Kapitel 5 “der Unfall” Szene 8
「ちょっと待ってくれ、状況が掴めないな、まず伯爵の耳には入っているのか?」
「これは推測ですが、直接的に報告はされていない筈です。先程テレビ局のクルーを見掛けましたが……サツキ様、皆考える事は同じです。伯爵様が知ればそれだけで、私共の能力では及ばない事案になります。運転手のナナ・シーサンには現在付きっ切りで二十四時間、マークしています。ほとぼりが冷めた後は懲罰解雇止む無しでしょう」
気まずそうに見つめあいながら、互いに執務室の腰掛椅子にぐったりともたれ掛かる。
「奴が変な事を口走らぬように。エミール様の安否は勿論だが、どうする? お前ならどういったストーリーを作る? 二週間、一月、数か月、半年……メンタル的な障害はこの際どうでも良い、身体にキズが残れば完全アウト。かさぶた程度でも『やぁやぁ、こんな痛そうなキズ残しちゃって、オジサンに会うまで色々辛い経験してきたんだね……で、誰にやられたのどうしたの』で終わってしまう」
「事故そのものを隠蔽せねばなりません。しかし古い心臓を新しい心臓にする為『だけ』の手術など存在しません。書き換える箇所を最低限抑え、かつエミール様伯爵様双方に納得行くお話など……有り得ますでしょうか」
気品ある顔立ちの紳士は、神に嫌われる事を恐れた修道者の様に陰鬱な表情を浮かべている。
「幸運にもジロンド様が時間を稼いでくれているが、もう一時間足らずでオトコノコパーティーは始まる。単にしらばっくれるか」
「私は見ての通りの老体です。子供も好き勝手に独立独歩の生活を営んでおります。早い話、私の肉体に大した値段は付きませぬ。伯爵が癇癪を起こしたとしても私へのペナルティは限られています。これは想像ですが……サツキ様への飛び火としてどんな罰が与えられそして、貴女が従順に悦んでお応えするか、という論点でしょう。エミール君は元来明朗快活な子供だと聞きます。案外『日にちを間違えちゃった』で済むのではないかと。どうなんです、伯爵から高級なメイド服を無理矢理着させられ、赤い首輪を付けて市街を這って過ごしたあの三日間、ここにあるプロマイドでは嬉しそうに、ワンちゃんポーズで用を足すあられもない姿を確認できますが」
「貴様……貴様。貴様の為のパフォーマンスでは無いぞ断じて。経理上のミスに気付かず一〇〇万ドル横領されてしまった事への猛省、伯爵様への誓いを立てる為の儀式に過ぎない。貴様には関係無い……」
「『誓い』ですか。それはまた面白い着眼点ですな。まあ良いでしょう、私のような老いぼれにとっては自身への処罰など瑣末な事。それよりようやく始まる四人の子供たちが、どのような経験を積み、伯爵様の寵愛を受け、愛情豊かな人間に成長するのかと見届けたいですな。その意味では命は少々惜しいですな」
祭壇に祈りを掲げるシスターの様に深く鎮座し、おどしつけるように老執事を睨み付ける。
「もうパーティが始まる。私はこれより一連の事件に一切関知しない。唯一つ、貴様の首を刎ねるなど造作も無い事。それだけは覚えておけ」
「無益な争いは避けたいですな、おぞましい。まぁ想定出来る範囲での善処はしておきましょう」
ゆったりと座っている老紳士は、若草の香り溢れる美少年を一瞥し、カーマインの蝶ネクタイを気にしながらその場を立ち去っていった。




