カルディアの春の芽吹き・1
今年の冬は雪解けが早かった。
十六月に入る前に本格的な降雪は終わり、半ばになると既に降り積もった雪が解けだし始めている。西の湖水の上に張った氷ももう薄くなっているらしく、予定していたよりも漁の再開を前倒しにする事となった。
そうした季節柄により発生する些細な仕事を熟しさえすれば午後は少々ゆっくり出来る。
学習院への入学に際して領主の仕事を分散させたので、やっと時間にゆとりを持てるようになった。……まあ、学習院に戻れば課題を熟すために容易く潰れてしまうようなゆとりではあるのだが。
それでも仕事がより効果的に、無駄な負担の無いように割り振られるようになったのは、偏にオスカーのお陰である。
領内の立て直しのためにテレジア伯爵があえて領主の元に仕事を集めていたという事もある。が、しかしそれでもオスカーは仕事の振り分けが抜群に上手い。
何より、領軍の見習い兵となった子供達を中心に、数年前に招聘したアール・クシャ教会の司教と協力して書類仕事の出来るような教育をしているのが助かった。
それほど難しい文章が読めずとも、計算と必要な単語さえ理解出来れば領軍内の事務仕事を回せる人間が格段に増える。それに、もし将来怪我などで領軍を退役したとしても、仕事を与える事が出来る。
慢性的な人員不足の解消のために領内が動き始めている。春休みの間だけの時間のゆとりだが、領内の変化を体感するには十分だった。
息抜きと称してティーラ達三人に部屋から連れ出された私は、今やすっかり定着したシル族式の防寒具に身を包んで、未だ雪の残る庭へと降りた。新設した領主の館は黄金丘の館よりも随分庭が広く、もっぱら二匹の狼竜のためのスペースとして扱われている。
「あっ、エリザ様」
「……メフリ」
その庭の片隅に身を隠すようにして、幼い少女が座り込んで震えていた。
領へと連れ帰った元リンダールの工作兵であり、未だ謎の多い存在、魔法使いであるメフリだ。
「何故そんなところに……」
雪は止んだとはいえ、未だ冬であり積雪も残っている。屋外でぼうっとするには向いているとは言い難い気温だ。
「エリザ様もクラウディア様も、仕事だったから。鱗翼竜を見てた」
部屋には入れなくて、とメフリは困ったような顔をする。
私は何と言えば良いか分からず、彼女の寒さに赤くなった顔を眺めるしかなかった。
連れ帰ってきてからというもの、メフリはずっとこんな調子であった。
私、クラウディア、それから狼竜であるラスィウォクとヴェドウォカにしか心を許さず、他の者との接触を避けている。
館にはメフリが利用しようとした、ヴァニタ達元奴隷の少年少女達も保護されている。彼等と顔を合わせたくないのは理解出来る。自業自得なのでどうしようもないが。
メフリには個室は与えてあるのだが、私かクラウディアの傍に居られない時にはこのようにして拓けた場所で、人目につかないように蹲ってばかりいる。
寒い外でこうして震えているくらいならば部屋に居て欲しいのだが、彼女の過去や精神状況を考えると、無理に部屋に閉じ込めておくという事も出来ない。
「熱を出す前に、館の中に入れ」
結局、この場ではそう言うしか無い。けれどメフリは濁った目で私を見上げて薄く笑い、首を横に振った。
「エリザ様の部屋に居てもいいならそうする。他の子が居ても我慢するよ?」
「……メフリ、言う事を聞いてくれ。私はまだ幼いお前を側近に付けるつもりは無いし、かと言ってわざわざ引き取った子供が館の外で震えているのを見逃す事も出来ない」
「………………。」
メフリは口をへの字に曲げて、私をじろりと見上げる。
「困っているんだね、エリザ様」
そうして呟かれたその一言は何故か喜色に染まっていて、思わず眉間に皺が寄った。
「部屋には戻りたくない。ここに居るのがダメなら、村へ行っても良い?」
「もっと温かい格好をして、アスランと一緒に行くならな」
「温かい格好ってそのアルトラスの民族衣装の事?」
私の出した条件に、今度はメフリの眉間に皺が寄る。どうも彼女はシル族とセルリオン人に良い感情を抱いていないらしい。
メフリが四公国のどの国出身なのかは分からないが、いずれの国もアルトラスとの関係は悪かった。恐らくアルトラスが地図からその名を消す事となった戦争時には、デンゼルとアークシアの関係よりも国家間の感情は悪化していた筈だ。その頃の名残、というにはメフリは随分幼い気もするが、恐らく彼女を育てた人間にはアルトラスへの悪感情が残っていたのだろう。
「これはカルディア領の一般的な平民の着るクロークよりも随分温かいから、ここ数年、ここではこの形のものしか生産されていないんだ。ああ、刺繍の違いは少しあるか」
けれどこの先もこの領に身を置く以上、メフリにはその感情、ないしは偏見に折り合いをつけていって貰うより他に無い。
「……いい。いらない。村にも行かない。やっぱり部屋に戻る」
メフリは数秒嫌そうに私の着ているシル族の上着を眺めた後、そう言うなりパッと立ち上がって、館の中へと駆け込んで行ってしまった。
その背中を見送って、あまり放っておくべきではないな、と一人ごちる。
無理矢理洗脳に近い手段で寝返らせた代償、或いは皺寄せなのか、メフリはあまりに不安定だ。人智を超えた力を宿した人間があれでは危険過ぎる。
どうするべきか、と思索に沈みかけた瞬間、ひやりとしたものが頬に触れて、飛び退く程に驚いた。
「…………な、なんだ。ヴェドウォカか。驚かすな」
いつの間にこれほど傍に寄っていたのか、触れたのは狼竜の冷えた鼻先だったらしい。ラスィウォクとヴェドウォカ、仲睦まじく連れ立った二頭がきょとんとした表情で私の横に立っていた。
どうかしたのか、とでも言いたげにラスィウォクが私に頭を擦り寄せる。
滑らかで冷たい鱗の感触を撫でて返しながら、私は一人溜息を吐いた。
後書きにて失礼します。
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是非お手に取って頂けますと幸いです。
詳細は活動報告、アリアンローズ公式ホームページ等でご確認下さい。




