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足利兄弟の和解と義政の隠居により応仁の乱は完全に終結したかな

 さて、あれこれやっているうちに文明4年(1472年)になった。


 年頭に足利義視が兄の足利義政に西軍に参加したことについての詫びを入れ、それに対して義政も弟の罪を不問にすることを約束したが、足利義視が正式に赦免されることはなく、足利義視は美濃に下向した後に出家した。


 そして足利義政は息子の義尚に将軍職を譲って隠居し、政所執事に正式に伊勢貞宗がついて、幕府の政務もちゃんと回るようになったらしい。


 結果として日野富子の兄である公家の日野勝光が管領の職務を代行し、富子の発言力が強まったようなので足利義政の実権を奪うための富子たちの働きかけがあったのか、単純に足利義政が将軍でいるのがもう嫌になったのかはわからないが、義政は小河に建設した新邸に移り、室町御所には富子と義尚が残って、実質的な朝廷や幕府の政務は日野勝光や富子、伊勢貞宗などが回しているようだ。


 美濃の土岐成頼の重臣で従三位の奉公衆でもある斎藤妙椿は尾張の斯波義廉の重臣である甲斐敏光と越前の朝倉孝景を正式に停戦させ、六角高頼を支援して京極政経と守護代多賀高忠軍を撃破し、近江の戦火を鎮火させたので、東海道筋も三河以外は、大体は静まった。


 もっとも畠山政長と畠山義就は河内と紀伊の境界で相変わらず争っているし、能登守護の畠山義統は越後守護上杉房定とともに越中の守護代である神保長誠などと争っていて、加賀では富樫政親と弟・幸千代が家督を巡ってまだまだ争っている他にも、信濃では小笠原、三河では吉良が内輪もめを継続中だが。


「屋敷も出来たし、そろそろ俺も奥方を呼ぶか」


 俺がそう言うと大道寺重時が頷いた。


「まあいいんじゃないか」


 昨年までは正月の宮廷行事のための銭集めに忙しかったが、今年はそういったこともないので奥方やなんか知らないがその自称親戚や部下などもぞろぞろと焼津へ到着した。


 まあともかくと、俺たちは駿河の掛川の山あいにある倉真温泉でのんびり湯治をしている。


 倉真温泉は粟ヶ岳西にある山峡の岩の割れ目から湧き出ている天然温泉で、お湯につかっていると朝廷やら守護やらの妖怪の百鬼夜行に揉まれていたことも一時的に忘れられそうだ。


 まあ嫁さんの家の仲は政敵同士でもあることから良くないので、一緒にさせるわけには行かないのが悩みの種ではあるが。


「この温泉は肌が美しくなる美人の湯としても人気らしいよ」


 今一緒に温泉に入っているのは近衛家の娘さん。


「それは嬉しいですな」


 夜の方も頑張ってみたんで子供が出来るといいんだがな。


 関東の方では足利成氏が千葉孝胤、結城氏広、那須資実らの助力を得て古河城を取り戻したことで振り出しに戻った。


それにより享徳の乱はまだまだ続くのだが、扇谷上杉が小鹿範満やその支持をしている国人を取り込んで足利成氏を討伐しようとしていることに対して幕府は小鹿範満が上杉とともに幕府に刃向かうのではないかと警戒しているらしい。


 なんかまた面倒なことになりそうな気がするな。

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