修善寺の城下で水車を使って和紙の大量生産を試みてみよう
さて、この時代でも紙というものはいろいろな意味で大事な物資だ。
とにかく様々な記録を書いて残しておくためには紙はいくらでもあったほうがいい。
そして和紙の材料は楮、三椏、雁皮が三大原材料だが笹も紙の材料にはできる。
そして「みつまた」という呼び方は、本来は駿河や伊豆地方の方言で、三河では「じゅずぷさ」、伊勢では「みつえだ」、中国や四国では「みつまたやなぎ」と産地によって色々な呼ぴ方があったわけだが三椏は日本固有の製紙原料でもあり、米作に適さない駿河・伊豆では製紙は重要な産業であったともいえる。
「修善寺城下でまとめて作れるように製紙用の水車小屋を作り三椏だけでなく笹の葉なども使い紙を作らせるか」
俺がそう言うと大道寺重時はうなずいた。
「ああ、紙はいくらあっても困らんしな。
正直に言えばこんなに書状のやり取りがあるとは思ってもいなかったぞ」
「些細なことで紙に書いて残して置かなければ、言った言わないで、揉め事の原因になるからな」
水争い山争いもそのあたりがなあなあだと起こりやすい。
まあきっちり決めてあっても日照りとかで命がかかってくるとそれに関係なく武力に訴えたりもするわけだが、出羽備中と違い水は豊富なので水争いが起こるようなことは少ないのは助かるがな。
和紙を作るのには水を大量に使うので結局は川沿いに成るのだが和紙を作るにはまず原材料と成る楮、三椏、雁皮などの若い木の枝を刈り取って、2尺(約60センチ)の長さにそろえ、コシキとよばれる桶をかぶせ、3-4時間蒸す。
これは刈り取って1週間以内に行わないと樹皮がはがれにくくなるので早めに行う必要がある。
その後、冷水をかけて皮を縮小させて皮を幹からはぎ取る。
で保存のため黒皮を天日で芯までしっかり乾燥させ、紙をすくのに必要な分だけ、皮を水に24時間さらし、硬い外皮を取りのぞきやすくしたら、道具を使って外皮をはぎ取り、内皮だけにする。
それから白皮をアルカリの灰汁で2-3時間煮込み繊維に入っている余分な油などを取りのぞきやわらかくしてやる。
それからもう一度、流水に24時間ほどさらし、灰を洗い流しながら、天日により繊維を白くする。
その後、直接見ながら繊維のキズやフシ、よごれなどを手でていねいに取りのぞき、バイとよばれるカシの木の角ぼうで、繊維がワタのようになるまで叩いてほぐす。
この叩いてほぐすという作業をまずは水車でやることで作業がだいぶ楽になるというわけだ。
たたきほぐされた繊維を舟と呼ばれる紙をすくための工具の中に入れ、それに水とトロロアオイという草の根からとれる粘液の糊を加えよくかきまぜたあと、揺すって紙をすいていくが、これも水車で動かすようにすれば多少は楽になるだろう。
なおトロロは熱に弱く、暑いと粘り気がなくなるので気温が高い真夏は紙すきはできない。
で、すきあげてつみかさなったぬれたままの和紙を木の板の間に挟み込んでその上から石などを載せて圧縮し水分をとったら、乾燥用の板に貼り付けて乾燥させてようやく和紙が出来上がるわけだ。
多量に水を使い、流水も必要でしかも手間がかかることから、和紙を作れる場所というのは結構限られているが、だからこそ現在ではまだまだ需要は沢山あり、有効な金儲けの手段にも成ると思う。




