塩を止めたことで狩野が音を上げて降伏したので伊豆を統一できたよ
さて、下田を落として狩野城への下田方面からの輸送路を切断したことで、天城にある狩野城は孤立した。
三島から天城峠を越えて下田に至る下田街道もしくは天城街道と呼ばれる道自体は律令時代に東海道が整備された時期には交通路として存在していたが、人馬継立が行われる程度に整備されたのは17世紀の江戸時代中期ぐらいからでそれでも南伊豆では物資の輸送は海運に依存していたため、陸上路である三島―下田間の下田街道はさほど重要視されていなかったためさほど整備されておらず、大軍を移動させるのは難しい状況なのだ。
「あちらはだいぶ苦しくなってきているようだな」
俺の問に風魔小太郎が答えた。
「はい、やはり塩がないと色々厳しいようです」
伊豆半島はもともと火山の噴火によってできたこともあり、全域にわたって山地が大部分を占め、平坦地はかなり少なく、山道が走っている場所もかなり少ない。
トンネルを作るのが比較的楽になった20世紀から21世紀にかけても山が険しく人の手の入らない箇所が多くあるのだから、この時代では道の整備などを行うのが国人レベルでも道の整備などは殆どできない。
山中より海岸沿いに道を作ればいいんじゃないかと思うかもしれないが、伊豆半島は海の近くでも平らでない部分も多いから、歩くのであれば三島から下田をまっすぐ縦断したほうがまだ楽だったりするのが実状だ。
現状は狩野城を攻めたり、修善寺城や柏久保城を攻められたりしているが狩野城の東にある大見城はこちらについているし、土肥あたりの富永氏の高谷城もこちらについているので狩野城は東西南北をすでに包囲されていて、後詰が期待できる状況でもない。
それでも半年ほどは粘ったが、最終的に俺たちの軍勢が狩野城を包囲すると狩野道一は自刃して果て、残りのものは降伏し狩野城は開城となった。
「とりあえずこれで伊豆は落ち着くかな」
俺がそう言うと大道寺重時もうなずいた。
「まあ、表立って抵抗するものはいないな」
足利政知が古河公方に対抗するためと過酷な軍役などで国人などに不満を持たせていなければ、もっと大変であったろうが、ともかく伊豆と駿河の東部の箱根や足柄を抑えたことで、いざというときに起こるかもしれない関東からの侵攻を抑えるという役目は多分果たせるだろう。
まあ、しばらくは伊豆半島に豊富にある金銀銅などの鉱山の開発と山葵や椎茸などの栽培に沼津と下田の湊の発展にかかりきりになるとは思うが。
あと、狩野城を兵糧攻めしている間に子作りに励んだ結果残り二人のお奥さんも無事懐妊したんで、ホッとしたよ。




