段取りを整えたので治水工事を開始したぜ
さて、地元の古老に地名を確認したり実際の地形を見て回ったりしてある程度工事に関しての順序の目星もつき、段取りもつけたので、石を切り出してそれを船で運び岸に積み上げていく堤の構築などを開始した。
「まずは大きな洪水を起こしやすい、北側から流れてくる大場川や黄瀬川と狩野川の合流地点対しては早急に工事に取り掛かったほうがいいだろうな」
俺がそう言うと大道寺重時もうなずいた。
「ああ、特に洪水被害が出やすいのはあのあたりのようだからな」
それと同時に周囲の沼を埋め立ててそこへ柳や松・桃・栗などの植樹を行って防水林として機能するようにもしている。
ある程度育ってきて間伐などを行うようになれば薪炭の材料にも使えるようになるだろうし、桃や栗は万一飢饉になったら飢えを凌ぐために助けにもなると思う。
桃や栗は成長が早いほうだしな。
田植えや稲刈りを行う際は人手が多く必要なのでそのときは一時賦役を中止し、水量も少ないであろう農閑期に集中して行わせることで農繁期の農作業には支障が起きないようにしつつ、農閑期に食い扶持を与えることで食料の備蓄をしやすくしつつ領民の支持につなげる予定だ。
そう言えばエジプトの農民も農閑期にナイル川の堤防の修繕やピラミッドや神殿の建設を行っていたようだが、基本的な発想は同じで国が食べ物などを支給して農閑期に農民の公共事業を行わせることで国が回るようにしていたわけだ。
まあ規模は全く違うけどな。
無論1年2年で治水がすべて終わるわけはなく、有名な信玄堤は20年ほどかかったそうだしその改良自体は江戸時代以降も続けて行われているし、狩野川の工事は昭和期にも行われていたはずだ。
信玄堤は将棋頭や聖牛と言われる石を将棋の駒の形に並べたり、木を三角形に組み合わせ、竹を編んだ物の中に石を入れて重りとした物を設置して川の流れを和らげたり、支流と本流が合流する部分の対岸に高岩を置くことでそこの堤防が水の圧力で壊されないようにしたりなどこの時代の技術でもできることをうまく利用している。
そういったやり方を見習いつつ、集めた米などを食い扶持として支給することで働くもののやる気を起こさせれば、治水工事にかかる期間も縮小できるだろう。
豊かになれば他のものから土地を狙われる可能性が増えるから、それに備えた軍備も必要ではあるけどな。




