修善寺で湯治をしつつ戦乱で焼けた修禅寺の再興をしようか
さて、狩野城が開城した後も、おれは修善寺城に逗留している。
この地の名前の元にもなっている修禅寺は大同2年(807年)に空海が創建したと伝えられる歴史の古い古刹でもともとは真言宗に属していた。
ちなみに隣には天台宗の日枝神社もある。
この寺には鎌倉時代には源頼朝の弟の源範頼と、頼朝の息子で鎌倉幕府2代将軍の源頼家が当寺に幽閉され、その後この地で殺害されたとしても知られ源頼家の墓所はここにある。
その後建長年間(1249年 - 1255年)に元の密偵と疑われていた蘭渓道隆が避難のために来住し、それに伴って寺は臨済宗に改宗された。
しかしその後、康安元年(1361年)の畠山国清と足利基氏の戦乱の被害を受け、更に応永9年(1409年)の大火災で伽藍が全焼し現状は荒廃している。
「叔父の隆渓繁紹を呼んでこの寺を再興するとしようか。
ついでに曹洞宗に改宗させよう」
それがそういうと大道寺重時はうなずいた
「ああ、それはいい考えだと思うぞ」
まあ、空海こと弘法大師が開いたということで宗派が代わっても弘法さんは今でも地元の人間などに親しまれていたりするんだが、凋落しつつある臨済宗より地方で勢力を着実に伸ばしている曹洞宗のほうがこれからおそらく繁栄するだろうし、以前に荏原荘で作った情報ネットワークの一端にも出来るだろう。
「独鈷の湯は伊豆でも名高い名湯で、かの弘法大師様が、独鈷杵を岩に突き立てて湯を噴きさせたという伝説があるのはそれだけ温泉の名前を高めてくれるしな。
そして参拝のために人が来ればそれだけここに金も落ちる」
「沼津と下田では交易で稼ぎ、ここでは門前町として銭を落とさせるのか」
大道寺重時の言葉に俺はうなずく。
「ああ、それに今まで殺した者たちへの弔いにもなるだろう」
「かってな理屈ではあるがな」
「それでもやらないよりは民衆などの印象は良くなるだろうさ。
あと狩野城の近くと土肥には金山があるはすだからまずはそれを風魔に探させるとしよう」
「ふむ、山歩きは得意だろうからな」
伊豆は湯ヶ島、修善寺、土肥などの温泉地域のそばに金山が多い地域だしな。
しかしそれだけに駿河にせよ伊豆にせよコメ作りに向いている土地が少ないのがきついところではあるが。




