Kapitel 4 “das Schicksal” Szene 5
「はぁ……この車の空調が効きすぎて暑い暑い……ボディストッキングは失敗でしたかね……ふぅ」
助手席の隙間から流れる空調の流れを操作し、ヒザ上三十センチ程のスカートの左端をちょこんとつまみ、涼風をオトコノコの秘密の場所へと、上品にはためかせる。
「貴方が今パンツ一枚で運転する訳にもいきませんからね。オンナノコの格好をするとこんな特権もあるんですよ」
「ほっほぅほ」
「ふふ、僕なんかに気を取られてトラックと正面衝突、なんて笑えませんからね……」
百戦錬磨の老執事は丁重に応対する。
「ヘルタ様、妻子持ちの老人を困らせてはいけませぬぞ。若者の性生活に干渉する気もございませぬ。アイ・キャンノット・アブダクト・ア・レディバディ。英国育ちの紳士でございます」
「そんな、似合わない言葉を吐かないで下さい、この下がどうなってるか、気にならないんですか?」
「くれぐれも、伯爵様に向かってそんな事をしてはいけませんぞ」
セカンドギアで傾斜の厳しい坂を登り続け、山頂だろうか、アルプス山脈が美しい新雪に囲まれた絶景を目の当たりにする。
広大な敷地の駐車場の脇に車を止め、澄み渡る空気を四肢の呼吸で受け止める。
「慣れない長距離の移動でお疲れになったでしょう、本日の晩餐までゆっくりとお休みになって下さればと思います」
「有り難うございます、名無しの運転手さん」
後部座席とトランク一杯に詰めたダンボールは三十を超える。
楽譜、バイオリン、フルーレ、哲学書等が詰め込まれている。
しかしその殆どは女装用衣装と化粧品で締められている。
「ではごゆっくり、私はもう一仕事ございますので……」
含みを持たす台詞を残し、その場から離れようとしない。
「ぐぬぬ……ぐぬぬ…………ほ、ほわぁーっっっ!」
「な、なんだっ」
殺虫剤を噴射された蜂の巣のように、アンティークな屋敷からタキシード姿の男達が一斉に飛び出し、整然と順路を作る。
「せいやっはー! ぜぃやっ、どっせい、がばい、ばあちゃん、じゅまんじ、きえろ、ぶっとばされん、うちに! ほわあーっ!」
威勢の良い掛け声と共に、孫ほど歳の離れた息子と会話を楽しむ穏やかな老執事の姿とはうってかわり、地球壊滅を目論む悪の化身のように巨大で、見る者を圧倒する魔人へと変貌する。
「ばるろぐ、さがっと、ベがばいそん! むらむら、むらびん、むらびんすきぃー! ほわあーっ!」
フォルクスワーゲンに敷き詰められた女装用品を匠のプライドを感じさせながら、丁寧に手際良く運んでいく。
「がんざん、りょうざん、なんと、すいちょう、にっけん、ぼくめつ! ほわあーっ! …………ぷはぁ。いやぁーっはっは、これで今日の仕事は終わりましたな……部下は掛け声が合図だと勘違いしているのですが、情けない事に、この程度の荷物も一人で持ち運ぶのは不可能になっております……情けない話です、アイタタタタ……」
「何の説明も無しに皆さんが踊り始めるんですから、僕はどうしたら良かったんでしょうか……」
頭の痛そうな演技の裏で舌を出す。
(ふん、最悪に終わっているセンスだな、本当に終わっている……くくく、まごうことなき終わりの風景だ……)
テムズ河の畔のそびえ立ち、道行く労働者達を優雅に見下ろすビッグ・ベン。
ドラゴンと戦う騎士と共にワーグナーの世界へいざなくノイシュヴァンシュタイン城。
底抜けた床のベニヤ板から除くと、ネズミの棲家の存在を匂わせる小さな糞が散らばっている。
(ふふ、史上最低の合格点だな……)
「それでは、伯爵様をお呼びしますので」
舞空術でも使ったのだろうか、執事の歩幅と移動距離の計算が合わず、薔薇の似合う美少年を惑わせる。
「なんなんです、いちいち愉快な方々ですね」




