33 変化するものです②
お互いにしばらく顔を見合わせた後、バートの咳払いでわたくしたちは少しだけ離れた。と言っても、拳ひとつ分くらいしか離れていない。
ちらりと扉の方を見たけれど、お兄様たちはまだ話をしているようで戻って来る気配はない。
わたくしは気持ちを落ち着かせるために、すっかり冷めてしまった紅茶を口に運んだ。
その冷たさが、今はとても心地良い。
「――今回の件はかなり複雑になってきたから、国も関わってくるだろう。君が娼館を買収したことは殿下もご存じだ。元々あの人身売買グループの話は殿下も懸念されていて、その対策を考えようとしていたところだった」
「まあ、そうだったの」
確かに、三国間を股に掛けての大規模な犯罪だ。しっかり取り締まってもらいたい。
経営学を専攻してのびのびと学院生活を謳歌しようと思っていたのに、どうしてこうなったのだろう。本当に。なんで。
この人生何度目かの遠い目になったところで、「ディアナ」とバートが私の名を呼んだ。
「これから、危険なことはしないと約束してくれるだろうか? 今回は、俺の事も頼りにしてほしい。ここでの俺は、何も出来ない従者ではないのだから」
その言葉に、わたくしははっとする。
前回娼館を買収した時は、がむしゃらに破滅ルートの回避を目指していた。
テンプレ展開のその先を見つけて進みたいと、そう足掻いていた。
この世界は乙女ゲームに沿っているようでいて、そうではない部分も多々ある。
「そう、よね……わたくし一人で解決する必要はないのだわ」
何でも自分でやらないといけないと思っていた。それが当たり前だと。
だが、違う。
前回は誰にも頼らなかったために断罪イベントを待つしかなかったが、今はそうではないもの。
お兄様やセドナもいる。
クイーヴとユリアーネさん、殿下にアレク。
それから……
わたくしはどこかそわそわした気持ちで、バートを見た。サフィーロ殿下の従者でありながら、あの息が詰まるような場所でもわたくしの味方でいてくれた人。
「頼りにしているわ、バート。わたくしだけではこの国のことが分からないもの」
「! もちろん。何でも協力する」
「なんでも、なんて、安請け合いは危険だわ?」
「なんでもと言ったらなんでもだ。ああでも、危ない時は止めると思う。あとは、余計な羽虫がつきそうな時にも」
「羽虫……?」
バートは心から嬉しそうに笑ったあと、すんっと仄暗い瞳を私に向けた。
羽虫がつく……とは。深夜の街灯にわらわらと集まるアレのことなのかしら。
これからやるべき事はたくさんある。
娼館を買収したからには、その経営にも力を入れていかなければならないし、セドナの実家のことや例の男爵たちのこと、それにソフィアのこともある。
――受けて立つわ。乙女ゲームのシナリオ展開なんて、わたくしがまたぶち壊してみせる。
「……バート、聞きたいことがあるんだけれど、いいかしら」
心の中でそう決意したわたくしは、ふと気になることをバートに尋ねてみることにした。
彼は柔らかく「なんでも」と答える。
「ええと、不躾なのだけれど、ユエール王国でのソフィアさんや、この学園でのローザさんと貴方の関係はどのようなものだったのかしら?」
「……それは、どういう」
ユリアーネさんの話を聞いて気付いたのだが、後で追加されたバートというキャラクターだけが本編と続編に攻略対象キャラクターとして深く関わっている。
その両ヒロインとの関係性、つまりは好感度というか、イベントやらなにやらそのあたりがどうなっているのかデータの整理が必要だとわたくしは考えたのだ。
――あら?
先程まで微笑んでいたはずのバートの顔が明らかに曇る。大きなため息も聞こえる。
「……その質問は、君のユエールでの行動と関連があるのか?」
「ええっと、まあ、そうなるわね……?」
あの国でのわたくしの行動原理が何かと問われれば、それは間違いなく例の乙女ゲームの記憶である。
わたくしはすぐに頷き、首を傾げた。
「……そうだよな、嫉妬ではないよな」
「なあに?」
「なんでもない、こちらの話だ」
呆れた顔をしたバートが何やら呟いたけれど
よく聞こえなかった。聞き直すと、非常にいい笑顔で返される。なんなのかしら。
「本当に、君は一筋縄ではいかないな……」
口元に両手を当てて、はああああと大きく息を吐いたバートの様子をあわあわと見守っていると、応接室の扉が空いた。
お兄様とセドナが戻って来たのだ。
「待たせたね。こちらの話は終わったよ」
お兄様はいつも以上のピカピカの笑顔で、その後ろをついてきたセドナは……なんだか様子がおかしい。
笑顔ではあるけれど、どこか違和感があるというか、頬が赤いというか。
「ひとまず私はやはりユエールへ帰るよ。こちらでのことは、一旦ランベルト殿と……フリードリヒ殿下に預けるね」
涼やかな顔をしたお兄様は、バートへと視線を向ける。バートもそれを頷きによって了承した。
「セドナ。妹を頼んだよ」
「……はい。シルヴィオさまもお気をつけて」
お兄様がセドナに向ける微笑みが、なんだかいつもと違う。セドナもセドナで、どこか照れたような顔を浮かべているような気がする。
――何かあったわね、これは。
二人を包む空気が変わったことを肌で感じる。わたくしだってそれくらいは分かる。
「ディー」
「はっ、はい!」
急に水を向けられ、しゃきりと背筋が伸びる。わたくしが立ち上がって近くへと向かえば、お兄様は琥珀の瞳をすっと薄めて微笑んだ。
「無理はしないでくれ。ソフィア・モルガナは君に恨みを抱いている可能性がある。ディーがこの国にいることは知らないだろうが……あの女には未知の恐怖がある。考えがひとつもわからない」
「はい。心得ましたわ。わたくしはあくまで正攻法で、あの娼館を盛り立てます」
そばにきたお兄様に、ぎゅっと抱きしめられる。わたくしの身を案じてくださっていることが素直に嬉しい。
すん、と鼻を動かすと、花の香りがした。
「お兄様、今日はいつもと違う香りを召していらっしゃいますのね。華やかな」
「っ、そうだね」
「?」
とても素敵な香りだと思いながらそう告げると、何故かお兄様は慌てたようにわたくしをべりりと引き剥がした。
その行動を不思議に思っていると、いつの間にか長椅子に座っていたセドナが真っ赤になっている。
なんてこと。セドナの赤面。貴重な表情だわ。そう思って今度はバートの方に視線を移すと、とっても呆れた顔をしていた。
解せない。




