Kapitel 2 “Hölder” Szene 1
虚構と現実の境が曖昧なまま目覚まし時計を止め、ダブルベッドからむくりと起き上がる。
「ふうーっ……んーんっ…………はぁん…………んー………………またこんな地味なのを選ぶなんて……お母様は……」
愛用のシェルチェアの上には、毎日洗濯を欠かさぬラズベリーの薫り漂う制服と肌着、お気に入りのバーバリーのハンカチがそっと置かれている。
シルクのパジャマをふわりと脱ぎ、正座をしながら綺麗に折り畳み、衣装ケースにしまっていく。
上品な衣擦れの音を奏でながら、蓮の模様が浮かび上がるスタイリッシュパープルの下着と斜めのラインが際立つ黒地のストッキングを装着する。
凛とした一連の動作から、瑞々しく咲き誇るライラックを連想させる。
「みずぼらしい男共の視線を釘付けに……」
学校指定のブルーのカッターシャツ、カーディガン、プリーツスカートと順序良く着替え、洗面台に向かう。
艶やかな赤髪を手際良く結わえ、鏡の中のヘルデルにうっとりとポーズを投げ掛ける。
「ヘルタ、貴方は迷っているの。寂しかったのかしら、今日もキスしちゃったわね。身体中の神経が沸騰して、日向ぼっこしている子猫のように徐々に脱力して、貴方の瞳も潤んでいて、吸い込まれそうで、晩秋の夜空よりも物寂しげで、魅惑的だった。『空想や想像は結果的に現実世界に大変な苦痛を及ぼす』ってフランスの作家が言ってたらしいけど、貴方を私を客観的に理解してくれている人間がこの世に現れると思う?それは期待しちゃいけないと思う。異臭漂う世界が辛かったら、私を思い出して。いつでも慰めてあげる。いつでも抱きしめて、舌を絡ませて。今日も愛しているわ、ヘルタ」
ヘルデルを一瞥し、眼鏡を装着する。
穏やかな顔色に変わり、ふんわりとダイニングから漂うトーストの薫りに引き寄せられ、無邪気なステップで階段を降りていった。
「よう、ヘルタ」
「おはよう、エーリッヒ」
登校中、幼馴染と挨拶を交わす。
「なぁお前、進路の事なんだけど……まじさ、うちのクラスで決まってないの、お前だけなんだぜ」
「そうかい、エーリッヒ」
「爽快だねーって話じゃねーよ、あれでも皆結構心配してんだぜ。噂じゃ東の果てへと放浪の旅に向かうとか、ロシアンパブで既に働いているとか、変な噂が流れてんだぜ」
「ふふ、僕を心配してくれているのかい、エーリッヒ」
肩をすくめ、時折り嘆息を交えながら饒舌に話す。
「心配は無用だ……昨年、クロアチアの工科大学の総長から既に推薦状を貰っているのでね。君もご存知の通り、アルトマイヤー一家はこの州の教育委員会と喧嘩ばかりしているのでね。馬鹿らしいだろう、当て擦りの為に僕を利用して、終いには州議会の反勢力を炙り出そうとしている。売られた喧嘩は勝つまで辞めない、誇り高い一族なのでね……」
「はぁ、そういう裏事情がありまして……んーと」
改めてまじまじと目の前の同級生を眺める。
常識の範疇を超える権力を握る家族。
同性を勘違いさせムラムラさせてしまう程度の妖艶なフェロモンを撒き散らし、道交う人々を誘惑する女装少年。
「そんな噂ならむしろ真に受けてくれて構わないよ。ふふ、エーリッヒと二人で奢侈逸楽の旅に出るなんて素敵じゃないか」
信号が青に変わり、白線を踏まないように歩きながら、神妙な面持ちで心の中で呟いた。
(昔はこんな奴じゃなかったのによ……)




