◇茶髪の護衛は訪ねました
◇クイーヴ視点です
ふらふらとタウンハウスを出たものの、これからどうするかはあまり良く考えていなかった。
貴族の邸宅が建ち並ぶ場所をあてもなく歩く俺はかなり怪しい存在なのではと頭の片隅では分かっている。
――本当は行きたい場所がある。
だがそこに向かっていいものかが躊躇われるため、こうしてうろうろと徘徊するような形になってしまっているのだ。
そうして歩いていると、貴族街を抜け、王都の雑踏が目に映る。それらをフィルターがかかっているようにぼんやりと眺めていると、少女の姿が脳裏に浮かんだ。
熱は下がっただろうか。
少しは楽になっただろうか。
部屋を出る前に見た、真っ赤な顔と苦しそうな息遣い。
久しぶりに見る彼女は、自分の記憶の中のそれよりも随分と大きくなっていた。
「……それもそうか。もう10年も経つんだからな」
誰に聞かせるでもなく溢れた言葉は、そのまま地面に吸い込まれる。
瞼の裏に浮かぶのは、俺の足元に纏わり付いて抱っこをせがむ小さな彼女の姿だ。
俺と同じ茶色の髪に、灰色がかったブルーの瞳。
「……ユリアーネ」
彼女の名を呼んでみると、久しぶりだというのに言い慣れたその名はすぐに自分に馴染んだ。
仕方がない。気になるのならば。
顔を見るだけならば許されるだろう。
決意を固めた俺は、王都にある馬屋で馬車で今来た道を馬に跨って戻る事にした。
◇
「……寝ているのか」
学園の医務室に戻ると、先ほど見た姿とさほど相違ない彼女がベッドに横たわってすうすうと寝息をたてていた。
薬を処方されたのか、少し楽になったように見える。
その額に触れると、しっとりと汗ばんではいたが、ひどく熱すぎるということもない。しっかりと休めば直ぐに良くなるだろう。
主人の忘れ物を取りに来たという口実で戻ってきた俺を、校医は疑いもせずに招き入れた。
そして今は離れたところで何やらレポートのようなものを一心不乱に書いている。
――この学園の危機管理はどうなっているんだと校医を小一時間ほど問い詰めたくもなるが、今回は逆にそれがありがたかった。
まあ、後で偉い人に少し進言しておこう。そうすれば、状況は少し改善されるだろう。
呆れた視線を校医の背中に向けた後、俺はまた眠る少女――ユリアーネに視線を落とした。
あれからどう暮らしていたのか、聞きたくもある。
だが、貴族の暮らしに嫌気がさして勝手に家を出た俺にそれを知る権利はないように思う。
(……久しぶりに顔が見られて良かった。お前ももう、学生の歳になっていたんだな)
主人であるディアナと接する時、妹のように感じる事がある。それは俺が深層心理で、妹の事を心配していたからということを思い知らされた。
あの人はあの人で危なっかしい所がある。
ふと見せる表情が大人びていたり、そうかと思えば町のカフェで子供のようにはしゃいでいたりする。
――大丈夫そうだな。
そう安心して踵を返し、部屋を出ようとした時。静寂が落ちる室内に、靴の音がカツンと思いの外響いてしまった。
「……おにい……さま………?」
ユリアーネのものと思われるか細いその声は、確かに俺の背中に届いていた。




