19.体育祭、陰と陽の分水嶺2
(こ、このお題はさすがに狂ってるだろ! く、くそっ。た、体育祭が終わったら自治会経由で犯人を見つけて、自作ポエムを校内放送で朗読させてるからなっっ!)
誰よりも速くお題カードまでたどり着いた俺は、この難題に頭を抱えるしかなかった。
借り物競争で『幼馴染』なんてお題が機能するのは、せいぜい中学生まで。
それ以降は完全にレアケース! どう考えたっていない確率の方が高いはず。
だが俺はこのお題をクリアできる、できてしまう! けど……けどなぁ!
(渡会先輩から小夏を『借りて』ゴールなんてできるわけねぇだろがぁっ!)
俺がこうして悩む間に他の走者が次々とカードを手にし、それぞれ反応を示していく。
「しゅ、俊足を履いている人……だとぉ?」
「……えっ、へその穴から洗う人なんているのかなぁ」
「マ、マジックテープの財布でバリバリ音を立ててるヤツなんていないだろッ!」
「フェラーリ持ってる人間なんて普通の高校にいるわけが……っ!」
どうやらここにあるお題、全部イカレてるらしい。
しかもルールで一度手に取ったお題カードを戻してはいけないことになっている。
(ど、どうする借りるのか? 借りてしまうのか、俺はっ、幼馴染を――)
いや待て。よく見たら『幼馴染』の後に悪質な契約書みたいな小さい文字が続いてる!
ふ、ふざけやがって……マジで誰がこんなの考えたんだよっ!?
カードにはこうある。『もしくは彼氏・彼女。いなければ同じクラス内で一番素敵だと思う異性』――と。いや、あのさぁ……そこに人並み理性はねぇのか?
(……ん? 人並みの、理性?)
それが明らかに欠如しているバケモノを俺はひとり、知っているはずだ。
二年生の集団に溶け込む春乃先輩を見る。すると先輩は目で思想を押し付けてきた。
(引けたならとっと来なさい。もちろん、なるべく照れくさそうにね)
たぶんそんな感じの主張なんだろうけど、さも当然のごとく脳に悪そうな毒電波を送りつけてくるのは止めて欲しい。俺は先輩の対になる存在で、常識人枠なんだから。
『さぁ、お題を手にした各選手が一斉に散っていきますっ! 私も事前に何枚か確認していますが、いずれも柔軟な発想が求められるものばかり。私はやりたくありません!』
そんなのやらせるんじゃないよ! ともあれ俺は恥ずかしがる後輩を演出してゆっくり先輩のクラスに近づき、恐る恐る「は、春乃先輩っ!」と声をうわずらせてみせた。
「春乃先輩? あぁ、久住か。おーい、呼んでるぜ久住!」
「えぇ~、後輩くんからご指名とかなんかイイなぁ~」
「あ、あたし? な、なんだろ……あっ、同じ部活の先輩とかかなぁ?」
(ひぇっ)
さすが人間の擬人化。ここまでの白々しさを意図的かつ自然にこなすとは。
思うにゴール前のお題確認で俺にヨイショされる前提だ。怖いねぇ。
「さっ、行きましょう~。信二郎~」
「゛うッ!」
外面だけは好印象のまま、先輩に抱きつかれた腕が鈍い悲鳴を上げる。
それから俺と先輩はいい笑顔で借り物障害物競争のコースに戻っていった。
手繋ぎ平均台、尻で風船を割る共同作業、三輪車、ボールを背中に挟んで走る、哺乳瓶ミルク一気飲みなど多種多様であり、普通に恥ずかしい障害が待ち構えている。
だが、痛みはともかくこの状況。小夏と渡会先輩に共同作業を見せつけるという目的を遂行するに当たっては、割と理想的と言えなくもないのか……。
「ほら。何度も言ってるでしょ、反応を確認しようとしないで」
「そうは言っても気になるもんは気になりますって」
「ホント、チキンで頼りないオスよねぇ。保険をいくつか仕込んでおいて正解よ」
「やっぱり仕込みなのかよ、これ……」
お題なんて数百枚は用意されてるのに引き当てちゃうとか、先輩の悪運が強いのか俺の引きが弱いのかもう分からない。まぁ、この場合は両方かもしれないが。
会話する余裕を保ちつつ、俺と春乃先輩は次々と障害を乗り越えていく。
「にしてもなんで幼馴染なんてワードを一回挟んだんですか? ……い、嫌がらせ?」
「んなわけないでしょ。それじゃお題にする意味が全くないからよ」
「……なるほど?」
恋愛相談を聞く同好会が成立する関係上、カードを引いた大半がクラスの素敵な異性を連れてくるハメになるはず。だ、段階を踏ませることに何の意味があるんだ?
そう思考した途端、春乃先輩が露骨にため息をこぼす。
「最後のは単にお題として成立させるためだけの選択肢。いい? 〝選ばれる〟は愛情の種に水を注ぐ行為なのよ。そうね……ほら。小学生の時とか、ドッジボールのメンバーをじゃんけんで取り合ったりしたでしょ? あんな感じ」
「あー、まぁ……運動神経の悪さと立ち位置が浮き彫りになりますもんね」
言われると確かに〝選ぶ〟というプロセスは、メンタルを効率よく削る上で必要なことなのかもしれないな! うん、やっぱサイテーだわ。この先輩……。
そうして地面に低く張られたネットをくぐり抜け、ようやく最後の障害へと辿り着く。
待ち受けるのは、何故かクイズ研究部から出題される四択クイズ。
他の参加者がまだ来ていないので、一発で正答すれば一位は確定だった。
俺と春乃先輩は同じボタンに手を乗せ、問題が読まれるのを待つ。
「フフ、よくぞここまで辿り着きました。では早速問題っ、次のうち国産のフ――」
ピンポン!
「は?」
「――織田、信長ッ」
問題を言い終わる前に春乃先輩がボタンを押して即答する。そして、
「せ、正解っ! 問題は……次のうち国産のフリー素材は誰? 1.ファンタスティックビースト 2.ガンブリー 3.かねたしふみ 4.織田信長でしたっ!」
「「「うおおおおおおっ!」」」
(そんな盛り上がれるとこか、ここっ!?)
周囲から届く声には畏敬の念(?)が含まれ、他のクイズ研究部の面々も「へぇ」とか「想定の範囲内です」とか無駄に強キャラぶって背筋を伸ばしている。
てか信長以外、誰なんだよ! こんなの知識じゃなくて反射神経の勝負だろっ!?
(……あぁ、事前にカンニングか)
「違うから。これくらい常識でしょ」
絶対に常識じゃないのだが、過程はどうあれ最後の障害物をクリアしたことには変わりなかった。俺と春乃先輩は伸び伸びとゴールテープを切る。
そして実行委員のひとりによって、手渡したお題のカードが読み上げられた。
「えぇと、お題は……幼馴染! ふたりは幼馴染だったんですか!」
「い、いえ! その下にちっさい文字で続きがあるんですよ」
「あ、ほんとだ……もしくは彼氏・彼女、クラス内で一番素敵だと思う異性ぇっ!?」
当然の反応だろう。内容がグラウンド中に響き渡り、悲鳴に近い騒めきが起こる。
ただし、そんな渦中においてただ一体、春乃先輩だけが縦横無尽でいた。
「えー、やだぁ。素敵な彼女だなんて恥ずかしいなぁ、もう。信二郎ってば~」
「あ? ――いグッあナッ!」
素で返してしまった瞬間、本当に文字通り目にも止まらない肘打ちに襲われる。
これに気付くのは同等の使い手、あるいはパワータイプの人間だけに違いない。
「なるほど。通りで手を繋いだりするのに抵抗がないわけです。羨ましい……」
「い、いいことばっかりじゃないですよっ。け、ケンカとかしょっちゅうですし!」
「こんなこと言ってますけど、二人きりの時はすごく紳士的なんですよ。ふふっ」
女のウソって怖い。けどこれで本当に小夏と渡会先輩のメンタルを少しでも削ることができているなら本望……見ないと正直、あまり自信は持てないが。も、モテない……。
ちなみに二位を獲得した三年で女子の先輩は、油性ペンで親友の太ももにフェラーリと書いて四つん這いにさせることで乗り切っていた。見事な柔軟さと非道さだろう。
正直、俺もああいう面白そうなお題がやりたかったな……と思わなくもなかった。
*
「――世に蔓延るオスという生き物は、腕力が強いだけで知能も寿命も女に劣り、あげく出産能力すら持っていない! そう、つまりオスは女の下位互換! それを真に理解していないから私たち女は、今も寝る間を惜しんで虐げられてると自覚して欲しいのっ!」
「…………なぁ、これって言うほど体育祭でやることか?」
グラウンド中央。裁判所っぽい位置関係で教師を含めた各組代表が何らかの〝語り〟をぶつけ合う中、大半の生徒がそれを自分の椅子に座って見守っていた。
離れた最前列に座る小夏と柚本も雑談しながら不思議そうに観戦している。
「あら、応援合戦みたいなものでしょう」
「全然違うだろ」
「そう? 前園さんはどう思うかしら」
「えっ。あ、その……ど、どうでしょう。で、でも文化祭っぽいなぁ、とは少し……」
左隣に何故かいる飾森が答え、いきなり話を振られた右隣の前園さんは困り顔だった。
「だよなぁ。だって今話してる井上先生だっけ? なんか色々とアレじゃん?」
「あ、あはは……」
「えぇ、将来有望な逸材ね。あとでSNSのアカウントを教えてもらわないと」
物は言い様である。赤組代表の井上先生は恐らくネタ枠で推薦されたが、思ったよりもはっちゃけているせいで笑いも起こっていない。むしろ多くが引いていた。
もう白組先鋒の〝語り〟を待たずして、さすがに勝負ありだろう。
というのもこれ、勝敗は観客の反応に委ねられるタイプの種目なのだ。
「世の中には私をイラつかせるものが多すぎる! 男はいつも女の子に急にキレるなって子供みたいに喚くけど分かってない。女の子にはね、正当な理由があるの! 日々の積み重ねの結果でしかないんだから全部、男のせいなのよ! だから男は――……」
『んー、と自分の感情を自分でコントロールできないのは赤ん坊以下ですよ、スウィートベイビー井上。早く大人になりましょう? 先生の青春は終わってるんです』
「ふん? 綺麗な花瓶に水の注ぎ過ぎは駄目とご存じない? それと女は四十からッ!」
『はあ。その歳で表面張力も知らない……キリがなさそうだし皆、排除よろしく!』
話を遮って放送席から鋭い言葉を繰り出したのは誰か、もはや言うまでもない。
先輩の合図で実行委員の中でも屈強な男子共が井上先生を取り囲んでいく。
虹色の戦士はキーキーと金切り声を上げ、あっという間に強制退去となった。
『はい。というわけで気を取り直して白組先鋒、平岡先生どうぞー』
「あぁ、ハイハイ」
低姿勢で白組側の舞台に向かうのは、黒縁メガネをかけた瘦せぎすの男。
教師も全員は把握し切れてないが、さすがに強烈なのは二度も続かない……よな?
平岡先生は薄く笑い、それから小さく咳払いした後で〝語り〟始める。
「えー、まずミス井上の話ほど興味深くありませんのであしからず。それで、ですね……こう見えて私、小学生の頃からドラムをやっているんですよ。意外でしょう?」
(ドラムかぁ……バンドマンってクズのイメージしかねぇや)
先輩らの多くが先生の告白に頷いている。まぁ、確かにパッと見でそういうイメージは湧かないから、ギャップを作り出すことには成功しているのかもしれない。
「あら意外。てっきり学生時代の文化祭準備とか、教室で隅っこ暮らしな印象だったわ」
「こ、はッ!」
「偏見ひどくね?」
飾森の平常運転ではあるが、流れ弾を喰らってる前園さんのことも考えてやってくれ。
「動機は単純でね、当時気になってたクラスの子がドラム好きだったんですよ。付き合うとかそういうことはなかったけど、ドラムのおかげで前より仲良くなれました。たぶん、それが私の人生で初めての明確な成功体験だったんじゃないかと思います」
(おぉ、俺と似たようなもんだな。親近感)
「それから中学高校の六年間、吹奏楽部に所属したことを私は後悔していません。それに私の学校では男子がほとんどいませんでしたから、自分って意外とモテるんじゃないかと勘違いした時期もありました。今考えるとだいぶ調子に乗っていた気がします」
「先に言っておくけれど、あなたには無理よ」
「まだ何も言ってないんだがっ!?」
先輩じゃないんだから思考盗聴はやめて欲しい。裁判所に問答無用で来てもらうぞ。
「大学時代は中学からの親友に加えて新しく知り合った三人とバンドを組み、あちこちでライブをやりました。何をするにも五人一緒で……それはもう、夢のような日々でした。そんな中で私が、ただひとりの異性だった彼女に惹かれていったのも事実です……」
「ん?」
「ど、どうしたの真田君」
「……いや」
前園さんは感じられないのか、この不穏なラブコメの気配を。だが、男女の恋愛模様をラブコメで取り繕えるのは恐らく高校生まで――それを理解らなければ無理もないか。
「そして二年の冬の夕暮れ。彼女は私たちを集めて言いました。実は私――クラミジアと淋病、コンジローマ、トリコモナス他諸々。つまりね、えっちな病気なんだ……って」
「「「――――ッ!?」」」
や、やっぱり来た! しかもとびきり最悪なパターンじゃねぇかっ!
語りに耳を傾けていた男子の大半も胸と股間を抑え、想像上の痛みに苦しんでいた。
『……ッ、病名の開示による精神的な〝縛り〟の強化ね。リスクはバネ! 身体を重ねた回数と過ぎ去った日々が大きい程、絶望は深く突き刺さり諦めを呼ぶッ!!』
「えぇ、まさに久住さんの言う通りです。彼女の告白に私を含めたメンバーはひどく動揺しました。文字通り、抗いようのない絶望でした。ひとりは過呼吸になり、もうひとりは糞尿をまき散らし、残るひとりはただ……〝お前はトリコ?〟と」
確かにフルコースかもしれねぇけど、んなこと言ってる場合じゃないだろっ!?
「最後に彼女は、親指を立てながら笑顔でこう告げました……〝解放〟と。おしまい」
「「「…………」」」
誰も言葉を発さなかった。そりゃそうだ、青春話かと思ったら股間が痒くなるホラー話だったんだから。こんな目に遭った日には女性恐怖症になってもおかしくない。
「ふんッ、だとしてもヤれたんだからいいでしょ。ほらやっぱり女は虐げられてる!」
空気を読まず、遠くで何か叫ぶ拘束された井上先生。凄まじい執念だなぁ……。
過去の何が彼女にそうさせるのか。まぁ、たぶん何もなかったからなん――
「ふっ、それはどうかな?」
「「「――――っ!?」」」
全校生徒……中でも男子がある可能性を示唆する言葉に戦慄し、息を吞んだ。
「まだ私の自虐フェイズは終了していない!」
「「「ま、まさか……っ!」」」
この状況下において、全ての状況がひっくり返る事実はおよそ一つに絞られる。
つまり、つまりだ……平岡先生は、その爆弾魔のような女と――
「私は、私はぁ!」
「せ、先生! もうやめましょう、やめてください!」
「そうだよ、平セン! それ以上はッ! 心が…………」
担任を受け持っていると思わしき男子たちが席を立って涙ぐむ。
しかし先生の瞳には覚悟があった。決して譲らない覚悟が。俺には理解る。そして、
「私はぁ、童貞だぁああああっっ!」
泣いた。こんなに悲しいことはない。なにせ好きになった女子が自分以外と関係を持つという衝撃との合わせ技なのだ。今、こうしていることが不思議なくらいである。
クソ女を回避したと安堵するのは簡単だろう。だがこの場合、そういう問題ではない。
事実それを理解している生徒たちは、一斉に教師平岡のもとへ駆け寄っていた。
「あ、ありがとう……ありがとう皆。私程度がこれほど多くの生徒たちに囲まれるなんてもしかしたら今日は教師人生、最高の日なのかもしれない。でも、もういいんだ……」
「強がるなよ先生! 俺たち今日から親友だよッ!」
「そうだぜ先生! 辛い時は寄り添い生きるのが人間なんだ!」
しんみりとした空気がグラウンドを包み込み、平岡先生は儚げな表情を浮かべる。
「……本当に。本当にもういいんだよ、忘れて」
「「「平岡先生…………」」」
「だってこんな私にも今は、可愛くて胸が大きい理解ある婚約者がいるんだから」
「「「…………は?」」」
おっ、流れ変わったな。なんだここまでの話全部、理解ある彼くんの系譜だったのか。
そうかそうか、なるほどなるほど。とりあえず振られてくれないか? 頼むよ平岡。
「な、何が平岡だ! あたおかに改名しろよ!」
「托卵されて十五年後くらいに発狂してしまえ!」
「な、なにを言い出すんだ? どうしたんだ急に皆そんな!」
当然の反応を前に何がなんだか分からない、という風に慌てふためく平岡。
「どうかしてんのはてめぇだ、皆やっちまえ!」
「「「応っ!」」」
結局。内容の面白さではどうあがいても平岡の圧勝なので、〝語り〟の先鋒戦は白組の勝利に終わった。しかし代償として失った生徒の信用は、二度と戻ることはないだろう。
俺も今度、廊下ですれ違った暁には容赦なく舌打ちをするつもりだった。
そうして続く次鋒戦。正直まだやるの? って感じだが、ともあれ白組の先行である。
『両先生、初っ端から熱い戦いをどうもありがとうございました! では気を取り直して次鋒戦に参りましょう! まずは先行、白組から――――』
「一年D組、真田信二郎ォオオオオオオッ!!」
「「「――――ッッ!?」」」
あろうことか春乃先輩の声を遮り、一年と思わしき勇者は馴染み深い名前を叫んだ。
「う、うるせぇんだ……って、は? 俺?」
音割れ一歩手前の大音量も手伝い、クラスメイトの視線が一気に俺へ集中する。
その影響もあってか、次第に他クラスからも「あいつらしいぞ」と声が聞こえ始めた。
「あら、あなたにも男友達がいたのね。おめでとう」
「あぁ、大親友だよ。はぁ……」
普通に誰か分からなかった。最近、誰かに迷惑をかけたか? 思い当たる節がない。
「いいから黙って来い、真田信二郎ォッ! オレの顔、忘れたとは言わせねェッ!」
別人と勘違いしているのかもしれないが、完全に俺の方を見ているから顔に覚えはあるらしい。それにあの怒り具合は、こっちが行かなくても逆に来ると思われる。
なので俺は諦めて席を立ち、大衆が見守る中。表舞台へと上がることにした。
ちょっとパロディが渋滞してるのは反省しています。




