1 編入生がやってきます
「よし、いよいよ今日から学院も後期課程ね」
久しぶりに制服に袖を通したわたくしは、鏡の前でそう決意を新たにする。
「早いものですねえ。とはいえ、ディアナ様はずっと休暇中も働いていらしたような……もっとこう、青春を謳歌されてもよろしいのに〜」
「そうね、確かに目が回るほど忙しかったわ……」
髪の編み込みをしてくれているハンナからどこか憐憫の眼差しを鏡越しに向けられ、わたくしは同意するように頷いた。
本当に忙しかった、この一ヶ月は。
サマーパーティが終わると、学院はそのまま夏季休暇へと突入にした。そうして、ひと月の夏季休暇を経た学院が今日ようやく再開される。
夏季休暇中、せっかくなので初めてできた友人たちと色々なところへ足を伸ばして観光……へ行きたかったのだけれどそうはいかなかった。
例のガラスペンの発注が立て込んでいたのだ。
『ディアさん……手伝ってくれるよねえ?』
すでに目の下にクマをたくさん作っているロミルダさんにそう言われてしまっては、首を縦に振るしかない。
エクハルト商会がその状態ということは、その下請けであるローザさんの工房も大変なことになってしまっていた。同じようなガラス製品を扱うギルドで全体的に受注するかどうか、という話も煮詰まっている。
『ディアさん……あの、ガラスペンのことでちょっと教えていただきたいことが』
別の日。セドナとクイーヴと共に娼館の状況を確認をした後に工房に立ち寄ると、今度はローザさんに引き止められる。彼女も彼女でどこか青白い顔をしている。彼女の兄であるサシャさんも同様だ。
『も、もちろんです! 人手がいるならば、このクイーヴだって手伝います』
『うわ〜〜〜〜〜』
絶叫したのはクイーヴだ。
そうして、夏季休暇はみんなでガラスペンの作成と販売に尽力することとなった。
「お嬢様。このリボンをおつけになりますか?」
ハンナにそう尋ねられ、夏季休暇を思い出して遠い目になっていたわたくしは彼女の手元を見る。そこにあるのは、紫色とベージュのリボンだ。
「……そうね。お願い」
「うふふ。では、失礼いたします。いいですねえ、うふふふ」
上機嫌なハンナは、一つに束ねた編み込みの先に器用にリボンを巻きつけてゆく。
あのリボンはバートから贈られたものだ。他にも花や菓子など、我が家には毎日のように贈り物が届いた。
各地のパーティーに引っ張りだこの侯爵令息ランベルトと違い、こちらでは貴族生活とはかけ離れた気ままな生活を送るわたくしだ。お互いの時間は絶望的に合わなかった。
バートが少しだけこのタウンハウスを訪ねてきてお茶をしたり、その程度だ。
──そのことに、どこか安心した気持ちになったりもして。
サマーパーティーでの出来事で、なんだか妙に意識してしまう。会話もぎこちないし、動揺しすぎてユエール時代の能面が顔を出してしまって、ついついスンとした顔をしてしまった。
だけれど、リボンがあしらわれた髪をみて、どこか恥ずかしくも嬉しい気持ちになる。
「では、行ってきます」
「じゃな! ハンナ!」
タウンハウスを出る時はクイーヴと一緒だ。いつもの馬車に乗り、学院を目指す。
「嬢ちゃん。学院はこれからちーっと雰囲気が変わるかもしれない」
馬車に乗るや否や、神妙な表情になったクイーヴがそんなことを言う。
「それは、ソフィアの関係で?」
わたくしの質問に、バートが大きく頷く。
「ご明察。どうやったのかは不明だが、ソフィア・モルガナという存在はユエール王国からひっそりと消え去っている。そしてスワローの悪名は本物だ」
サマーパーティーの日に出会ったソフィアはスワロー男爵と共にいた。その後の情報によれば、男爵家の養女となった彼女は学院に編入生としてやってくる。
ユリアーネさんの話ではもちろんそんなことは続編にもない展開で、本編ヒロインが続編に登場することはまるでなかったという。
「だから嬢ちゃんも、気をつけて。まあ、坊ちゃんたちが嬢ちゃんには手は出させないとは思うけどね」
「わかったわ。ソフィアの性格については、わたくしもよく知っているし……注意します」
「もちろん、俺も護衛の仕事はちゃんとするから。娼館の方はセドナが張っているし、嬢ちゃんには指一本触れさせない」
「クイーヴのことはもちろん信頼しているわ。お願いします」
馬車の中で、クイーヴとそう話し合う。
わたくしの因縁の相手であるソフィアが学院にやってくる。そのことにもう少し動揺するかと思ったが、わたくしは案外落ち着いていた。
ユエールの頃とは違う。ずっと自分一人で彼女と対峙していると思って過ごしていたあの頃としたら、わたくしはもっとずっといろいろな人に囲まれている。
それにきっと、貴族子女となった彼女は貴族クラスに編入することになるだろう。
続編の攻略対象者たちだって、皆そっちにいる。もし彼女がこの続編の内容も知っていて、それを利用しようとしているとしても、経営学クラスにいるわたくしとは全く関わりがない。
スワロー男爵の狙いもまだ明確にはわからない。ソフィアを送り込む意図が、わたくしの平穏な生活を害するものであればその時は。
「今度こそ、彼女と関わらない平穏な生活を送れたらいいな……」
窓の外を見ながら、思わず本音をこぼした。
◇◇◇
もしかしたら、ソフィアがこのまま何事もなく平穏な学院生活を送るのでは。
そう思っていた時期がわたくしにもありました。ほんの一パーセントにも満たない確率だったけれど。
わたくしは経営学クラスの授業を終え、馬車へと向かっている。
ロミルダさんとローザさんは家の手伝いのために素早く下校してしまったために、今は一人だ。
『マーヤ・スワロー』
それが彼女のこの国での名前だ。茶色の髪に茶色の瞳。
ソフィア・モルガナだった頃の痕跡を全て消し去り、一週間前に彼女はこの学院にやってきた。
一度、渡り廊下で彼女を見かけたことがある。姿が変わっても、声は変わらない。
何度も何度も遭遇したから、もう耳が覚えてしまっている。
彼女の周りには、すでに複数の男子生徒と女生徒がいた。にこやかに楽しそうに会話を弾ませながら進む彼女に、わたくしの隣にいたロミルダさんがものすごいガンを飛ばしていたので急いで教室へと移動した。
その時、マーヤことソフィアを囲うその集団の中にユリアーネさんを見つけてとても驚いたものだ。




