37.催眠ダブルデート、すなわち両手に爆弾2
長編で初めて1000pt超えました! 応援ありがとうございます。
筆は滅茶苦茶遅いですが、頑張っていきますのでこれからもよろしくお願いします。
そうして、エスカレーターを降りた先。まず俺たちの目に飛び込んできたのは群青色の水にずっしり沈む岩の塊のようなもの。恐らくサンゴ礁だった。
赤だけでなく青緑や紺のものもいて、その周りをナマコと小さい魚が泳いでいる。
「サンゴ……か?」
「サンゴだよ。あっ、お魚小さい~。可愛い~」
「サンゴだな」
一単語だけの疑問を漏らせば、どうやらサンゴらしい。
右横に貼られたプレートを見ると、確かに〝サンゴ礁の海〟と書いてあった。
「サンゴって言われると俺、なんとなく赤茶っぽい消波ブロックの集まりみたいなの想像するなぁ。けど、これは……岩……というか、ジオラマの森みたいな感じする」
「そうだね。全体的に緑っぽいし!」
「水槽を泳いでいるのは小さいものが多い。余計にそう見えるのだろう」
サンゴの森という表現もある、と。会長は付け加える。
まぁ、俺が例えられるくらいだし見た人は大抵そう思うんだろうな。
「とはいえ、サンゴは水生植物ではなくれっきとした動物だ」
「えっ、動物なんだ」
「何が? サンゴが? あっ、本当だ。プレートに書いてある。えと、イソギンチャクやクラゲと同じ刺胞動物のなかまです、だって」
「刺胞動物……」
「ふむ。その中の花虫綱と呼ばれる分類群で、刺胞に刺針を持たないことや漂泳の世代を経ずに付着のまま一生を終えること、花虫口道という腔所を持つなどが特徴だな」
「し、知らなかった……っ!」
冬毬会長の解説が間に挟まったため、溜めに溜めて驚いた感じになってしまう。
小夏も「そんなに知らなかったんだ」という反応だった。
それから〝サンゴ礁の海〟の奥へと進み、案内カウンターを通り過ぎると今度は正面に〝大洋の航海者〟という文字が見えてくる。
左の階段を降りれば八メートル程はありそうな多角形の水槽が屹立しており、はしゃぐ子供たちが見上げる視線の先には少し間抜けな顔が張り付いていた。
「エイの顔ってなんであんな顔文字みたいなんだろ……」
泣くのを我慢するような、何とも言えない悲壮感にあふれた表情が味わい深い。
「可愛いよね~。あっ、サメもいる。私、サメならイヌとネコどっちも好き。あとドチもすごく可愛いと思うんだ~、しーちゃんは? 好きなサメいる?」
「ふむ、真田。よくある勘違いだが、両目に見えるのはどちらも鼻の穴だ。その下にあるのが口と鰓孔――エラ穴で、一番下が総排泄腔。まぁ、尻の穴だな。目は背中側にある」
穴ばっかじゃねぇか。てかおい、やめろやめて。許可なく同時に別の話をしないでっ!
本当なら小夏には「サメの話に聞こえねぇ」とか、そういうツッコミを入れたいところだけれども、会長に対していくら何でも意味不明な返事すぎる。
弁明の弁明をするハメになり、無限ループだ。こうなったら最後、逃げる穴はない。
だから塩対応と思われようとも、さすがにここは慎重にならざるを得ないだろう。
(な、何かないのかっ!? 俺が口にするべき完璧で究極な解答がっ!)
焦りは悟られないよう、眼球だけを動かして周囲から情報を集める。
正直、サメなんて俺はジンベエザメとかホホジロザメくらいしか知らないしな。
というか小夏、サメ好きだったんだな。知ら……い、いやいや知ってた。知ってた!
「――――っっ!?」
そして、見つけた。
たぶん、こいつは今日この日のために生まれてきたサメだッ。
「し、シノノメサカタザメ……」
「シノノメ? 私と同じ、だね」
階段途中の開けた踊り場。膝下くらいの高さの場所に、水槽内で泳いでいる魚の名前が書かれたラベルがある。その中の一つを指さして俺は言った。
――シノノメサカタザメ。ガンギエイ目・シノノメサカタザメ科だそうだ。
「知らないサメだ~。なんで好き……あれ? この子、サメ科だけどエイ目だよ?」
分類としては〝目〟の方が〝科〟より上だしな。こいつは見た目だけサメなのだろう。
まぁ、カツオみたいなものか。あいつもスズキでサバだし、俺は少し混乱した。
で、エイの話をしてくれた冬毬会長は俺の発言を話の流れから、疑問符が付いたものと解釈するのが自然! つまり、あとは待つだけでいい……はずだッ。
「む、シノノメサカタザメか。あれは一見サメのように見えるうえ、名前もサメなのだが鰓孔が身体の側面ではなく腹部にあるため、エイに含まれている」
なるほどな、そこで見分けるのか。とはいえ、小夏の疑問に対して解説を復唱するのも変な話である。だから俺が答える……というより呟くべきは、最初の質問だけでいい。
「七支刀みたいなとこがいい……っ!」
そう、今の最適解はこんな小学生並の感想なのだ。
よし、これで話題が統一されたな。ありがとう、本当にありがとう……シノノメサカタザメ。俺の人生の〝さしすせそ〟の中に入れておくよ、シノノメサカタザメっ!
「んんー? あぁっ、あの枝みたいなのだ」
「ふむ、そう見ようと思えば見えなくもないな」
納得してくれた二人の傍。俺はスマホを取り出し、シノノメサカタザメを撮影した。
「あっ、私も撮ろうっと」
「む。写真か……やはり記憶ではなく記録に残す方がよいのだろうか」
「……どう、なんでしょうね。でも何十年もしたら〝今なにをしてたか〟なんて、きっとほとんど忘れちゃってるんだと思いますよ。人生は積み重ねなんですから」
小夏が水槽近くに走って行ったため、小声でそう答える。
実はあまり好きではないんだろうか。さっきもせっかくだから撮らせてくれただけで。
ふと思い立ち、俺はまじまじとスマホを見やる冬毬会長を写真に収めてみた。
収めた横顔はLINEですぐに冬毬会長へ送信する。
「私は今、こんな顔をしていたのか」
「……意外(?)だったんですか?」
「そうかもしれない。身だしなみを整える時くらいにしか鏡は見ないからな」
なるほど。ということは、今の表情は普段のものとはちゃんと違っていて。
会長的には何らかの感情が明確に込められた表情だったのだろう。
「ありがとう、真田」
「ど、どういたしまして(?)」
うーん……春乃先輩に聞けば分かるか? さすがに何か知ってるだろ。
んで、水槽を気楽そうに泳ぐアカシュモクザメ、ツマグロ、ハガツオやマイワシだのをひと通り写真に撮ったのち。さらに奥へと進んでいった。
どうやら今度は〝世界の海〟というエリアらしい。一つの面から各海の様子を切り取るようにして、水槽とそこで泳ぐ魚たちを記したラベルが配置されている。
最初に俺たちを出迎えたのは〝カルフォルニア沿岸〟の海だった。
「なんだあの、平茸のカサみたいなやつ……」
「お煎餅みたいだね。貝かな?」
「ふむ、エキセントリックサンドダラーというそうだ」
「エ、エキセントリックサンドダラー。し、知らねぇ……」
「あ、ウニなんだね」
ラベルによると砂に埋もれた飴色玉ねぎみたいな色の生物は、ウニ綱とのこと。
うん、当然ながら一ミリもご存知ではない。
「でもウニってトゲのイメージだよ、私」
「トゲのイメージだよなぁ、口の中がトゲだらけなんだろうか」
「いや、よく観察してみるといい。体毛のように見えるが、あれは短い棘だ」
言われた通り、よく観察してみる。
「……んん? あぁ、あの薄く漂ってるのがトゲなのか」
「それと棘の間にあるものが菅足だな。先端の吸盤を活用して動いたり、餌を捕まえる」
「そぉ……かも。なら斜めに立ってる子は、プランクトン食べてるのかもね」
(よしよし、今の返しは我ながら上手かったな)
特に最後の〝~なのか〟の部分がそうだった。
声の調子で疑問や納得に印象が変わるのは、日本語の欠点であり長所だと思う。
きっと他の言語ならばこのシチュエーションを乗り切れないはずだ。知らんけど。
それから〝カルフォルニア沿岸〟と〝カナダ西岸〟の海を鑑賞した後。
続く〝南シナ海〟で俺は、強く目を惹く一匹の魚と出会った。
(な、なんだこの全身で〝僕が先に好きだったのに〟を体現したかのような魚は……)
形の悪いスキンヘッドのような青い鱗、やたらとぶ厚い唇、宇宙の全てを理解したかのような生気のない眼。身体の大きさに対して、ふと気が付くと無言で背後を漂ってそうな希薄な存在感。あげく名前まで〝らしい〟のだからすごい。その名も――
「メ、メガネモチノウオ……」
眼鏡。持つ。魚。つまり人間に例えるとこれ、そのまま〝眼鏡くん〟である。
名前すら覚えられておらず、眼鏡と人間ということしか周囲に知られてない存在。
悲しいかな、まさにBSSの中で最も憐れで虚しい嘆きの象徴と呼ぶに相応しい。
「う~ん……愛嬌はあるよね、海で会ったら私はびっくりしちゃいそうだけど」
「いわゆるナポレオンフィッシュだな。ベラ科であるからメスに生まれ、群れの中で最も大きな一匹だけがオスに性転換して繁殖をする。あの額のコブの大きさはオスだろう」
マジかよ。つまり、こんな顔してハーレムの経験者ってことかこいつ。
BSSとは対極にいる存在じゃねぇか。な、生意気言ってすみませんでした……。
そのまま〝ハワイ沿岸〟を経て〝チリ沿岸〟にやって来ると、小夏の口から今日だけで何度目かも分からない「可愛い~」が飛び出した。
俺も小夏の笑顔が見る岩へと目を向ける。しかし身を寄せ合うようにそこにいたのは、たぶんフジツボの仲間らしきややグロテスクに思える塊だった。
(お、俺には化け物の生殖器かなんかにしか見えねぇや……)
やっぱり女子の〝可愛い〟はよく分からない――というより、あまり参考にならない。
あの中身もどうせ、のけ反ったエビみたいな感じだろうしさ。
「ピコロコだって。名前も可愛い~」
「……まぁ。ピコロコって名前は可愛い、か」
「うむ、確かに悪くない。トマりんの七つ下程度には可愛い響きだな」
(独特な感性だなぁ)
で。この後も四つほど海の様子を見て回ったものの、何だかんだ上手くやれていた。
語彙の取捨選択、合わない視線、鑑賞時の位置取り。加えて熟年夫婦ばりに相手の名前を呼ばないという意識があれば、アクシデントがない限りは平気なはずだ。
目下、危機的状況に陥るとすれば。それは昼食の時だろ――……。
――〝気づいたときにはもう遅い〟。
(煽ってんのか、てめぇっ!?)
ふと壁のプレートに書かれた文章が目につき、俺は思わず足を止めてしまった。
二人の歩みもおのずと止まり、当然の反応として疑問符を浮かべてくる。
「どしたの? 何か面白いこと書いて、ぁ……気づいたときには、もう……」
「ふむ、ウィーディ・シードラゴン。ヨウジウオやタツノオトシゴの一種だろうな」
湧いて溢れ出た水のように、頭の中を〝何故〟という言葉が満たしていった。
決して一人では正答にたどり着けない自問。俺はつい、小夏だけを見てしまう。
「なぁ、こ――」
「真田、どこを見ている?」
虚空を見つめる俺に対し、会長がそう尋ねる。
その一言ですぐに我へと返りった俺は、慌ただしく取り繕った。
「い、いやっ。な、何でもない。ほ、ほら行こう」
「?」
「う、うん。そう、だね」
答える幼馴染の表情は、明らかに何らかの含みを持つものだった。
な、なんなんだよ……それは、どういう感情なんだよ。分かんねぇよ……。
気づいたけどもう遅いって感じてることが、お前にもあるのか? 今、その胸に。
「「…………」」
俺と小夏を包むのは、形容し難い沈黙であった。
冬毬会長も急に俺が静かになるものだから、少しきょとんとした様子だ。
仮にもデートという体裁なのに、会長には本当に申し訳ないと思う。
それもあり、俺は原因となった〝オーストラリア西部〟のウィーディ・シードラゴンを心の中でひたすら罵倒して八つ当たりした。情けない話だ、全く……。
しかし、困ったことにこいつより遥かに許せないのがいた。
それは〝カリブ海〟に生息しているらしい、ベラ科のブルーヘッドだ。
またベラだよ。なんとこいつ、小さい頃はオスだと繁殖にあまり参加できないからメスとして過ごし、成長したらオスに性転換して繁殖を試みるらしい。
まぁ、ここはいい。効率の問題だしな。同級生が歳上と付き合ってるのを知り、脳破壊されるのと同じだ。BSSの遺伝子も勝手に受け継いでいけばよろしい。
だが、メスのふりをした小さなオスが他のペアの放卵・放精に混ざろうとするのは一体どういう了見だ? 春乃先輩がいたらきっとこう言っただろう。
やっぱりどの界隈でも性別を都合で使い分けるやつはクソね、と。
俺は今日だけで正直、ベラ科の魚が嫌いになった。ずる――……許せないだろ。
その先の〝深海の生物〟エリアでは赤っぽくて白い魚が妙に多く、冬毬会長のご高説によれば赤色の光が真っ先に吸収されて黒く見えるからとのことである。
そうして、最後。〝世界の海〟で訪れることとなったのは〝北極・南極〟だった。
少し時間が空いたおかげか、先程までの笑みを取り戻して小夏が言う。
「あっ、見て見てしーちゃん」
「1℃の冷たさを感じてみよう、か……」
「せっかくだから、と言ったところではあるな」
ちょうど俺たちの前では、兄妹らしき子供が仲良く冷たい部分に触っていた。
程なく順番が回ってきて、小夏と――あろうことか会長が、同時に手を伸ばす。
(ちょ、ちょちょ、ちょっ!)
お互いのことが見えていないのだから、俺が動こうとしなければ先に触ろうとするのは当然の思考回路だろう。これは完全に俺のミスだ!
直後。慌てて出した俺の手と、二人の手が重なる。
いや、正確には俺の両手が二人の手を隔てるように重なったかたちだ。
「「――――っ!」」
びくりと反応を見せる、小夏と冬毬会長。
とはいえ、その表情は紅潮と仏頂面というひどく対称的なものだった。
「え、あっ……ヒ、ヒトデだ。ほらあっち。ヒトデ! か、可愛い~」
「え? あ、あぁ……」
「ふむ、なるほど。そうか」
(お、おぉ? て、照れくれるのか、俺にもちゃんと……)
つい嬉しくなって、傍のヒトデを中腰で一緒に見ていた時。それは起こった。
小夏が目を合わすことなく。恥ずかしそうに俺の右の手を掴んだのである。
「…………っっ!?」
「昔は……よくこうやって手、繋いだ……よね」
しかもそれだけではない。いや、それで終わってはくれなかった。
「いや、本当に君は私を試すのが好きだな。周囲のカップルを見ていて、ようやく違いに気が付いたよ。デートとは、やはり男女で手を繋ぐべきなのだろう?」
(……は? マジかよ)
何を勝手に理解したのか、会長も自信満々に俺の左手を掴んだのだ。
周りの「え、やっぱそういう感じ?」みたいな視線がひどく痛い。
「そ、そうだよですね」
「えへへ」
「やはりか」
俺たちは揃って中腰から姿勢を正す。
(まずいまずいまずい……使えるはずの片手を使わないと思われるのは、まずい!)
そんな焦りの渦中。ふと目の前にいる〝それ〟の横目と視線が重なる。
アンタークティックトゥースフィッシュ。文字通り〝南極にいる尖った歯をした魚〟の液浸標本は、まるで時間ごと凍結されて身動きが取れなくなった自分に見えた。
エアプじゃないと書ける内容はもちろん増えますが、書きたくても書けない部分も出てくるので一長一短ですね……。
ありがとう、シノノメサカタザメ。




