43 あの人に遭遇しました③
「……あれは、ソフィア・モルガナだな」
二人の背中が雑踏に消えたことを確認して、バートがぼそりと呟く。
その言葉に、わたくしはこくりと頷いた。
「ええ。スワロー男爵とソフィアが一緒にいるということは、黒楼亭つながりかしら……近いうちにマダムにも話を聞かなくては」
周囲に聞こえないよう、声を顰めながら話す。
定期的に百花楼のマダムとは連絡を取るようにしてはいるが、前回の時にはそのような話はしていなかったように思う。
ただ、黒楼亭の経営状況は良くないかもしれない、とは言っていた。
──ええと、フリードリヒ殿下とアレクが人身売買グループを捕縛してキュプカー家当主を捕縛したのなら……そうね、黒楼亭が窮地に陥ったのも理解できるわ。
時計台でのバートの言葉を思い出し、点と点が繋がる。
ただ、なんとも頭が痛い。
先ほどの彼女とのやりとりを思い返せば、彼女はこれから学院に編入するつもりらしい。
「何の目的があるのかしら?」
ユエール王国での贖罪を掻い潜り、偽名を名乗り男爵家の養女となったマーヤことソフィア。
先ほどのバートやわたくしへの態度を見れば、彼女が改心していないのは明白である。
そしてユエールにもよく足を運んでいたように思えるあのスワロー男爵が、ユエール王国のあの事件を知らないとは言い切れない。
そんな男爵が、ソフィアを選んだのは偶然? それとも……
「用心するに越したことはないな。急ぎシルヴィオ殿にも連絡をする。彼女がソフィアであるという客観的証拠を見つける必要もある。正面から聞いても二人とも認めないだろう」
「そうね。このまま平穏になるとは思えないわ」
ただ、先ほど対峙して思ったのは、男爵の方はわたくしの存在に気づいていないと言うことだ。ソフィアとは反対にバートの顔色ばかり窺っていたもの。
「はあ……」
わたくしは文字通り頭を抱えてしまう。
彼女の身柄をどうするのかという点もあるし、あのソフィアがこの学院でどう振る舞うのかを考えただけで先が思いやられる。
ソフィアはユエールで完全に乙女ゲームのルートを知って行動していた、転生者であることは間違いない。
では、ユリアーネさん曰く続編であるというこのエンブルクでの学院生活はどうなのだろう。
彼女はどこまで知っているのかしら。
スワロー男爵の悪事は? 彼女も買われた被害者にあたる?
今後一体どういう行動に出るのだろう。ユエールでのこともあって、彼女の行動は予見できない怖さがある。
「ディア」
「ん?」
うんうんと唸りながら考え事をしていると、不意にバートに名を呼ばれる。
わたくしが顔をあげると、いつもの穏やかな笑みを浮かべた彼がそこにいた。
「ふ、君がそんな反応をすることもあるんだな」
気もそぞろだったせいで、随分と緩い返事をしてしまっていたことに今さら気がつく。宿題中に家族に呼ばれた時のような、そんな声を出してしまった。
「い、今のはちょっと、気を抜いていたわ。何かしら、バート」
慌てて取り繕うと、バートはスッとわたくしの手をとった。
「彼女のことはこちらでもしっかりと様子を見る。おそらくあの男爵のことだ、私や殿下と同じクラスにするように手配済みだろう。その上で、君に危害が加えられないよう注意する」
「……ありがとう。でも、バートも気をつけてね」
「ああ」
バートの黒い瞳が真っ直ぐにわたくしを見つめる。吸い込まれそうなほど、美しい黒色。
じっと見つめ合っていると、学院の中央にある鐘が華やかに鳴り始めた。
正午を示す鐘の音だ。
「……残念ながら、時間が来てしまったようだ」
「そうね、午前の部は終わりだわ」
わたくしたちはそれぞれ別の用件がある。彼らはこれから、ダンスパーティーという一大イベントに向かうことになる。今日バートと過ごせるのはこの時間で終わりだ。
「楽しい時間をありがとう、ディア」
「……!」
わたくしの手を取ったバートは、手の甲にそっと口付けをした。
きゃ、と黄色い声が周囲から聞こえる。この群衆の中だ。見られないでいることなんて不可能に等しい。
流れるような仕草だわ……!
動揺する私をよそに、そっと手を引かれて経営学クラスのテントまで誘導される。
考えることが多すぎてお互いに何か口にすることはなかったけれど、別れ際にはお互いに手を振った。
「ローザさん、代わってくれてありがとう」
テントに入ると、奥で帳簿をつけているローザさんがいた。わたくしが出かけた時よりも随分と注文紙が分厚くなっている。ガラスペンの受注もうまくいったらしい。
「お帰りなさい、ディアさん! 楽しかったですか?」
ニコニコと邪気のない笑顔を向けられ、わたくしは素直にこくりと頷いた。
楽しかった。とても。
「……どう考えても、牽制よねアレは。アドルフ家を敵に回したい家門なんてあるわけ無いわ……」
わたくしの後ろで、ロミルダさんがそんなことを言っていた。
午後からは、しばらく書類の整理をした後にバートに告げた通りロミルダさんと学院を回った。
思いがけず午前中で予定発注数を超えてしまったため、午後からはもうガラスペンの注文を受けないらしい。
数を絞って限定感を出した方が価値が上がる──エクハルト商会長の意見を採用した形だ。
それは同感だ。
限定品の方が特別感があるし、逆に欲しくなるもの。
ということでわたくしたちのテントは店仕舞いをし、ダンスパーティーを見に行くことになった。一般の生徒も、二階の観覧席からならば見てもいいことになったそうだ。
今年からの試みらしく、その麗しい姿を目に焼き付けようと二階席は盛況だ。
「あ、あれ、ローザじゃない!? わあ〜とっても綺麗」
「本当ね。素敵だわ」
ロミルダさんが指差した先には水色のドレスを身に纏ったローザさんがいた。
話に聞いていたとおり、ローザさんはパートナーの男子生徒と共に現れ、中央で礼をして最初に踊り始める。
もちろんそのお相手はバートではなく、緊張の面持ちながら懸命にステップを踏んでいる。
楽団の演奏する音楽の旋律が変わると、次はフリードリヒ殿下とエレオノーラ様、それから複数の男女が加わってくるくると踊りだす。その中のどこにも、彼の姿はない。
『私が、ディアナ以外の女性と踊るわけないだろう』
ふいに、バートの言葉が脳裏に蘇る。
「ねえディアさん、あなたもダンス得意だったわよね? 踊れたらよかったのに……って、大丈夫? 顔が真っ赤よ」
「っ、だ、大丈夫……ですわ」
どうしてだろう。急に胸が苦しくなって、顔が熱くて仕方が無かった。
お読みいただきありがとうございます。
波乱や自覚が生まれたエンブルク編、ここで一旦前編完結となります。
とはいえ私が章を区切りたいだけなので、今後も続きます。
よろしくお願いします^^




