51,王妃からの招待状〔6〕
子どもは子ども同士で話をさせて、私は王妃と話をすることになった。あっちはカーティスがいればなんとかなるだろう。
「そんなに凜々しい顔をしていたのよね」
「ははは、まあ少し身体を鍛えただけですよ」
アリーシャや護衛のクリスとカミラ、家宰のロータスや料理長のオーランなどの別邸にずっといる人間は私の変化を毎日見ていたが、カーティスは一定期間を置いて対面することがあったので、帰ってくる度に「おおっ」とでもいうような表情を一瞬だけしていて、すぐに平静に戻る。アリーシャもカーティスも直接「痩せましたね」とは言わない。一言も言わない。
急激な肉体改造に見えたと思うので、「体調は大丈夫なのですか」と、何かの病に蝕まれているのではないかと心配する声くらいあっていいのだが、それもない。そういえば、妻と娘も私の変化には全く反応をしなかった。手応えがないのは私のお腹だけではない。
ただ、良くも悪くも他人の身体的な変化の指摘をすることは慎重になった方がいいというのは私にもわかる。
「これでもうオーク公爵なんて不名誉な言葉を聞かなくなるわね。私、あの言い方が嫌だったのよ。あなたもいい加減誰か良い人を見つけたらどうなの?」
「まあ、今はそのつもりはありません」
私が笑われれば、王妃の立場も悪くなる、そういうこともあったんだろうと思う。苦労はしたがなんとか痩せることができてよかった。
自分の容姿が思った以上に他の人々に関係するというのは、なんとも生きづらい社会だ。
後妻についても、私にはまったく興味がなかった。
もちろん、子どもたちに母親が必要だろうと考えたが、二人はそれを求めずとも真っ当に生きていけるのではないかとも考えている。母親ではなく母親役が必要なのではないか、と。
ただ、カーティスはともかく、アリーシャは少し心配している。
でも、そういう機微は従者のメリーやカレン先生が察することが多く、アリーシャには母親のように、時には姉のように、時には先生のように、時には友人のように接している。こういう人たちが一人でもいればなんとかなる、というのは楽観的過ぎるだろうか。
それよりも何よりも、このバカラの身体が亡き妻を忘れられないような気もするし、私も妻が忘れられない。これも時間が経つと変わっていくのだろうか。
「アリーシャには悪いことをしたわね。今さら謝っても遅いのだけれど」
「お待ちください。マリア様が謝罪する道理がありません。あれはマリア様とは無関係のことです」
「でも……」
あれからも調査していたが、あの婚約破棄にはバーミヤン公爵家とキリル王子が関係していたことは明白なわけで、それはこの王子は絶対に許せないということになるのだが、それはともかくとして、王妃に謝られてもそれは筋違いだ。同じ王妃でも生母の王妃カルメラの方だろう。
むしろ、私としてはもう一つの方が心配である。
「アリーシャに、新しい婚約者の話はあるのかしら?」
やはりきた。
やっときた。
こちらを見ずに違う方を見ながら、王妃は問う。
「ありませんが……」
この後に続く言葉が想像できる。
が、王妃は「そう」とだけしか言わなかった。
ただし、アベル王子とアリーシャとをその眼差しに収めている。そしてそれを私に見せつけているようにも見える。
全ての振る舞いには意味があり、意味を過剰に読み取ることがある。意味を過剰に読ませることもある。
彼女は単なる病弱の王妃ではない。
それからも情報交換をして、最後に王妃には化粧水と乳液などを渡した。
これはカトリーナ王女のものもあるし、必要ないが一応アベル王子のもある。どういう役割のものかを説明し、もし肌に合わなかったら中止をしてほしいと言った。
美容液やファンデーションの開発は進めていて試作段階で、もう少しで完成だ。
王妃の顔色が悪い。あまり日に当たっていないことと、栄養が足りないことと、化粧の質が悪いのだろうと思う。
あとは、王室には早い段階で化粧箱入りの石けんセットを渡していたが、化粧箱に入れた試作品のシャンプーとコンディショナーの説明をした。
研究者たちは本当に面白いもので、何か一つの発見が、別の発見につながって、すぐに商品化のための実験をしていく者が多かった。
そうか、ヒロインを支えていたのはまさしくこの者たちだったと思えた事例だった。
菌の研究者は消毒薬を作ったし、食用の消毒液も作った。もちろん、これにはアルコール研究の人たちも尽力した。さらに食中毒はどうすれば防げるのかという話から、これがどういう仕組みなのかを解明し、夏場の食中毒を大きく減らすことに成功した。
さらに使いやすいようにシュッと吹きかけるスプレーというものにもした。この発想はまだこの世界には見られない。
この研究者たちが欲しいと思う機器を生み出していく職人たちも褒めたいと思う。
従来の顕微鏡よりも遙かに精密なものも創り出したし、ガラス職人はメガネの開発にも携わった。もちろん、質の良いガラス細工も創っている。この開発には物理学の研究者が携わっている。
言われてみて、「ああ、この世界にはほとんどメガネがないんだ」と思ったものだ。そんな当たり前のことにも気づかなかった。指摘されてこの世界の人々を改めて眺めた。
この世界の人たちは髪の色と同様に瞳の色も豊富だが、瞳孔だけでなくその瞳孔の周りの虹彩にも様々な色がある。
通常、メラニンと呼ばれる紫外線から守る色素があるが、メラニンの量が多いと暗い色で、少ないと明るい色になる。
ブラウン、ヘーゼル、グリーン、ブルー、グレーなどといろいろあるが、虹彩のことを茶目と呼ぶのもブラウンが日本人には多いからである。
メラニン色素が少ないと光を眩しく感じるので、サングラスをかける欧米人が多い。
レッドやバイオレットもいるが、地球ではたとえば先天性白皮病、通称アルビノと呼ばれる人たちの事例が有名である。左右が異なるオッドアイの人たちもいる。
だが、それにしてもこの世界の人たちのようにこれほどはっきりとしたものはないと思う。
メガネをかける人をほとんど見かけないのも、もしかすると歯が丈夫な人間が多いように、視力が落ちることがほとんどないということを意味しているのかもしれない。
そういえば、カーティスに伊達メガネを作ろうとアリーシャが提案していた。
「お兄様のメガネ姿を見てみたいのです」
メガネのお兄様も素敵、ということのようである。
妹のその不思議に強い押しに抗うこともできずに、実は私も密かに見てみたかったので、カーティスの頭の大きさやフレームなどいろいろと試作していって、カーティス用のメガネを作った。
「ど……どうだ?」
「まぁ!」
柄にもなく照れるカーティスにアリーシャが感嘆の声を漏らす。
私も中学生の時に初めてメガネをかけたが、メガネに慣れると次は外した顔を他人にさらすのが裸を見せるかのように気恥ずかしさを覚えた。メガネは服であり、もはや拡張した肉体とも言える。いつかカーティスもそう感じることがあるのかもしれない。
まあ、カーティスはいつもメガネを身につけているわけではなく、そういう場に立った時につけるのもありだろう。
賢そうな顔がさらに賢そうに見えるのは恐ろしいことだったが、ファッションとしてこういうメガネがあるのも悪くないと思う。
こうしてどんどん技術が発展していったのが2年目の成果だったと思う。
そして茶会から半年が過ぎた。




