言われるままに記載された文章を読んでみると、そこにはギレッセン伯爵家に関することが一文だけ載っていた。
「“財政難により爵位返還”。なるほど、財政難の発端が詐欺なのか。だとすると、その詐欺にはキュプカー家が関わっているんだな」
以前から調べてあった情報と組み合わせながら、私は噛み締めるようにそういった。フリードリヒ殿下とアレクも同様に頷きあっているため、その理解であっているらしい。
──しかし、あの資料を一体どこで。本当に、こちら側に引きこめて幸いだった。
アレクという人物の情報収集力に驚くとともに、やはりユエールでは彼の実力が全く発揮されていなかったのだと感じる。
「……そうなってくると、やっぱりエイミス伯爵家は黒だろうね」
フリードリヒ殿下が、先ほどの契約書のようなものに記載されたサインを指でトントンと示す。ゲーベルクの名の他にそこに記されている名前は、エイミス家のものだ。
「ええと……エイミス伯爵家の前当主の名前ですね」
アレクが再び貴族名鑑を繰ると、エイミス家の系譜が出てくる。契約書にある名前は、その前当主とされる男と一致していた。
私は思わず眉を顰める。エイミス伯爵家の令嬢は同じクラスにいる。
ユリアーネ・エイミスは、ディアナとも親交がある生徒ではなかっただろうか。
「エイミス伯爵家の前当主と、ゲーベルク卿は友人関係にあったと父が話していました。夜会の時もよく二人で美術品について話しているところを見かけたそうです」
私なりに貴族の内情を探ってみようと思ったところ、父がその二人のことをよく知っていた。精力的に参加した夏の夜会で、ゲーベルク卿の絵画に興味があるような話をしながらかつて没落した伯爵家の当主にまつわる話を集めていたが、どれも大体同じ情報に終始する。
どうやらゲーベルク卿と前エイミス伯爵は同じ趣味を持っていて、随分信頼しあっていた、と。
たびたび二人で美術品を観覧したり購入したりしていることも皆が教えてくれた。
「エイミス伯爵も友人を裏切るほど追い詰められてたのかもね。キュプカー家とスワロー男爵に目をつけられるくらい。確かにあそこの領地は少し収益が乏しい」
書類をぱさりテーブルの上に戻しながら、殿下は眉を下げる。
「そうですね。資料を見ると、悪天候なども影響して当時のエイミス伯爵家の税収はかなり落ち込んでいます」
「信頼している友人が共に契約書にサインしてくれたんだ。きっとこれは信頼できる取引だと思っただろう。そして、結末は詐欺だった、と」
アレクの補足説明に、フリードリヒ殿下がため息をつく。気分のいい話ではない。
前エイミス伯爵は、自領のために親友を売ったのだ。
「おそらく、詐欺の手口としてはこうです。古物商を装った詐欺師が美術品を販売し、前エイミス伯爵も同行してゲーベルク卿を信頼させて贋作を買わせる。それを数度繰り返せば、自由な財産は無くなるでしょう。そして最後に、爵位を担保に金を借りさせる。その美術品に価値がなく返品もできずに爵位を失って一家離散……と、あくまで推測ですが」
これらの状況証拠等を総じてアレクがそう意見を述べ、私も同意見だと感じた。美術品の目利きは大変難しい。そこに乗じたのだろう。
「成功報酬として前エイミス伯爵家は金銭を受け取った……それで、領地の苦境を乗り越えた可能性が高いということですね。そして金貸業として名を馳せていたのは若き日のスワロー男爵だ」
私はそう言いながら、暗い気持ちになる。エイミス伯爵令嬢のユリアーネはディアナの友人で、悪い人間ではないと聞いている。
今はあのマーヤの取り巻きになってしまっているが、それまでは私としても不審な点は感じなかった。時計台にいたのは不思議だったが。
これらの真実を明らかにすれば、エイミス伯爵家についてもその咎はかかる。
そこまで考えて、私はハッとした。先ほどの古びた契約書の出所について、思い当たるところがあったのだ。
「まさか、先程の情報提供者というのは」
アレクの方を見ると、彼も訳知り顔で頷いていた。
「この件については、エイミス伯爵令嬢もご存知です」
「そうか……」
ユリアーネ嬢自らこの資料を提出したということは、彼女はもうすでに覚悟を決めているのだ。
「さて、エイミス伯爵令嬢といえば、最近あのおかしな編入生について回っているね? 親から何か言い含められてるのかな」
フリードリヒ殿下が腹黒な笑みを浮かべている。おかしな編入生が誰のことを指すのかは簡単にわかる。私はなんとも言えない苦い気持ちになった。
「……マーヤ・スワロー。いえ、ソフィア・モルガナのことですね。彼女についてはユエールからの出国経路などの参考人になってもらおうと思っていましたが、まさか直接学院にまで来るとは」
私は思わず頭を抱えてしまった。
髪色を変えているとはいえ、私もアレクも彼女とは旧知の中だ。サマーパーティーの時に遭遇した時にも思ったが、どうにもこう当事者意識が薄いように思う。
私の発言に、アレクも頷く。
「本当に驚きました。私にも普通に話しかけて来ましたので。相変わらず、人をたぶらかすのが得意のようですね。すでに傾倒している子息もいるようで」
同じクラスで過ごす面々は、マーヤの教室での振る舞いを思い出して全員非常にどんよりとした顔をする。私とアレクにとっては見覚えのある風景だ。
「見かねたエレオノーラが彼女に注意をしたそうだが……まあ、エイミス伯爵令嬢と共に要注意人物であることは間違いないね。学院長もスワロー男爵から多額の寄付金を受け取っているようだし」
フリードリヒ殿下が呆れた顔をしてそう結論づける。スワロー男爵がああして身分以上に大きな顔をして歩けるのは、全て彼が所有する富と他の貴族の弱みのためだ。
実際、マーヤの取り巻きとなっている令嬢たちは皆秘密裏に調べたところによると生家の経営状態が芳しくない。
そうした事情もあり、彼女のそばを離れることができないものもいるのだろう。例のエイミス伯爵令嬢こそその筆頭だろうが。
「……頭が痛いな」
私はそう言いながら、長椅子の背もたれにどさりと背中を預けた。
スワロー男爵が諸悪の根源である事はほぼ間違いないと言うのに、証拠に至るための明確な証拠がないとも言える。
キュプカー商会やエイミス伯爵家については、こうして尻尾を掴めそうだと言うのに
「来月、音楽祭があります。マーヤ・スワローがこのイベントに向けて怪しい動きをしているような報告も上がっています」
新たな資料を持ち出しながら、冷静な表情でそう告げるアレクの横顔をぼんやりと眺める。
学院の音楽祭では、各々の部門に選出された代表の生徒が楽器や声楽の発表をする。
学院長の様子からして、スワロー男爵令嬢がその枠に選出されることは明白であろう。
「……マーヤ・スワローの存在が、スワロー男爵の尻尾を掴む好機かもしれない。引き続き、彼女とユリアーネ・エイミスに気をつけましょう」
私がそう言うと、フリードリヒ殿下とアレクも同意するように頷く。
生徒会室には徐々に橙色の陽光が差し込み、夕暮れ時であることを知らせてくる。
「よし、今日はここまでにして帰ろっか。もう少し調べよう」
「はい」
「ディアナ嬢と仲直りできたらいいね」
「殿下にご心配いただかなくても大丈夫です」
「はは」
会議は終了時刻となり、私は城に戻る殿下たちとそこで別れた。




