27 伴奏者争奪戦・上
「エリザ様、ディアンサス下級伯家の従者の方から取次を求められました。いかが致しましょうか?」
「またか。講義が終わる度になんだというんだ」
「さぁ~……ご用件までは」
首を傾げた私に、レカもつられたように首を傾げる。
一体今日は何があるというのか、朝一番からひっきりなしに知らない家の侍従が面会を求めてやって来ている。
「下級伯か……いや、これにも時間が無いので手紙をくれるよう言っておいてくれ」
「よろしいのですか?」
「いや、よくはないが……」
普段であれば下級伯家ともなれば直接侍従の言伝を聞くくらいはするのだが、今日から数日はそんな余裕も無い。
エミリアの曲が完成して、神官立ち合いのもと正式に伴奏者指定をしたのが昨日。本日の放課後より三日間、編曲を担当したレイチェルにより、みっちり演奏のご指導を賜る予定が入っている。
譜面自体は昨日の夜に軽く流し読みをしたが、予想通り、伴奏にしてはかなり難易度が高いものだった。右手は常に動いているし、左手は反復横跳びする。そして前奏で引き込むような曲の作りになっていて……楽団の曲を鍵盤用に直したような密度な気がした。
「本当に時間が取れない。すまないが、丁寧に詫びておいてくれ」
「かしこまりました。あ、それと、ファリナセア辺境伯家からお手紙をお預かりしております」
「爵位がどんどん上がってないか? 次の講義終了までに読んで要約しろ。必要があれば後で目を通す」
これで六件目か。ファリナセア辺境伯と言えば南西の端の領地で、貴族院ですらやり取りをした記憶が無い。縁も皆無な家からも接触があるとは、いよいよ面倒な予感がする。
「他になければ次の講義に向かうぞ。……そういえば、ヴァニタはどうした?」
歩き出してからレカの後ろに小柄な影が無い事に気が付いた。控え室に置いてきてしまったかと思ったが、レカは大丈夫だと首を振る。聞けば、ラトカと共に次の講義の用意をしているらしい。
「様子はどうだ」
「初日の動きとしては上出来ですよお!興味津々で学習院を見てますけど、場慣れしているのか緊張して動けない、ってことはなさそうです。それに、なんか面白い話を沢山知ってるみたいで、控え室で他家の方々の興味を引いていました」
そうか、と頷いて、後は足早に廊下を移動するのに集中した。次は外国諸史で、クラス全体での講義となる。つまり、中央大講義室まで行くわけだが、左翼棟の端からのはかなり時間が掛かる。エミリアも途中で拾って連れて行かねばならないし、ギリギリに入室して空席を探すのに王太子あたりなどに声を掛けられるのも御免だ。
中央棟にほど近いラウンジで待っていたエミリアと合流し、やっと歩調を緩める。
「カルディアさま」
「お待たせ致しました。講義室へ向かいましょう」
はい、とエミリアが私の手を取り椅子から立ち上がると、その動きにつられるように周囲にいた数人の学生が視線を向けたのが分かった。
巫娘選別の特訓の成果が出ているようで、エミリアの所作は洗練されたものになりつつあった。大公女という身分にふさわしい、一挙一動だけで人の注目を集め、黙らせることのできる振る舞い方である。
「今日の講義はどんな内容になるのでしょうか。とても楽しみです」
そんな周りの様子を気にするでもなく、エミリアはふわふわと笑って歩き出した。
外国諸史は基本的にリンダールの歴史を扱う科目であり、彼女にとっては得意科目。受講人数も多いので、他の講義ほど悪目立ちすることもなく、一番好きな学科のようだ。
「カルディアさまはどんな本を用意されました?私は交易によるアークシアとリンダールの文化の交換をテーマにして、フォビオ・テレジア著の『交易史書』と、文化史についての本二冊にしました」
ちょっと重たい本になってしまったけれど、アスランが持っていてくれて……と続けるエミリアに、一瞬何の事かと思いかけて、前回の講義を思い出す。
ああ、そういえば、論文のテーマを決めるために図書室から三冊ほど本を借りてこいと教師から言われていたな。確か、戦争による技術発展で適当に見繕って用意しろとレカに頼んだ。あ、それでレカはヴァニタに用意を任せたのだろうか。本を選ばせたら面白い内容を持ってくるかもしれないな……。
「技術発展に関するつまらないテーマです。エミリア様のものはいいかもしれませんね。リンダール側の文化に詳しくなければ調べられない。貴女ならではのものだ」
これまでこの国の貴族が他国の文化に興味が無さすぎただけかもしれないが、ほとんど聞いた覚えのない内容だし、時勢に乗っている。文化交換、つまり共通文化や共有できそうな文化について──論文が纏まれば、リンダールとの外交の参考にされる可能性も十分にある。
「本当ですか?交易史の比較をするだけでも興味深いと思ったのですけれど、商業そのものは疎くて……」
「カルディア伯爵、ごきげんよう。講義の合間に申し訳ないのですけど、少しよろしくて?」
突然背後から掛けられた声が、エミリアの話に割って入った。
何事か、と振り返ると、それとなく警戒態勢をとったレカを意にも介さず、赤髪の令嬢がこちらをまっすぐに見据えている。
誰だ。見覚えがあるような気がするが、思い出せない。おそらく、同学年ですらない。という事は三年生だろうか。装いから鑑みるにどこぞの上級貴族のご令嬢だと思うが、そんな知り合いはいない。通りすがりに見た既視感があるだけなのだろうか。
なんと言うべきか迷った隙に、令嬢はさっさと名乗った。
「私はシュツェロイエ侯爵家のステファニアと申しますわ」
確か、シュツェロイエ侯爵は近衛騎士団長だったか。近衛騎士を多く輩出する名門貴族家の筈だが、あまり貴族院に出てこない人だ。面識と呼べるようなものも無い。
全く縁の無い貴族に対して社交の場でもなしに直接話しかけてくるというのは、マナー違反という訳ではないが、少々行儀が悪い。通常は先に侍従を通したり、手紙を送ったりするものだ。
「……申し訳ありませんが、シュツェロイエ侯爵令嬢。今の私はリンダール大公女の護衛です。殿下を次の講義室までお連れしなければならないので、ここでのお話は出来かねます。ご挨拶はまた後程、相応しい場所で改めて。それでは失礼致します」
とりあえずエミリアを盾に断った。
さすがにあからさまに混ぜた嫌味に気づいて、この場は引っ込むだろう。──と、思ったのだが。
「では、リンダール大公女エミリア殿下。殿下の護衛殿とお話しさせてくださるかしら?」
ステファニアは間髪入れず、エミリアに矛先を切り替えてきた。




