16 気になりました
どこか様子がおかしかったクイーヴは、邸に着いてわたくしをハンナに引き渡してぺこりと頭を下げたあと、ふらりと何処かへ立ち去ってしまった。
ぼんやりとしていたから心配になり、どこへ行くのかと聞こうと思ったけれど、涙目のハンナたちにしっかりと捕まっていたためそれも出来なかった。
まあ、大人だからきっと大丈夫だとは思うけれど。
わたくしを心配してくれていたハンナには、寝不足だったことと十分回復したことを告げて、謝まっておいた。
「え……ラズライト家の御子息様……⁉︎」
そしてハンナは、落ち着いたのかわたくしの隣に立つ人物がアレクであることにようやく気がつき、狼狽している。
アレクもそんなハンナに対して軽く会釈をする。
「ひえ……ディ、ディアナ様、これは一体……」
「ごめんなさい。少しふたりで落ち着いて話がしたくて招いたの。急で悪いのだけれど、部屋に通したいからお茶の用意をしてもらえるかしら?」
「は、はい! すぐにご用意いたします。では他の者がお客様をお部屋へご案内をいたしますので、お嬢様はお召替えを」
「わたくしは制服で大丈夫よ?」
「いいえ、いけません。もっと可愛い服がいいですわ!」
「え……でも」
「では、ラズライト様。また後ほどお嬢様を連れて参りますのでしばらくお待ち下さい」
近くにいた他のメイドに素早く指示をすると、ハンナはまたわたくしのそばへ戻ってくる。
そうしてわたくしは、何故かぎらぎらと情熱の炎を瞳に宿したハンナによって部屋に連れて行かれ、着替えや髪のセットなどを済ませたのだった。
「ごめんなさい、アレク。遅くなってしまって」
「……いえ」
着替えを終えて応接室に戻ると、椅子に座っていたアレクはこちらを見て驚いた顔をしている。
どうしたのだろうと不思議に思っていると、彼はすぐに穏やかに微笑む。
「――ディアナ様があまりにも美しかったので、惚けてしまいました。夜の女神のようですね」
「!」
社交界ではもはや、"いい天気ですね"並に定番である女性を誉める社交辞令。言われ慣れている筈なのに、それがアレクの口から紡がれると思っていなかったわたくしは、意外性に驚いて言葉を失ってしまった。
顔に熱が集まるのが自分でも分かる。
着替えも済ませて完全おうちモードで淑女の仮面を取り外していたわたくしは、防御力がゼロだった。
壁の花となってぼんやり眺めていた夜会でも、彼が誰かご令嬢に甘い言葉を吐いているような場面を見た事は無かった。
――そういえば。侯爵子息ともなれば引く手数多、狙っているご令嬢は沢山いただろうに、彼が誰か特定の令嬢と踊っている姿は見たことがなかった。
だからこそ、氷の貴公子と呼ばれていたのだし、ヒロイン一筋なんだとわたくしは考えていた訳なのだけれど。
このワンピースはレースやフリルが襟や袖元に施されており、生地も光沢がある美しい紺色のシルクだ。学校帰りの部屋着にするには勿体ない。
三つ編みを解いて緩やかにハーフアップにされた銀髪は、夜空のようなこの紺のワンピースによく映えている。そうハンナも言ってはいたのだけれど。
何も言えずに固まっていると、彼はまたふわりと微笑む。
「貴女のそんな可愛らしい表情を見られただけでも、此処まで来た価値がありますね」
「あ、アレク、揶揄わないでくださいませ」
「ふふ、申し訳ありません。つい」
あの眼鏡でない、美麗な彼の微笑みは心臓に悪い。
そしてそれは、前世でゲームを楽しんでいたわたくしにとっては劇物のようだ。
なんとか心を落ち着かせて、アレクの向かいの席に腰掛ける。
今日の目的は彼の話を聞くこと。わたくしがいつまでも少女のようにどぎまぎしている場合ではないわ。
そのタイミングを見計ったように部屋がノックされ、ハンナが新しい紅茶を用意してワゴンを押しながら入室してくる。
目が合うと、ぱっちりとウインクを返された。
「……それで、アレク。話というのは?」
ひと口紅茶を飲んで、ようやく心が凪いだところで向かいに座るアレクを見つめた。
一瞬、紺色の目を細めたあと、彼も紅茶のカップをテーブルに戻す。
「もうすでにお聞きになっているかもしれませんが……僕は今後、フリードリヒ殿下の側近候補として城仕えをすることになりました。バート殿との雇用契約は、昨日付で解除されています」
「……そう、なのね」
「色々と手続きがあるようですが、殿下が先に話をしていたようで、簡単な面接程度で済みました。住居も既に手配されていました」
殿下の元へ行くことを事前にバートから聞いてはいたとはいえ、こんなに急だとは思わなかった。
昨日付で解除、ということは、今はもうバートの従者ではなく、殿下の側仕えということになる。
「あ、それで……眼鏡が変わったの?」
わたくしの問いに、はい、とアレクは短く返事をする。
眼鏡だけでなく、なんだか彼が纏う空気も変わった気がする。肩の荷が降りたような、どこか楽になったような。
「それで、この区切りに貴女とどうしても話がしたいと思っていました」
「そうだったのね。優秀な貴方なら、きっと立派な側近になれるでしょうね。……この前お話したのが実質的には初めてのようなものだったけれど、フリードリヒ殿下は素晴らしい方だと思うわ」
婚約者を大事にしているし、留学生のわたくしも気にかけてくださっている。
返事のかわりに、アレクはこくりと頷いた。
きっとお互いに、脳裏には別の人物が浮かんでいるだろうけれど、それは言葉にしなかった。
彼は目元に微笑みをたたえて、柔和な表情を浮かべている。
「ディアナ様。いえ、今だけ、ディーと呼ばせてください」
はい、という自分の返事がやけに小さく感じる。
「僕の勝手で気持ちを告げることをお許しください。……僕は、ディーのことを幼少の頃からずっとお慕いしておりました。本来ならば、あの場で皆と同じく糾弾され、罰されて然るべきこの身に対して優しくしていただき、ありがとうございます。――あの時こうあれたらと、願わずにはいられない、とても幸福な時間でした」
真っ直ぐにわたくしを見る双眸から目が離せない。
彼の瞳には明確な意思が込められていて、強い輝きを放っている。
「僕はこれから、この国でまた1からやり直そうと思います。どこまでやれるかは分かりませんが……早く独り立ち出来るように、精一杯やるつもりです。この国のいち平民、いち臣下として、ディーの幸せをお祈りしています。貴女の行く先に、幸あらんことを」
立ち上がってアレクは深々と頭を下げる。
わたくしの幸せを願われているはずなのに、一抹の寂しさを覚えてしまうのは何故なのだろう。
(それに……なんだか、お別れの、ような……)
呆然としているわたくしを見て、アレクは困ったように眉を下げる。
「ディアナ様、申し訳ありません……城に戻らなければならないので、これで失礼いたします」
それでも、城の用務のためと言って彼は去る。
最後は他人行儀に――普段からするといつも通りに呼ばれた自分の名が、何故だかやけに胸に引っかかった。
お読みいただきありがとうございます。
とっても難産な回でした。ずっとうんうん悩んで書いたので、後でまた変えるかも知れません……
ブクマ、感想、評価ありがとうございます。待っていただいて大変ありがたいです*\(^o^)/*




