34.思い……出したっ!
「え、あ。ちょっ、えぇ?」
幸いにも店内にいたお客さんの数はまばらで――……いや、人数の問題じゃないか。
ともあれ、数名の老紳士たちに向けて俺は「すみません」と何度か頭を下げる。
すると、これまた幸いなことに「いやいや、結構結構」「若いっていいよねぇ」とでも言いたげな理解ってる風の態度で、カップを軽く掲げる程度の反応が返ってきた。
「ま、前園さん。な、何もそこまで……」
「さっ、真田くんの価値観でわたしを決めつけないでくださいぃっ」
「それは……確かに。誠にごめんなさい」
あ、ちょくちょく真似してるせいでつい茉莉ちゃんの口癖が出てしまった。
小ばかにされてる気配を感じ取った前園さんは、机に顔を伏せて声だけ泣きわめく。
「ひぐぅっ、垢バレは魂の殺人なんですよぉおおっ!」
(いやでもバレたら困るようなこと、SNSに書き込んじゃう方が正直……)
「うぅ……い、今だってそんなのネットに書く方が悪いって思ってますよねぇえっ」
(思ってます)
「あ。ぁあ……思ってるって顔だぁ、そういう顔だぁあ……っ!」
こっちを見てないのに見えていた。すごいな! というか前園さんって、前からこんな感じだっただろうか? 知らない間にキャラが原型を留めないほど崩壊してる気がする。
「あら、前園さんじゃない。とても奇遇ね」
と、騒ぎを聞きつけた飾森がやって来る。しかもティーカップ持参で。
通路の奥の方を見れば、茉莉ちゃんがウェイトレスさんに一声かけていた。
で、前園さんがびくりと身体を震わせただけなのを確認し、そのまま席の奥側に彼女を押し込んでいく。恐らく当人からすると二重の力の差により、為す術がなさそうである。
(悪魔か、こいつ……)
俺より飾森の方がよっぽど殺人鬼だと思う。
そして、人見知りをあまりしない茉莉ちゃんが戻ったことで完成した。
向かいにあまり話したことない男子、隣に恐らくまだそんな仲良くない女子、トドメに全く知らない自分より身体の大きな女子という布陣の、前園絶対包囲網が。
「――それでガデちゃんって? あぁ、それが何かという意味ではないわよ」
「対久住春乃会議の続きもしたいですが、ボクも気になります」
まぁ、昨日の今日だしな。ぶっちゃけ俺も興味がないと言えば嘘になる。
しかしどうやら前園さんは沈黙を貫くつもりみたいだ。
「…………っ」
(悲しいけど、無駄な抵抗なのになぁ……)
案の定スマホを取り出した飾森が、こほん、とわざとらしい咳払いをして続ける。
「『母親なら唐揚げ用にレモンくらい買ったらどうだ。買い物中に聞こえてきた声に私は愕然とした。見ると、そこには子連れの夫婦。男は妻が押すカートへ乱雑にレモンを投げ入れて、俯く妻を見向きもせずに王様気分で先を行く。そんな光景に「揚げるのも、ママなのにね」と言ってくれた子供に私は、心の中で賛辞を贈った。それから私は娘を連れてパックの唐揚げを買い、旦那が待っていない家路についた』まる」
「あっ、あああ、ああっ、あ!」
「42万いいねもあるなんて、すごいじゃない。わたしには到底、真似できないわ」
無情の音読が開始され、祝詞を唱えられた悪霊の呻きがくぐもって響く。
一方的な弱みを握られた場合、大人しく従う方が傷は浅い、と経験者は語っておこう。
「お、夫どころか彼氏もいない……かどうかは決めつけだけど、いない、よな……?」
「めぐぅ!」
「……こんなやり取り、昨日もしたです」
確かに。このまま時が未来に進むと、先生たちみたいになるんだろうな。南無三。
「あらそうなの。とりあえず結婚おめでとう、前園さん」
「ぴぎぃっ! こ、コロシテ……コロシテ」
前園さんが文字通り虫の息という惨めさで、か細く鳴く。
ま、まぁ、分からなくはないよ。つい痛々しい嘘ついちゃう気持ちもさ、うん……。
「けれど適度なアジテーションを利かせつつ、それでいて唐揚げレモンという本題と一切関係ない論争に飛び火させて延焼を狙えるのは加点ね。名文の一つじゃないかしら」
「あ、アジ……?」
「煽動とかそういうニュアンスなのですよ」
「め、名文……っ!」
なるほど、そういう意味か。ところでそこ褒められて本当に嬉しい……?
どう考えても耳触りの良い言葉を適当に並び立てているだけな気がする。飾森だし。
俺には理解できない世界観の話だが、今はひとまず聞き流すべきだろう。
それから飾森の一言で自己肯定感が回復したのか、前園さんはゆっくりと口を開く。
「さ、最初はわたし……ぶ、文豪になろうとしたんです」
(文豪になろうとしたんだ……)
「頑張って一ヶ月くらいかけて十万字……大体、長編小説一冊分を書いてみて、サイトに投稿してみたんです。でも読者より、投稿した話数の方が多い結果でした……最初だからこんなものと思ってふと周りを見たら、わたしよりもずっと少ない文量で十万倍くらいの読者も評価もある作品がたくさんあって。どれもこれも駄作でした。わたしにとっては。でもその後、改めて自分の作品を読んだらもっと駄作に見えて……やめちゃいました」
難しいよな、そういうの。時には積み重ねより、運の方が強いこともあるだろうし。
俺は漫画でしか例えられないけど、打ち切り漫画を描きたい作者なんていないもんな。
が、ほろりと涙を流す前園さんはしかし一転、咲いたように顔をほころばせた。
「けどそんな時、わたしは出会ったんですっ! 男叩きの万バズ投稿に……っ!」
(出会っちゃったかぁー……)
「何回か垢の転生こそしましたけど、バズる傾向と対策を研究していたら五回に一回くらいは万バズに辿り着くようになったので……あっ、わたしこの道で食べていくんだなって」
「傾向と対策?」
「はい、まず前提として話が事実かどうかなんて関係ないんですよね。存在しない男女と子供さえあれば、同じ文字を書くって行為でもコスパとタイパよく数字が取れるんですよでゅへっへっへ。やっぱり女子供って括りにされるだけのことはありますよねぇ!」
俺が見たことある限り、過去一で楽しそうな前園さんがそこにいた。
この発言を切り取って投稿したら万バズいけんじゃないだろうか? 炎上だけど。
「そうして気が付けば、趣味の人間観察ついでにお洒落なアンティークカフェの隅っこで内容を考えながら五時間。キャラメルラテ一杯で粘るシワシワJKに……」
おぉ、店からすると見事な単価低すぎ有難迷惑客じゃねぇか。前園さんのどこにそんなつよつよメンタルが……まぁ俺、この子のことよく知らないからあれだけど。
なんにせよ、これが数字に取りつかれた哀れな現代人の姿か……悲しいね。
「い、一杯で五時間……それは、誠にその……頭が、ホイップされてやがりますね」
「分からないようで分かるけど、どんな文豪の比喩だよ」
ツッコミを入れると、テーブルの下でまた軽く蹴られた。
たぶん、茉莉ちゃん的にあり得ない行いなのだろう。思うに敵対的でもない初見さんにそこまで強くは出られず、ちぐはぐな言い回しになったに違いない。
「み、皆さんも狙い通り出力した成功体験からしか得られない全能感を知れば、わたしと同じになりますよっ! 間違いなく! 絶対、確実にっ!」
「全能感ってあの……部活だと普段フォワードやってるくせ球技大会になった途端、急にセンターバックをやり始めた時にだけ得られるあの全能感っ!?」
「はい、その全能感ですよっ、真田くん!」
「誠に頭、童話の中なのです……どっちも」
流れで何となく意気投合し、手を取り合った俺たちに茉莉ちゃんがため息を漏らす。
「そうなのね。ちなみにガデは、ガーデンのガデかしら」
「あっ、ですです」
「ところで断ったら教室で音読しようと思うのだけれど、一つお願いしてもいいかしら」
「あっ、デスデス」
し、しんじゃった。あれだけハキハキしていたのに、腹話術の人形みたいになってる。
けど、こういうとこが〝ったく、好きなのは俺くらいだろ〟な勘違いを育む気がした。
前園さん好きは大変だよな。得てして実は絶対、好きな男いるんだよ、こんな時。
「わたし、いざという時のために似たような育ち具合のアカウントが欲しいのね。けれどわたしには真似できないから、手伝って欲しいのよ」
(いざってどんな時だよ……)
「えっ、えぇ……と」
困惑して言葉を詰まらせる前園さん。すかさず飾森は彼女の両手を取り、告げる。
「いいえ、あなたにしかできないこと。あなただけが頼りなの」
「わ、わたし……だけが、頼り……わたしにしか、できない……そ、そこまで言われちゃ仕方がないですねぇでゅへっへっへ。頼りにされてる……頼りにされてる」
そして、自己肯定感のツボを刺激された前園さんは恐ろしい速さで陥落していた。
こうなるともう脅されて協力させられたという受動の記憶は脳内から消え失せ、頼りにされたから手伝ってあげるという能動の現実に改竄されてしまう。
人は強制されると反発しやすいが、その逆の場合は受け入れやすい。つまり、
(詐欺師とか悪徳ホストの話術じゃん……)
これには茉莉ちゃんも、前園さんに対してあからさまに呆れていた。
で、まぁそこから先はカフェで駄弁っているだけの普通のお昼時を過ごすことに。
対久住春乃有識者会議も改めて先輩の交友関係を洗いつつ、ひとまず冬毬会長から攻めていくというところに話の方向性がまとまった。
LINEのグループも作成し、結束感を得ながらもふと気が付けば時計の針も二周しており、その頃になるともう皆、割と打ち解け合っていた(俺以外)。
「――じゃあ、ボクは前園先輩と本屋によってから帰りますので。ここで」
「帰りますので。ここでっ!」
「おぉ、また学校でな」
「えぇ、また学校で」
という具合にカフェの前で解散となり、和気あいあいとした空気で二人は去っていく。
残された俺と飾森は別方向――駅の方へとのんびり歩き出した。
「結局、あの二人が一番仲良くなっていたわね」
「意外と周りに読書が趣味っていないのかもな」
「読書って能動的な趣味だもの。与えられることに慣れた現代人にはもう流行らないわ」
「能動、ね……」
受動的な人間は一生をかけて損をする。そう理解してても、実行できているかと言うとできてはいないと思う。だってできるならとっくに告白して、付き合ってたはずだから。
東雲小夏。俺の大好きな幼馴染。よく知らない男の、彼女。
「……まぁ、元から他人の懐に入り込むのが上手い方みたいだしな。茉莉ちゃん」
「あら、知ったようなことを言うのね。お兄ちゃん気取りかしら」
からかうように飾森が言う。すすんで話すようなことではないだろうが、隠し事というものは基本、悪いと理解しているからするものだと俺は思っている。
「あー、なんか。本当に半分、血が繋がってるらしいんだよな。俺もついこの前知った」
「えぇ、知っているわ」
「は?」
しかし降って湧いた疑問を引き裂くように、俺のポケットが振動を始める。
振動するということはつまり、小夏からLINEが届いたということだ。
「確認した方がいいんじゃないかしら」
「今はそれより、飾森。お前、なんで――……っっ!?」
だが。そう認識している指先は、なぜかスマホを取り出して確認していた。
そして、見覚えのないやり取りの一番下。たった今、送られてきた文面はこうだ。
《明日の水族館、楽しみしてるからね(黄色人間)(黄色人間)(黄色人間)》
(あ、明日の……す、い……ぞ、くか、ん……?)
画面の向こうにいる小夏が何を言っているのか、俺には理解できなかった。
明日の用事は、冬毬会長と水族館に行く予定があるだけ。その、はずだ……。
大体、俺が小夏との約束を忘れるはずがない。そんなのは、最早――
「!」
俺はハッとして飾森を見やる。隣を歩く彼女は薄く笑みを浮かべていた。
「そういうわけだからダーリン、明日は―――」
「…………っ」
「わたしともデートしましょ」
人生においてほぼ向けられる機会がない、そのワードに微笑みを添えて囁かれた瞬間。
俺は、現状の認識を作り出している原因の全てを思い……出したっ!
やっとデートに行ける……(テンポ悪くて申し訳ないです)




