28 伴奏者争奪戦・中
びく、と僅かにエミリアが肩を揺らす。
ステファニアの視線と声は、それ程に苛烈だった。
強引に話をしようとするあたり、なにか切羽詰まった理由でもあるのかもしれない。だが当然ながら優先順位はエミリアの方が高いし、私がその理由に気を回してやる必要性も感じない。
一歩後ろに下がる。すると、動作につられてエミリアとステファニアの視線がこちらに向く。
それだけで、エミリアは何となく理解したようだった。
「……ご挨拶頂いてから、考えるとしましょう」
廊下のどこかで、思わずといった密やかな笑い声が響いた。こういう時の彼女の切れ味のよさといったらない。
震えそうな声ではあったが、エミリアはきっぱりと言い放った。そうして、思わぬ反撃に唖然とするステファニアの次の言葉を待たずに踵を返し、何事もなかったかのように講義室へと歩き出す。
私はすかさずそれに追従し、エミリアに寄り添う。
後ろでティーラがステファニアの侍女に話しかける声がするので、フォローはそちらに任せていいだろう。もしかすると追撃しているかもしれないが。
「お任せしてしまい、申し訳ありません」
周囲に聞こえないよう声を落として囁くと、エミリアは深く息を吐きだした。緊張していたらしい。それにしてはなかなか、怯んだ様子からは想像できないほど痛烈な一言だったと思う。
まあ、ステファニアが悪い。気が急いていたようだが、エミリアへの礼は完全に欠いていた。彼女の家柄的に、私には大きく出てもそこまで問題にはならないだろうが、リンダール大公女の方がカードとしての強さは一応上にある。
「いえ、大丈夫です。その、あの方、私の事だけでなく、カルディアさまの事も軽んじているような態度でしたから……」
もごもごと言いにくそうに言葉尻が萎んでいった。
……なるほど?意趣返しできて丁度良かったという事らしい。
中央大講義室に入ると、エミリアはもう一度、肺腑の空気を全て絞り出すように深く息をついた。ステファニアが後ろから追って来ないか気にしていたのだろう。
ステファニアに時間を取られたため、講義室の席はそこそこ埋まっていた。前方の方の席にエリックがいるのが見えたので、エミリアをそちらに連れていく。
講義の間は基本的に別行動だ。不慣れなエミリアに何か耳打ちするには私の身分だと少々外聞が悪いので、王太子か、大公家の二人のいずれかに任せる事になっている。
「ドーヴァダイン男爵」
声を掛けると、エリックはパッと明るい表情を浮かべて振り向いた。一瞬前までの退屈そうな顔とは随分な違いだ。
いつもそういう顔をしていれば、もう少し他の生徒にも敬遠されずに済むだろうに……。去年の騒動や高慢な言動が尾を引いているのか、今年度のエリックに近づこうとする生徒はほとんどいない。生徒自治会に加わったという話は聞いたが、生徒不人気で会長職にはまだ遠いらしい。
「お、来たな!ご機嫌麗しゅう、エミリア姫、カルディア」
「ご機嫌ようございます、エリックさま」
エミリアが礼を取ると、エリックはよしよしといった風に大きく頷いた。二人とも、僅かに浮いたこぶしをぐっと握っている。
仲のよい事だ。エミリアは四人の中ではエリックと最も打ち解けているようだった。エリックは懐に入れた者には非常に親しみやすい面を見せるところがあるし、面倒見もよい方なので、気さくにエミリアのフォローをしてやっているのだろう。
……前世のゲームであれば、おそらくこのままいけばエミリアはエリックと結ばれる未来に辿り着くのだろう。
現実としては、現状でも立場的なつり合いは取れているような気はする。『宮中』のエミリアへの認識を正確に測れているわけでないが、リンダールと国交を図っていく以上、エミリアの嫁ぎ先がドーヴァダインというのは十分に考えられる範囲だと思う。
そういう使い道であれば、グレイスの妻に据える方が使いやすいかもしれないが……アークシアがリンダールをどの程度重要視するかによる。
どのみち、敗戦国の人質であるエミリアは政略結婚の未来が定められている。ゲームのように自由に人間関係を深めていくようなことは不可能だ。
なんとも言えない気分でそんな事を考える私を他所に、エミリアとエリックは早速論文のテーマの話できゃっきゃと盛り上がっている。
どうしてそんなに無邪気な顔ができるのか、心底不思議なのだが……。
「お疲れさま、カルディア」
ポン、と後ろから肩を叩かれる。ゼファーだ。いつもながらの気安い労いの言葉に片手を上げて返し、エリックに一声掛けてエミリアを任せて自分たちも席を確保する。
「久々の共通講義で見たけど、なんかエミリア殿下、雰囲気変わった?」
「そう見えるか?」
「うん。なんていうか……父上みたいな。ちょっと動くだけでなんとなく見てしまうような感じ」
「それは凄い。モードン辺境伯並みの華となれば、教育の甲斐があったというものだ」
「え、カルディアが育ててるの?」
「そんな訳あるか。教育の手配をしただけだ」
ゼファーは肩を竦めると、ああ、そうだと目の前の本を数冊こちらの前に押しやってくる。
「ほら、これ。君のところの侍従から預かったんだけど」
「は?」
「なんか、新入り?見ない顔があの君にちょっと似てる侍女と一緒にいるのを見かけて、声掛けちゃった。で、仕事の邪魔をしたお詫びに預かったんだよ」
ほけほけと笑っているが、こいつはこいつで何を気さくに他家の侍従に話しかけて仕事を変わってやっているのだろうか。
「技術発展は分かるけど、それに戦争を絡めるのがカルディアらしいよね」
「戦争となれば必然的にいくつかの国を深堀りできるからな。うちの領には旧アルトラス民もいるし、南方国家群から来た者たちもいる。いい機会だと思っただけだ」
「でももっと平和的な技術発展もあるよね?」
……まあ、それは確かにそうだ。
「そういうゼファーはどんなテーマにしたんだ」
「リンダ―ルの宝飾品技術について」
「お前も私と変わらん」
思わずそう言うと、ゼファーは堪えきれないように噴出した。




