本格的に水車の導入を行おう
さて、銭や扶持米で雇った流れ者はもともと備中荏原荘時代からついてきた地侍や風魔達の監視の下で、衣食住を保証して修善寺城、興国寺城、箱根の関所などでの警備任務や塩田や鉱山での労働についてもらっている。
そして塩田や鉱山の労働はきついからその分一日交代で休息を取らせ全体的な作業効率が上がるようにしている。
休ませないで働かせる方が一見安上がりに見えるが結果的には疲労が溜まれば、当然作業効率も下がるし注意力も下がって失敗も増える。
もっとも塩田での作業は風雨が強い日はどちらにせよ休みだけどな。
「俺としては、連中をもう少し働かせてもいい気がするんだが」
書類仕事を押し付けていたからか大道寺重時が珍しく俺のやっていることに否定的なことを言った。
いやむしろあっちの意見がこの時代では常識なのかもしれないが。
「だが、落盤事故なんかの発生はこうした方がずっと起きにくいはずだ。
疲れているとどうしても事故を起こしやすく成るからな」
「まあそれはわからんでもないが、事故なんぞ起きるときは起きるもんだろう」
「それで坑道が埋まってしまってそれ以降掘りだすことができなくなったら損のほうがでかいぞ」
「まあたしかにそれもそうか」
俺が塩田や鉱山の労働者を一日置きに休ませているのはずっと働かせるのが可哀想だからといった理由ではなく、疲労が溜まればそれだけ作業効率が下がり、注意力が下がって事故が起きればそれまで費やした銭などが無駄になる訳だから、長期的な効率を重視してるだけのことだ。
労働者を安い時間でこき使って短い時間で使い潰してしまうほうが結果的にはそれまでつぎ込んだ金をドブに捨てることに成るんだけど、どうもそう考えない人間のほうが多い気がする。
無論人間の命というものは予期しない理由であっさり失われるものでも有るんだが。
「それからそろそろ狩野川流域の大きめの集落から水車小屋を作っていって脱穀や製粉が確実に行えるようにしていこう」
風魔小太郎が俺の言葉にうなずいた。
「それは良いことですな。
蕎麦にせよ麦にせよ人力で粉にするのは大変でございますゆえ」
日本における水車の歴史は実はかなり古く推古18年(610年)には水車で動く臼を造ったといわれ、平安時代の天長6年(829年)には諸国に灌漑用水車が作られており、室町時代に日本へ来た朝鮮通信使は水揚水車がある事に驚き、製造法を調査し、本国に報告したがその後長いこと作れなかったとされる。
水車というのは軸や歯車などを精密につくらなければならない技術の塊で、定期的なメンテナンスの必要もあるので当然とも言えるが。
ただ、動力水車の本格的な使用は平和になった江戸時代になってからなんだけどな。
川やため池から水をくみ上げる揚水用の足踏み水車がそれなりに普及すると必要な時に田んぼへ水を汲み上げて、水が不要になれば水を抜く事ができる乾田を作れるようになり、二毛作や三毛作も可能となったわけだ。
そして水車の回転力を上下運動に変えることで穀物の脱穀や回転力を利用して石臼で蕎麦や麦の製粉、苧麻の繊維から糸を紡いだり、楮や笹などの繊維を粉砕しての和紙作り、荏胡麻の圧搾などにも使える。
水車の木材は耐水性と軽さの面から主にヒノキが使われるが、蒸気機関やモーターなどが発明される前まで、水車は大きな力の回転運動を作り出せる数少ない装置だったわけだ。
ちなみにこの時代では水を効率よく排水する手段は足踏み水車しかなかったので、治水工事でも使われ移動が容易にできるようにも製作されている。
もっとも水車の回転は遅いので脱穀や製粉に要する時間は結構掛かるんだけどな。
「雑穀でも製粉すれば餅や団子としてうまく食えるようになるはずだ。
食は生きていく上で大事だからな」
大道寺重時は俺の言葉にうなずいた
「まあそれはそうだ。
蕎麦もそば切りで美味しく食えるようになってから栽培するやつも増えたからな」
まあ、日本人的にはそういう意識はあまりないわけだが、あまり手間を掛けないでも美味しく食べられる米という穀物の存在がむしろ世界的に見れば異常だったりするのだが。




