30 伴奏者争奪戦・下
しまったな。こいつの存在を忘れていた。
「今はお一人ですのね。時間は取らせませんから、今度はお話を聞いて頂けるかしら?」
にっこりと笑うステファニアに、溜息をグッと堪える。
こんなに早く、自分の行動を後悔するとは思わなかった。
先程飛び出してきたばかりの正餐室は視界に入ったままではあるが、まだそこから人が出てくる気配は無い。
食後の紅茶を済ませずに出てきてしまったのだ。無作法と非難されるほどではないとはいえ、エミリアは王太子の食事会をさっさと切り上げられるような立場ではない。まだ暫くはここを離れられないという事だ。
「……手短に、ということでしたら。エミリア様をお待ちしている最中なので」
「随分真面目ですのねえ。敗戦国の大公女殿下の身柄がそんなに大事かしら。──もう行く末が決まっている、という事ですの?」
エミリアへの嘲りを隠しもしないが、読みは鋭い。
大公家に嫁ぐのであれば、王族に準ずる存在になるということだ。学習院から一歩でも外へ出れば、これまでの敗戦国の大公女という立場とは比べ物にならないほど、厳重に守られるようになるだろう。
「エミリア様の護衛は陛下のお言葉によるもの。相手が誰であっても、王の命であれば私は身を尽くします」
だが、事情を説明してやる義理は無い。
ステファニアは癇に障ったとばかりに口元を指先で覆い隠して笑顔を引っ込めたが、今更だ。彼女の言動は私にとって、既に快いとはいえないものになっている。無駄口を叩く気が失せる程度には、彼女の要求に従うつもりはないと態度に出す。
「それで、お話とは?」
「……そうね。お時間は取らせない、というお話でしたものね」
再び、にこり、と笑顔を被り直したステファニアは、「実は、お願いがありますの」と宣った。
「単刀直入に言いますわ。私の伴奏者になっていただけないかしら」
──あ。これか。
ステファニアの『お願い』に、今更、今朝から続く謎の手紙や言付けの正体に合点がいく。
伴奏者の地位も巫娘選定の評価項目になるかもしれないと考えたのか、他の理由があるかは不明だが、あれらは演奏者の申し込みだったのだろう。
これまでに接点の無い家柄ばかりだったのも理解できる。接点のある家であれば、私が理由も無しにそんなものを引き受けることは無いと確信している筈だからだ。
「私のお父様は、かねてからカルディア伯爵にお近づきになりたいと願っているのだけれど、なかなか接点がないでしょう? もしよろしければ、私がご紹介申し上げたいのよ。もう次の春にはこの学習院を卒業となってしまうから、この機会に交流を持てないかしらと思って」
ステファニアの事情は少々異なるようだが、結局、彼女自身の狙いは私が彼女の演奏者になる事に変わりはなさそうだと口ぶりから判断した。
父親を盾にして自分の狙いを明かさずに済むよう話を組み立てるあたり、ろくでもない理由が潜んでいそうな気がするが。
「申し訳ありませんが、伴奏者の方はお引き受けできません。シュツェロイエ侯爵のお気持ちに関しては、承知した以上は折を見てご挨拶致しましょう」
なんにせよ、私はエミリアの伴奏をしなければならない事が決まっている。
第一課題からグレイスがエミリアのパートナーを務めるというなら話は別だが、そういう通達が下らない限り、私には選択の余地が無い。この件は既に宮中が動かしているのだ。
「…………そう。残念ですわね」
建前に使った以上、父親の話を丸ごと潰せば、ステファニアにはこれ以上私に伴奏者を頼む理由が無い。
断られる事を考えていなかったのだろうか?俯いたステファニアは無言で軽く礼を行うと、足早にこの場を去って行く。
……まあ、私の地獄耳は、彼女の歯軋りの音を拾ってしまうわけだが。
「レカ、ちょっといいか?」
完全にステファニアが立ち去るのを待ってから、カーテンの引かれたアルコーブに向けて声を掛ける。
ひょこりとカーテンの隙間から顔を出したのはレカとティーラだ。少し遅れてヴァニタの顔も加わり、なぜか縦に並ぶので、思わず吹き出しそうになるのをぐっと堪える。
「お話、終わりました?」
「ああ。今のうちに手紙と伝言について確認しておきたいんだが、纏め終わってるか?」
「はい、俺が」
張り切った顔をしたヴァニタが一度カーテンの向こうに引っ込み、紙束を持ってこちらへトトトと軽く駆け寄ってくる。
……ああ。やはり、義足を換えさせて正解だったな。身軽に動けるならそれに越した事はない。
要約された内容を確認すると、やはりすべてが伴奏者の依頼だった。ほんの二件、伴奏者を口実として家の方が繋ぎを取りたがっているようなので、この二件だけは私が文面を考えて返事を書かせなければいけない。
「これはお前が書いたのか?」
要約の文はレカの文字ではなかった。少し不慣れな感じがあるものの、丁寧に書かれた文字はおそらくヴァニタの物だろう。
「あ……すみません。俺が、俺から頼んで、やらせて貰ったんです」
「なぜ謝る? よく書けている。能筆は身に着くのに時間が掛かる技能だが、文官に大事な資質でもある。これからお前に書き物を任せることが増えるかもしれないな」
学習院内まで同行できるメンバーでは、書記が任せられるのはラトカだけだったので、ヴァニタにも仕事を振れるようになるならば随分助かる。下地があったおかげか、彼がほぼ即戦力だったのは思わぬ収穫だ。
「エリザ様、一度に褒めすぎですよ。ヴァニタはまだ耐性が無いんですから」
「なんで部下や従者にだけは褒め殺しになるのかしらね、この人は……」
レカとティーラがすかさずヴァニタの両脇に立ったかと思うと、なにやら言い出した。ティーラなど、ごく小さな囁き声ではあるが、学内だというのに敬語が外れている。
「……何か悪いのか?」
二人は無言で、何とも言えないような表情のまま、真っ赤な顔で固まるヴァニタを指差した。




