65,田中哲朗の仕事〔1〕
「それにしてもバカラ様の肌ってお綺麗ですよね? 何か特別なことでもしているんですか?」
「ああ、これは実は……」
バカラよりもピチピチの肌をしているクラウド王子に褒められるのは恐縮だが、化粧水や乳液、美容液などの話をした。
ここは田中哲朗の気持ちになって、丁寧に話をした。
肌は何もしなければどんどんかさかさになっていく。汚れなども詰まる。日光に無防備にさらすと見た目にはわからないが傷を受ける。
そういうのを防いだり綺麗にしたり、でも綺麗にしただけではすぐに乾燥してしまうから、潤して、さらに蓋をして充分に染み渡らせていく、そんなことを逐一話した。
「要は、肌も植物と同じなのです。丁寧に世話をすれば綺麗になれますし、ある程度保つことができます」
「植物ですか?」
こんな話は初めて聞くのだろう、王子も宰相もふむふむと聞き入っていた。
思えば、メンズコスメも人気の出てきた時代だった。中性的なアイドルたちが多く出てきて、そういう雰囲気になっていった。
日本の化粧の歴史というと、古代の日本は赤化粧、つまり赤い染料を顔や身体に塗っていたことが知られている。
これは古墳から出土した埴輪にもそういう痕跡があったり、壁画にも描かれている。呪術的な意味合いがあったと想定されている。
諸説あるが、男性のみがそのような化粧をしていたという話もある。
それからはいろいろと奈良、平安、鎌倉、室町時代と様々な変遷はあったが、赤から白を基調とする化粧が男女問わず広がっていき、全ての人がそうだったわけではもちろんないが、たとえば江戸時代の女性だと赤は口紅、黒はお歯黒という3つの色が固定していった。
もちろんここには眉を抜いたり剃ったりする引眉、そしてその上に黒い眉を描くという奈良時代以来の化粧もあるし、頬紅というものもある。
今ではもうあまり聞くことも少なくなったが、紅をつける時に用いるのが薬指だったからこの指を「紅差指」と呼んでいた。
明治初期にはお歯黒や眉を抜く行為が禁止され、また皇族の中からそれを止めた人間もいて、お歯黒や引眉は消えて行ったし、白粉に使用されていた鉛が問題とされて、明治の終わり頃には無鉛白粉が出て来た。明治期には男が化粧をするということはほとんどないと言われている。
ただ、大正時代から昭和のはじめにかけて、いわゆるモダンボーイとかモダンガールと呼ばれる社会現象があったが、この頃には男性用の化粧品も出てきて再び男女問わず化粧をすることになった。ここには欧米化の影響もあるが、もちろん全ての男性が化粧をしていたわけでもなく、社会階層によって異なる。
だが、やはり戦争に近づくにつれて時代状況により特に男は化粧と結びつけられることがなくなり、戦後は男性に比して化粧と女性が結びつけられていく傾向が強かったが、男性用化粧品も作られていたのでまた男女問わず化粧という行為をしていくことになっていった。ただ、社会通念として化粧は女性との関係が深いと思われていたし思われてきた。
これが古代から平成に至るまでの日本での化粧の大まかな歴史である。
今はメンズコスメとして従来よりもさらに特に若い男性を中心として化粧という行為が身近なものになってきているし、メンズコスメ市場も広がっているが、ジェンダーレスコスメというものも注目されてきていた。
社会の中で固定化されていた境界線が緩やかになっていったんだと思う。
こうして概観してみると、肌を気にするのは女性だけではない、男性にも開かれていたし、開かれてきていたのだった。
髪だって女の命だけではない、男だって気になるものだ。美は男も気になるものなのだ。そこに女は、男は、というものを設けてもあまり意味がない。
「男も気にしなければならないということなのですね」
クラウド王子の場合にはほとんど必要ないようにも思えるが、そういう意識を持つのは良いことだ。そうだな、男性用のものも本格的に考えた方がいいかもしれない。男性と女性の肌は異なるので商品の成分も違うものになる。
「肌にせよ髪にせよ爪にせよ服にせよ、凡そ人間一般に関わるものに本質的に男女の差はなく、そういう意識をもって商品を開発していくと、思わぬ反応がもらえるというものです」
スイーツだって女性だけのものではないし、ジャンクフードだって男性だけのものでもあるまい。
「そう……そう、ですね。それにしてもバカラ様は商才がおありのようですが、どこで学ばれたのですか?」
日本の会社です、とは言えない。
それに商才ならケビンの方がよっぽど上手だし、私に日本の会社の経営などさせたら潰してしまうだろう。
どこで学んだか、か。




