04 新居
「ここだよ」
王太子が馬の歩みを止めたのは、上品な石畳の敷かれた寮宅エリアの一区画の通りの奥の行き止まりだった。噴水の置かれた広場に他の建物と遮られて、その黒い豪邸はやたらと存在感を放ちながら聳え立っていた。
これが私の新しい寮宅らしい。
ちょっとした小城のような半木骨造のそれは二階建てで、高い屋根裏部分を含めればほぼ三階建てとして使えそうだ。広さとしては黄金丘の館と同じくらいある。
「これ……ですか……」
半ば呆然と呟いたのは、その建物が寮宅と呼ぶにはあまりに立派すぎたからだ。間違っても一人に与えられるものではない。
「うん、これ。ゲルダの館というらしいね」
「ゲルダの館?」
「そう。僕達王族とその従者は寮宅街とはまた別の、学習院内の離宮に住む事になっているのだけど……百六十年くらい前に居たゲルダ姫っていう王族が他の王族との共同生活を嫌がって……というより、貴族達と学園での生活をなるべく分けたくないと思ったらしくてね。それで建てられたのがこの館だという話だよ」
寮宅の移動手続きをしてくれた王太子の手前、私は一瞬浮かびそうになった引き攣り笑いを全力で押さえ込んだ。
今まで私が住んでいた寮宅でさえ、現在の学園内では王太子に次いで高い身分を考慮されてか、過分に大きく立派なものだった。それが更に広く、豪奢になったのである。顔を引き攣らせずにいられるわけがない。
「……まあ、今のあなたを一般的な生徒と同じように扱うことには、ちょっと抵抗があるからね」
王太子は宥めるようにそう苦笑した。
一体私のどこが一般的な生徒ではないというのだろうか。ちょっと領地のため国のため貴族の務めを果たすために休学していただけではないか……。少なくとも学習院内では殆ど何もやらかしてはいないはずだ。エリックとの対立を除いては。
「取り敢えず、中を見てみない?必要なものがあればこっちの負担で用意することになってるから」
「は?──あ、いえ、移動や寮費の差額だけでなく、ですか?」
「勿論。こちらの都合で一方的に寮宅を移動させるわけだから、そうして当然でしょう?」
王太子の苦笑は更に深まった。
中を見て回ると、ゲルダの館は不思議な構造をしていた。キッチンと食堂、エントランスホール、それから使用人の部屋を除き、内部は完全に2つの建物に分割されているのである。
王太子曰く、何十年か前に男女の双子の公爵子女がここに入る事になった際にそのように改築したらしい。
王太子は必要なものがあれば、と言ったが、ゲルダの館は内装から調度品に至るまで、全てが王室御用達の高級なもので整えられており、既に準備してある荷物以上にそこに新たに持ち込む必要のあるものなど無かった。
……これが元は王族の為に設えられた館か。金銭感覚の差に呆けるよりも先に頭が痛くなってくる。傷つけたり壊したりしたらと思うとあまりに気が重い。
「本当に私がここに住むのですか……」
正直に言って勘弁して欲しいというげんなりとした気分で、一通り案内してくれた王太子に思わずそう零してしまった。
「ごめんね、急な話で」
「いえ、王太子殿下ひいては王家や上級貴族院の方々を非難する気は全くありません。しかし、これはあまりに分不相応かと…………そろそろ、ご説明して頂いてもよろしいでしょうか?一体どのような理由で私がこの館に移り住む事になったのか」
王太子が動いているから、と理由を尋ねるのは後回しにしていたが、そろそろ聞いてもいいだろう。
そう思って切り出すと、王太子は何故か窓の外にふいと視線を向けた。
「そうだね、そろそろ来ると思うから」
…………何が来ると?
訝しんだちょうどその瞬間、馬車の轍の音が近付いてきた。音はゆっくりと減速し、この館の車寄せに停車する。ややあってノック音がした。
「着いたみたい」
…………だから、誰が?
王太子は「会った方が早いよ」とはっきりとした答えを言わず、さっさとエントランスホールへ降りて行ってしまった。
まさか王太子に客人の出迎えをさせる訳にもいかず、クラウディアに合図を出してそれを追い越させ、玄関を開けさせる。
…………ああ、なるほど。
確かに王太子の言う通りだった。会った方が早い。煩雑な説明など不要だ。
そこには、不安げな表情を浮かべたエミリアが立っていた。
「あ、あの……御機嫌ようございます、王太子殿下……エインシュバルク伯爵」
おどおどと礼を取るエミリアに、私は内心で溜息を吐く。一応、名目上は対等な扱いとなる留学生なのだから、もっと堂々とした態度を取るべきだろう。少なくとも全方向に対して萎縮されていては、アークシアはどんな非道な扱いをしているのかとまた言い掛かりをつけられかねない。
「御機嫌よう、エミリア殿。……もうカルディアとの顔合わせは済ませているね?紹介は必要ないよね?」
あまりにもエミリアの態度が硬かったためか、王太子はやや不安そうに確認を取る。エミリアは頷いたが、王太子は念のためといった様子でこちらを振り向いたので、私の方も頷いておく。
そうして、そっと王太子に端的な確認を囁いた。
「……学習院の中で不自由が無いように、という王命、ですね?」
王太子は小さく頷いて肯定した。
つまりだ。
私はエミリアと一つ屋根の下で暮らす事になったらしい。
一応内部空間は殆ど二つに分けられているので、共に生活を送るというより、ルームシェアならぬホームシェアのような感じになるのだろう、が……。
「どうしてこうなった…………」
誰にも聞こえないように、私はぼそりと小さくそう溢した。
ただでさえ今年は養子のあの子がいるというのに。
ああ……そういえばあの子名前を考える必要があるんだったな。有難くもエインシュバルク家の方々は、私を名付け親にと望んで下さったのだ。
思考をそちらに逸したのは、完全に現実逃避のためだった。




