11 エミリアの扱い
始業のセレモニーといえど、儀式的な事がある訳では無い。
学長や教師に必要以上の権威も無いため、微かにまだ覚えている前世の記憶始業式とも趣が異なる。式典といえど基本はやはり夜会であり、社交の場だ。
王太子とエミリアは無事に踊り終え、周囲を囲んでいた学生達から踊りたい者が入れ替わるようにホールの中央に進み出て動き始める。
暗黙の了解として、賑やかしとなるよう公族は二曲目を率先して踊る事になっており、エリックとグレイスは侯爵家あたりから適当なパートナーを見繕ってそれに参加。
王太子は私にエミリアのエスコートを引き継ぎ、ジークハルトを伴って会場の端へと消えていった。
おそらく場の緊張が和らぐまでは引っ込んでいるつもりなのだろう。
──或いは、少し休みに行ったか。王宮で見た彼の白い顔が脳裏を一瞬、過る。
「エミリア様、少し休みましょうか」
緊張からか、戻って来たエミリアもまた血の気が引いて青褪めていた。
無理もない。彼女に対する学生達の隔意と敵意、そして嫌悪感は大人のものより剥き出しで直接的だ。その中での社交界デビューであり、ダンスのパートナーは王太子である。恐らく、彼女の人生で最も精神的な重圧の激しい数分間だっただろう。
軽い放心状態のようにも見えたので、手を引いて隣の併設ホールへと向かう。
食事や休憩の為にテーブルやカウチなどが用意されているスペースであり、テーブルの方へと進み出ると、給仕に二階席へと案内された。
二階席自体は狭いものの、席の間隔は広く、ダンス用のメインホールと併設ホールのどちらも見下ろせるテラスのような作りとなっている。
所謂VIP席のようなものだろうか。大公女の護衛としては非常にありがたい席だ。
給仕と入れ替えにホールの隅で待機していたティーラ、レカ、侍女の装いをしたラトカが世話をしに傍へとやって来て、未だぼうっとした表情のエミリアに心配そうな視線を向ける。
ちらっとこちらにも向けられた視線は、この子大丈夫なの?という語り掛けだ。うん、まあ、頑張ってはくれたが大丈夫ではないのでここへ連れて来たところである。
「……ティーラ、ミルクを入れた温かい紅茶を」
「はい、エリザ様」
指示を出すと音でも出そうな俊敏さでティーラは階下へと消えていった。
その間にラトカとレカはてきぱきとテーブルを整え、軽食を用意する。
「……あの、カルディアさま」
手持ち無沙汰にそれらを眺めていたところ、消え入りそうな声だが、やっとエミリアが口を開いた。少しは落ち着いたのだろうか。
ちなみに、カルディアという呼び方は、大公女となれば学生のうちでも大人達の社交場へ出る事もあるだろうと変えてもらったものだ。
エインシュバルク伯爵という名は普通、前ユグフェナ王領伯の事を示す。上級と下級で違いはあるが、基本的に人を呼ぶ際にはそこまで言及はしないので、私の場合、一対一の場面ではともかく、社交界ではカルディア伯爵のまま通されるようになっている。
王より氏名を賜る貴氏という文化はアークシアだけのものらしく混乱されたが、厳密な定義などは無く、アークシア人も慣習と感覚に基づいてふわっとした扱いをする単なる名誉なのでそうなるのも仕方ない。
「私、何か失敗などはしませんでしたか?緊張のあまりか、アルフレッド殿下のご挨拶の頃からあまり……記憶が……」
どうやらエミリアは『頭が真っ白』の状態だったらしい。
申告しながら、大公女が公の場で自分の状態も把握できなくなるという事態の深刻さに思い至ったのか、エミリアの表情がどんどん険しく強張っていく。いや、強張っていたのは元からだが。
さて、なんと宥めるべきか。ちらりとラトカに視線を向けると、ラトカはぎろりと私を睨み返し、微かな動作で顎をしゃくって「やれ。分かってるだろ」とでも言いたげな指示をしてくる。
はぁ……、本当にあれをやるのか?
話はここ数日を遡る。
新しい寮宅の支度を終え、エミリアを迎えた時点で、春休みは残り十日となっていた。
ハイデマン夫人により暇を持て余していた私は、その残った時間をエミリアの振る舞いの改善へと充て、ついでに彼女と多少の信頼関係の構築を図ることにしたのだ。
エミリアとの同居が決定した時点で、彼女の家庭教師としてマレシャン夫人を王都に呼び寄せる事に決めてはいたが、マレシャン夫人も現在は領内の人材の教育者という立場にあり、そう簡単に動かせるものではない。
幸い、村の名主の家の娘やシル族の娘を中心に、他人へ教える事を前提にした読み書き計算を教え始めていたため、そちらが一段落すれば王都へ移れるとの事だったが──ともかく、始業セレモニーに必要な作法については私とティーラ、ラトカにより仕込む事になった。
──まあ、王家や大公家にエミリアの家庭教師を頼む事は簡単なのだが、ハイデマン夫人の例の通り、全く知らない人間がこの家に踏み込んでくるというのも少々面倒だ。
そして当然、手段を選ぶには十分な程度には、エミリアには基本的な作法が身についている。
とりわけ、重点的に練習させたのはダンスだ。
挨拶の際は女性という事もあって、ほぼ黙って立っていればいいだけだが、ダンスはそうもいかない。アークシアとリンダールではダンスの種類が異なるという問題もあった。
結果的には、付け焼き刃としては十分エミリアはアークシア式のダンスを習得した訳だが──
「あのさぁ。エミリア様の扱い方、もうちょっとどうにかならないのか?」
「は?」
ラトカが突然そんな事を言い出したのは、昨晩。始業セレモニーに向けて私の髪の手入れを行う最中の事だった。
「いや、なんか……噛み合ってないだろ、エミリア様とお前」
それがこの十日ほど、エミリアと私を一番近くで見ていたラトカの印象であるらしい。
「噛み合う必要性も無いだろう」
「いいや、あると思うね俺は」
切り捨てようとした所を逆にばっさり切り捨てられ、私は黙る。こうなると、聞くだけ聞かねばラトカは動かない。強情な奴に育ったものである。




