21 仕切り直し
カコン、と小気味よい音を立てて薪が割れる。次の薪を手早く立てて、また斧を振り下ろす。一度目は斧を食い込ませ、二度目で真っ直ぐに振り下ろせば、カコン、と薪は二つに割れる。
単純で、しかしなぜかなかなか飽きの来ないこの作業を、私はそれなりに気に入っている。
だが、そういえば王都で薪割りをするのはこれが初めてかもしれない。
クラウディアの来訪から三日が経ち、体調は完全に回復した。
回復したはいいが、その後領地から齎される仕事があからさまに減っていた。
空いて持て余した時間に何をすればいいのか分からず、とりあえず庭へと出てみたら薪と手斧があったので、なんとなく無心で割っているところだ。
領地ではよく空いた時間に薪割りをしていたが、王都の日々は目まぐるしい。ここですべき事と領地ですべき事の両方をせねばならないからだ。
とはいえこれから先の暫くは領地の仕事は落ち着いている。
言うまでもない、クラウディアの仕業である。
どうやら何度か仕事を頼んだイルジュ村の住人をごっそりと領地運営に引き込んだようだった。
人手があり、その人手に適切に仕事を任せる事が出来るなら、オスカーの仕事を分配する事が出来る。つまりオスカーは私に回していた仕事をする事が出来る。
オスカーの仕事量は変わっていないのだが、本人もその妻も不満は無いようなので、触れずにそっとしておこう。
まあ、ともかくだ。
つまり、忙しくもなくなった私はあのイベントからは逃げられなくなったという訳だ。
ゲームでの詳細に関しては、もう殆ど覚えていない。
だが貴族院に通う一貴族の子女且つ当主として、それがどういう催しなのかくらいは、当然ながら把握している。
シャナクの巫娘。
降臨祭ではミソルア神の神后として遇され、国王陛下を含む国の重役達の前で舞いと歌を披露し、王子へと冠を授ける役割を担う。
神子クシャ・フェマがこの世に降臨した事を祭る日において、それを産み落としたとされるシャナクは最も重要な存在として扱われており、巫娘の選抜も相応の規模を伴っている。
選任者の顔ぶれは例年変わるが、王妃とシャナク神殿の宮司が最高選任者となって巫娘を選び出す、とくれば、その特異性も際立ったものだ。
畢竟、国中の貴族の娘が集まる学習院の代表として選出された巫娘は、つまりは国家の次代を担う女性の代表格としての扱いを手に入れる事となる。
具体的には、王妃とシャナク神殿の猶縁者として扱われる、という事だ。
二年生と三年生での争奪戦にはなるため、大抵は三年生が勝ち取り、それを以って上級学習院への編入や、力ある貴族家との養子縁組、或いは縁談などの権利を手にして卒業していくのがその『扱い』としての実情である。
候補自体は、学習院側が家柄と成績を考慮して各学年で10名ずつ指名する。
エミリアの指名は……上層部の動きからして必ずある筈だ。
彼女の最終的な処遇は今もって分かりかねる。『宮中』の考えは、アルバートの追放とアルフレッドの立太子の件を中心に、理解の範疇を超えたところにあった。
つまり、それを理解するための前提──何らかの情報が私には無いのだ。
無論、国家中枢の機密など進んで知りたいとも思わない。既に明らかな面倒事には巻き込まれている。これ以上の面倒は御免被りたいのが本音であった。
学習院を卒業したら、領地の開発に専念したいのだ。
王宮の事情に巻き込まれ、カルディアの地から離されるのは嫌だった。
私の生は、カルディア領民への贖いのためにある。
国家の歯車であれというテレジア伯爵の教えには殉ずるつもりでいるが、それ以外の箇所に今更嵌め変えられたくはない。
「エリザ様、そろそろ出掛ける準備をしたほうがいいですよ」
「ああ、レカ。そうだな」
ひょこりと顔を出したレカに頷いて、やっと私は手斧を降ろした。薪は充分な数を割っていた。レカと共に手早く周辺を片付けて、汗をかいた身体を拭き、ラトカが用意してくれていた外出着へと着替え、髪を整える。
テレジア伯爵を尋ねろ、とわざわざあのファリス神官が言ってきたのだ。聞かないわけにもいかない。
そんな訳で、早速病み上がりの身体をほどよく動かす事にした。
伯爵の邸には、それほど頻繁に訪れている訳ではない。
だが、訪問の度に邸の中の人員が少しずつ減っている事には気づいていた。
「よく来たな。早速だが、王宮を辞した。それに伴い、財産の整理を行うつもりだが、オスカーに相続させたい部分がいくつかある。問題ないな?」
寝台の上を跨ぐ特注の机に資料を山積みにして、テレジア伯爵は寝衣のまま私を出迎えた。
あまりの衝撃に、私は挨拶を忘れた。テレジア伯爵はそもそも挨拶などぶっ飛ばして話を始めようとしているが、ともかくそんな事は頭から消え落ちた。
これまではどんなに楽にしていようとも、格好だけはそれなりに整えていた伯爵が、明らかに人と会うものではない姿でいるのだ。
まさか。もう、そんなに──?
「エリザ?」
訝しげな伯爵の声にやっと我に帰った私は、それでも戸惑いを隠せなかった。前回彼を訪ねた時からは、想像もつかない変化だったのだ。
「テレジア伯爵……お加減が優れないという話は伺っておりませんでしたが……」
「当然だろう。そんな話は儂も知らぬ」
「……はい?」
「正式に職を離れ隠居したのだ。この邸に来るのは最早格好に頓着せずともよい身内だけなのだから、楽な装いくらいしてもよかろう」
そう言ってぺらりと資料を捲るテレジア伯爵は、完全に楽隠居の老人である。
職を辞しただけでここまで雰囲気が変わるか。これまでどこかに残っていた、彼の張り詰めた緊張感──それが全くと言って良いほど無い。
悪く言えば気の抜けた……いや、あえて悪く言うことでもないか。
完全にリラックスした状態の伯爵など、初めて見た。
「……長年のお勤めに敬服致します。何はともあれ、この度の見事な御引退、まことにおめでとうございます」
やっと衝撃から立ち直り、センスのかけらもない定型の賛辞を絞り出すと、伯爵は呆れたようにフンと鼻を鳴らした。不肖の被後見人で申し訳ない。
「それで、財産の相続について、でしたか?」
話の本筋に戻ると、テレジア伯爵は頷く。
「半分ほどをやろうと思ってな。残る半分は本家にくれてやるつもりだ」
「わかりました。では、近々オスカーを寄越しましょう」
「頼むぞ。それと──またお前、なにやら不穏な事態に足を掴まれているようだな?」
仕方のないやつだ、と言わんばかりの伯爵に、私は肩を竦めてみせた。メルキオールの事は私にも完全に予想外であり、回避不可能だったのだ。
彼にとって親しいファリス神官を働かせてしまっているのは申し訳ない事ではあるが。
「私としてはそれよりも、シャナクの巫娘の選出についてが目下の悩みではあります」
メルキオールの件について簡単に経緯を説明した後、素直に内情を吐露すると、テレジア伯爵はふうむと頷いた。
「其方一人では限界があるな」
「まさしく。私は巫娘選出の基礎となる淑女の授業に出ておりませんから」
これが大問題だった。
──つまり私には、巫娘の選出課題の内容が全くもって分からず──ほぼ確実に指名されるであろうエミリアの巫娘の選出に対し、何の対策も立てられてないのだ。
私の淑女教育のほとんどを省いた張本人は、浮かべてしまったものすごい渋顔を瞬時に偉大なる後見人の仮面へと戻し、「できる限り協力しよう」と鷹揚に頷くのだった。
お久しぶです。
iphoneにスマホを変えてみたところまったく操作に慣れず、やっと癇癪を起こさずに小説を打ち込める環境ができたところに時間が取れました。
いやー、iphone。個人的に好きじゃないですねこれ。
更新が止まっている間に頂いた感想はありがたく読ませてもらっていますが、ちょっと返信が難しい量が貯まってしまいました。申し訳ありませんが、一律に返信を停止しようと思います。すみません。




