第68話 ゴリラとのお話
「お話終わったよー」
しばらくして、由香の手から解放されたヘラクレスは、達志の頭へと戻る。すっかり定位置だ。
いったいなにを話していたのか、気にはなる。しかし、聞くのは怖いので、やめた。
ヘラクレスも、すっかり口を閉じてしまった。
「っとー、着いたよー」
タタタ、と駆け出す由香が、近くの教室を指差す。
指された教室を見る。そこは、他の教室よりも一回り大きそうな場所だった。
この中に、あの凶悪な、不良がいる。
「そっか。そんじゃ失礼しまーす……」
「ちょっ、はや!」
せっかく来たのだ、戸惑う理由などない。
扉に手をかけ、達志は、ガラガラと扉を横に引く。
「んんんー!」
ピシャッ……
「……?」
……なにか今、見てはいけないものを見てしまったような気がする。
いや一瞬だけだし、すぐ扉を閉めたから、よくは見ていない。
もう一度、由香に確認。ここで間違いない。由香はうなずく。
そう、さっきのはきっと見間違いだ。そう、今度は深呼吸をして……吸って……吐いて……いざ!
「失礼します!」
「んんんーー!」
扉を開く。するとそこにいたのは、目的の人物トサカゴリラ。
そこまではいいのだ。
彼は、教室の中央にある柱に縄でくくりつけられており、目隠しをされ、口に喋れないようにするためのよくわからない道具を咥えさせられていた。
「見間違いじゃなかったぁ!」
膝から崩れ落ちる達志。何かの間違いかと思ったがそんなことはなかった。ドラマの中でしか見たことのない光景が、広がっていた。
目の前の光景には、達志だけではない。由香もリミも、ヘラクレスですらドン引きである。
そんな中、教室の中にいた、もう一人の人物が声をかける。
「ん、イサカイか。どうした、突然」
「あんたの仕業か!」
崩れ落ちた達志に声をかけたのは、普通の教室ならば教卓があるその位置に、椅子を用意して座るムヴェルだ。
この教室、普通の教室にあるものがない。教卓も、机も、椅子も。
椅子に座るその姿ら、ケンタウロスなのに器用だなと思ったが、そこは生まれてからの付き合いだ。座る方法などいくらでもある。
彼女は、馬の腹に当たる部分を、椅子に乗っけているのだ。
優雅に本を読んでいるムヴェルは、なんとも呑気なものだ。達志が崩れ落ちている理由が、わかってないらしい。
「なにやってんすか! 学校でこんな光景見ると思わなかったよ!」
「いやな、暴れるもんだから、力付くに押さえて……」
「力付くすぎる! あと今一応昼間なんですけど!?」
暴れるから押さえるというのはわかるが、あまりにも力業すぎる。
学校で、しかも昼間に見るにはあまりにも刺激的過ぎる。いや夜ならいいというわけでもないのだが。
見方だけなら、新手の拷問だ。
しかも相手は高校生(見た目四十のおっさん)である。昼間からなにを見せられているのか。
「とりあえず口だけでも解放してあげましょうよ。でないと話も聞けない」
「あぁ、任せる」
ここには話をしに来たのだ。トサカゴリラの拷問プレイを見に来たわけではない。
なので達志は、トサカゴリラの口に咥えされられている道具を取る。
散々叫んでいるせいか唾が散っていて触れない。ばっちぃ。
たまたまそこにあったゴミ取り鋏で、道具を取る。すると……
「ぶぁってめえらくそが覚えてやがれ! こんなことしてただで済むと思うなよてめえら全員ヒャッハーしてやらぁくそども覚悟して」
「あ、確かにこれうっさいっすね」
言葉と一緒に撒き散らされる唾。それを見てひどく嫌悪しながら、達志は道具を再び口へ。
もう、イエスかノーで首を振ってもらった方が、早いんじゃないか。
それから、暴れるトサカゴリラを宥めるのに三十分かかった。
ようやく話を聞ける状態にはなったのだが、そのために無駄な時間を使ってしまったと、後悔せずにいられない達志である。
「はぁ、くそ……なんでこんなトサカゴリラのために、三十分も使わないといけないんだ。目ぇ覚めてから……いや生まれてから、一番の時間の無駄遣いだわ」
「おい、聞こえてるぞ。てか誰だトサカゴリラって」
後悔したが、嘆いていても仕方がない。さっさと用事を済ませてしまおうではないか。
とりあえず、落ち着いてもらわないと話もできない。
「なに騒いでんだよ、あんたのことに決まってるだろトサカゴリラって」
「なんの生物だよ! 俺は蛾戸坂だ、が、と、さ、か!」
「えぇー、だってそれ変換めんどいんだよ。なんで無駄に複雑な漢字なんだよ」
「なんの話!?」
達志にとっては、目の前の男の名前はどうでもいい。マルクスがいたら、一応先輩だからと口うるさく言われたかもしれないが。
ここにはいないのだし、めちゃくちゃため口である。
リミやヘラクレス、それに由香やムヴェルさえもなにも言わないのだから構わないのだろう。
「言っとくけどこの学校にバナナ栽培場はないからな、多分」
「だからなんの話だよ!!」
さっきから、トサカゴリラの怒りのボルテージが上がっている気がする。
なにをそんなに興奮しているのか、達志にはわからない。原因が百パーセント達志にあることなど、本人は気づいていない。
「まあとにかく……もう学校に攻め入ってきたりすんなって話。おわかり?」
「散々人をおちょくっといて、さらっと本題入ってんじゃねえよ! しかもなんだその言い方は! なめてんのか!」
トサカゴリラが攻めてきたのは、ルーアのせいだ。なので、彼は被害者と言える。
あの時点では。
しかし、暴走族を率いて学校に攻め入り、あまつ拳銃を先に抜いた。それにより、彼の被害者ターンは終わりを告げた。
「ルーアにはまた謝りに来させるけど、とりあえず先に、学校に手出ししないこと約束して欲しいなって」
「けっ」
「てかあんた、ここの生徒だろ」
会話は成立するのだ、そのうちわかってくれるはずだ。達志も、この短時間でわかってもらえるとは、思っていない。
頭を冷やして、ルーアを連れてきて、また話はそれからだ。
それにしても、トサカゴリラがおとなしく縛られているのが疑問だ。ムヴェルの感じがあるとはいえ、あの水魔法ならもう少しうまく脱出できそうだが。
「そこのゴリラを縛っている縄は特殊なものでな。縛られた者は魔法が使えないんだ」
そのタイミングで、達志の疑問を汲み取ったかのように、ムヴェルが口を開いた。
「今ゴリラって言った? もう単体でゴリラになった?」
「へえ、なにそのご都合アイテム。そんなんあるんだ!」
トサカゴリラが魔法を使わない理由も判明したところで、もうここにいる意味はない。
後のことはムヴェルに任せておくとして、保健室にでも戻ろうか。
「なめたガキだ……いつか泣かせてやる!」
「……言っておきますけど、タツシ様に指一本でも触れたら、ただじゃ済ませませんから」
去り際、ばちばち火花を散らしている二人の様子に、達志が気づくことはなかった。




