4-② 名
見間違いかと思った。
見間違いじゃないことに、すぐに気付いた。
トカゲみたいな、サナギみたいな、アルマジロみたいな精霊。散々ぶっ飛ばされて、自分が今どこにいるのかすらわからなくなっていたクーディの目の前に、それはある。当然みたいな顔をして。
少し離れた場所で、ヴィスタと魔物は戦っている。傷だらけで、血が飛んで、押し負けかけている。そこからそれほど遠くない場所で、やっぱりテテリッサは、倒れ伏して動かなくなっている。
クーディも、大して動けない。
トゲトゲでザラザラのそれだけが、ほんの静かに、生まれたばかりの赤ん坊の拍動のように、小さく動いている。
とくん、とくん、と。
これまで石のように動かずにいたそれが、揺れ始めている。
やっぱりサナギだったんだ、と思った。
でもすぐに、やっぱりそれも違うとわかった。
それは、少しずつ身体の形を変え始めた。それがクーディの目には、サナギを破って成虫が姿を現す過程に見えた。けれど、違った。中から何かが出てきているわけじゃない。形を変えているだけ。
たとえばそれは、花の形に折り畳まれた厚紙が、元の形に戻る姿に似ている。
似ているだけで、決定的に違うところもある。
元の形の方が、圧倒的に複雑であることとか。
「――言っておくがな」
それは、光っていた。
光の中から、低い声が聞こえてきた。
「何も俺とて、お前たちをいたずらに見殺しにしようとしていたわけではない。小僧。お前はこの俺を呼び出しておいて、魔力が細すぎる。あの程度では到底、俺の身体は動かせん」
その光が、洞窟の中を満たしていく。
信じられない明るさで照らされて、ようやくその広さがわかる。途方もない。風の吹く方に向かっていけば、いずれ海にも辿り着いてしまうのではないかというくらいの広さ。
その空間全てに、萎れた〈ハートグラス〉がある。
正確に言うなら萎れて『いた』それが。
今やふくふくと、頭を再び上げ始めている。
瞬く間に蕾を咲かせている。
その美しい花を、開き始めている。
「だが、場所がいい。それに大した技術だ。同じ年の頃のあいつにも、爪の垢を煎じて飲ませてやりたいくらいにはな」
ゆっくりと、ゆっくりと光の中で形を変える。
トゲトゲだったそれは、今や羽ばたく翼となる。
ザラザラだったそれは、今やきらめく鱗となる。
答え合わせが始まっていた。
どれが爪で、どれが牙だったのか。爪はどう収められていて、牙はどう隠されていたのか。
「――あ、」
不意に、痛みが去ったことにクーディは気付いた。
あれだけ身を焼いていたそれが、今や跡形もない。とうとう命が尽きたかと、さっきまでの自分なら思っていたことだろう。でも、違う。
咲き誇る〈ハートグラス〉もまた、光を放っている。
その光が傷を塞いで、流れる血を止めていた。
魔物は当然、異変に気付いている。けれど、行動を起こさない。起こせない。ヴィスタの傷も、また治った。抑え込んで、少しの時間を作ってくれている。
そして、テテリッサも。
傷もなく起き上がって、呆然とした顔をして、こちらを見ていた。
「名を呼べ」
光の中で、声は呟く。
クーディに、語り掛けてくる。
「お前が俺と縁を結んだ者であるならば、今こそ本当に、俺の名を呼べるはずだ」
それは、精霊召喚の儀式と同じ。
あのとき、クーディは何も浮かべることができなかった。でも、今は違う。確かに声の言う通り、浮かび上がる言葉がある。
けれど――
「え?」
「ん?」
訊き返されて、いや、と返す。
躊躇いがちに、確認の意を込めて、
「……これで本当に合ってるのか?」
「なんだ。俺の名前に文句があるのか」
文句というか。
なんて言葉を、もう目の前のそれは聞いちゃいない。
「言え」
低い声で、告げた。
「愛あるところに我は在り。有爪有牙。安息と幸福を羽ばたく、古の翼」
汝が、と。
その声は、不思議と自分の喉からも聞こえるような気がした。
「心有る者なら、声高く我が名を呼ぶがよい。空にも届く気高き名。蕾を揺らす、春の名を。森羅万象、風のうちに語りて曰く――」
我が名は、とそれは言うから、本当に、本当に、本当に思い切って。
一か八か。
クーディは、頭に浮かんだその名を、口にした。
「〈ラブコメドラゴン〉!」
声が啼く。
光が咲いて、竜が生まれた。




