34 変化するものです③
◇◇◇
お兄様が火急の案件だからと帰国してから数日後、わたくしはフリードリヒ殿下の執務室にいた。
「よく来てくれたね、ディアナ嬢」
「お招きありがとうございます……?」
「ディアナ様、お会い出来て嬉しいですわ!」
フリードリヒ殿下の隣には、エレオノーラ様もいて、またあのキラキラとした瞳をわたくしに向けてくれている。
「エレオノーラ様もお久しぶりです。学園ではあまりお会い出来ませんが、息災でしたでしょうか?」
「ええ、とっても元気ですわ! わたくしもディアナ様と同じクラスになりたいと言っているのに、フリードが許してくれませんの」
「はは。またエレオノーラはそんな我儘を言って」
むくれるエレオノーラ様をフリードリヒ殿下は愛おしそうに見つめている。
王子の婚約者――ゆくゆくは王妃となるお方がわたくしのいる経営学のクラスで肩を並べて学ぶという姿は想像がつかないので、止めて正解だと思います。
執務室にある机はみっつ。
ひとつはフリードリヒ殿下のものと思われる中央の大きめの机。もうひとつは本棚のそばにある小さなもの。
その少し離れた位置にある机にはたくさんの書類が重ねられていて、そしてそこには紙束に埋もれるアレクがいた。
「ごきげんよう、アレク」
「こんにちは、ディアナ様。お変わりないご様子で、私も嬉しく思います」
アレクはわたくしに一礼すると、また着席して作業を始めた。
何やら書類をたくさん処理している。山のように積まれた紙束が右に左にと移動してゆく様を見て、わたくしはふと学園でのことを思い出した。
仕事をしない例のあの人たちの代わりに、アレクはその雑務まで一手に引き受けていたのだ。
「ああ。アレク? すごいよね、仕事が早くて助かってるんだ」
わたくしの視線に気がついたらしいフリードリヒ殿下は、柔らかに微笑んだ。
まさかまた、殿下の仕事を肩代わりさせられているのだろうかと心配になってしまう。
わたくしの表情の機微を捉えたらしい殿下は、ふっと口の端から笑みを零した。
「大丈夫、ちゃんと定時には帰ってもらっているし、学生の内は勉学が本分だからね」
「そうなのですね」
「彼を飼い殺しにしていた君の祖国には感謝したいくらいだ」
フリードリヒ殿下はにっこりと微笑む。そこはかとなく黒い笑顔だ。
感謝といいつつも怒りが隠せていないし、何よりそれにはわたくしも同感だ。
(彼ももう、あの頃とは違うのだわ)
黙々と作業を続けるアレクは、とても生き生きとして見える。それがとても嬉しく思えた。
「――では、本題といこうか。あくまで君は今日、エレオノーラにお茶会に誘われて、たまたま居合わせた私と話をしただけ、まずはこの前提だ。いいかな?」
明らかに何かを企んでいる顔のフリードリヒ殿下を見て、それから隣のエレオノーラ様を見る。
彼女の顔が明るいのはなぜだろう。
「ディアナ様! そういうことですので、これが終わったらわたくしとお茶会をいたしましょう!?」
「は、はい。わかりました」
なぜこの場にエレオノーラ様がいるのかが気になっていたが、そのためだったらしい。
「手短に済ませよう。キュプカーとスワローの件についてはこちらも一枚噛みたいところなんだ。ディアナ嬢」
フリードリヒ殿下は、真剣な眼差しをわたくしに向けた。
王家も手をこまねいている状況だとは聞いていたが、フリードリヒ殿下はこの機に彼らを一網打尽にするつもりらしい。
「トニトルス山脈に人員を配置したところ、早速怪しい連中を検挙できた。情報に感謝する」
「まあ、そうなのですね」
例の人さらい集団の脱法ルートを、早速おさえにかかったようだ。早い。
「――フリードリヒ殿下。それで、わたくしは何をしたらいいのですか?」
求められる役割はなんなのか。
そう思ってエンブルクの王太子の瞳をまっすぐに見つめ返すと、一瞬驚いた顔をした後、ゆっくりと口を開いた。
「例の娼館を是非盛り立ててくれ。そのための協力は惜しまない」
「それは……もちろんそのつもりですわ。彼女たちはわたくしが守ります」
フリードリヒ殿下からの提案は、わたくしの目的とも合致していた。
彼女たちの就労環境を整え、少しでも健やかに過ごしてもらう。経営学の授業で出てきた『従業員の満足度を高めることが結果的に顧客満足度に反映される』という法則は、ユエールで実証済みだ。
ただでさえ身体を酷使するお仕事なのだから、それ以外は全て、快適に過ごして欲しい。
彼女たちは彼女たちで、誇りをもって働いているのだから。
「はは! 君が娼館を買収したことに私はとても驚いたんだが……アレクとバートは思ったほどの反応では無かったと思っていたら、君はもう肝が座っていたんだねえ」
「お褒めに預かり恐縮です」
「さすが、わたくしのディアナ様ですわ……!」
エレオノーラ様からのきらきらとした眼差しが眩しい。
ちらりと目をやれば、いつの間にかこちらを見ていたアレクが困った顔で笑っていた。
あれは、『二度目は驚きません』という顔に違いない。
――
エレオノーラ様との穏やかなお茶会を終えたわたくしは、一度タウンハウスに戻って着替えてから娼館の百花楼を訪ねていた。
娼館では早速、少しずつ改装が始まっていた。マダムの手腕がすごい。
全面的に変えてしまうのではなく、以前のアンティークの良さを損なわずに清潔感のある空間をつくる。
付加価値を上げて、少しずつ客の満足度を高める作戦だ。
「オーナー! ふふっ、こんにちはぁ」
赤髪のカーラは今日も今日とて妖艶だ。
先日は会うなり怒っていたけれど、すっかりわたくしのことを信頼してくれたようで安心する。
「カーラ。昨日はよく眠れたかしら?」
「ええ。朝までぐっすり! これからの事を考えたらワクワクしちゃって寝付くのは遅くなってしまったけど」
「まあ、そうなの」
カーラの人懐っこい瞳が、わたくしの後方へと向く。不思議そうにその人を眺めたあと、カーラはわたくしに尋ねた。
「オーナーの後ろにいる人は誰?」
指をさした先には、黒い外套を羽織った男性がいる。フードを落とすと、特徴的な黒髪が顔を出す。
「わたくしの従者です。バートというの」
「カーラさん、こんにちは」
黒髪の従者――そうですあのバートです――は慣れた笑顔でカーラに挨拶をする。
娼館を訪ねる時は危険だから必ず呼べと言われているため、こうしてかのランベルト・アドルフ侯爵子息を伴っているわたくしである。
「オーナーの従者さんなんですねぇ。とっても素敵だわ。私と一晩どうです? お安くしますよ」
カーラはバートに近寄ると、その腕にするりと絡みついた。
「大変魅力的なお誘いですが、お断りします」
「まあ、残念だわぁ」
わたくしの目の前では、カーラとバートによってそんな会話が行われている。
今日のバートは従者仕様なので、クイーヴの服を着ている訳なのだが、どうもユエール王国でのことを思い出して、脳が混乱してしまう。
懐かしい。あの頃は空いた時間にたくさんおしゃべりをしたのだ。
「カーラ、早速なのだけれど、あなたに話があります」
談笑する二人に割り入るように、わたくしはそう告げた。少し間が悪かっただろうか。
「はーい、なんでしょう」
バートからあっさりと離れたカーラがわたくしの方に寄ってくる。彼女の揺れる胸元に目を奪われつつ、わたくしは必要な連絡事項を伝えることにした。
「今日から、この娼館に騎士が派遣されます。警護のためなのですって。一応、外見上はお客様として来られるので、あなたが接待してくれないかしら」
フリードリヒ殿下との話し合いにより、この娼館に騎士を置いてもらうことになった。常駐するのも警戒されるため、信頼出来る人を日替わりで派遣するらしい。
カーラが接客すれば、怪しまれることはないだろう。
そう思って提案すると、カーラの瞳が妖しく光を帯びる。
「騎士さま……筋肉……ふふっ、私の大好物です! オーナー、差し入れありがとうございまぁす」
「えっと、カーラ。それらしい接客で大丈夫なのよ?」
差し入れって何!?
慌てて説明し直そうとすると、カーラはいい笑顔のまま首を振る。
「分かってます。お仕事でいらっしゃる騎士さまに、私は私のお仕事をするだけですもの! ふふっ、やっぱり今日は良いことがありそうな気がしたんですよぉ」
準備に取りかかるというカーラは、足取り軽く自室へと戻って行った。
「……たくましい女性だな、彼女は」
「そうね……?」
彼女がいなくなったことで、バートはいつもの口調に戻る。
わたくしは、カーラに筋肉(騎士)を差し入れてしまうことになった。
遅くなりました。よろしくお願いします。




