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年が変わって元服したし遊郭を管理・保護する遊君別当の設立を提案してみたよ

 建仁寺などが相国寺の戦いなどに巻き込まれて燃えてしまい、俺が屋敷にこもっての伊勢流礼法の習得に明け暮れているうちに年が明け応仁2年(1468年)になったことで俺は13歳となった。


「お前もそろそろ良い年齢であるしこの正月に元服を行なうこととするぞ」


 ちなみに細川勝元なども13歳で元服しているので特別早くはない。


「ありがとうございます」


 元服は、男の成人儀式で数え年で10歳から20歳位の男子が、氏神の社前で大人の服に改め、総角(みずら)と呼ばれる子供の髪型から大人の髪を結い、冠親により冠や烏帽子をつける儀式だ。


 また室町時代の将軍や官僚などは官位を得るため公家と同じく白粉に引眉を行ってお歯黒も付け、それまでの幼名を廃して諱を新たに付け、場合によってはその際に官位も得る。


 その際に烏帽子親から諱を一字もらう偏諱を受けることが多くなった。


 元服の儀においては、まず最大の後見役となる烏帽子を被せる役を「加冠役」または「烏帽子親」と呼ぶが、童髪から成人用の髪に結い直す役を「理髪」、髪上げ道具及び切り落とした髪を収納するための箱を取り扱う役を「打乱(うちみだり)」、櫛で髪を整えるために用いる湯水を入れる器である泔坏を扱う役を「泔坏(ゆするつき)」と称し彼等もその後の後見役として重要な人物となる


 要するに元服して出仕するにしてもバックに誰がついているかというのは重要なのだ。


 俺の烏帽子親は養父となる伊勢駿河守貞道、理髪は今川治部義忠、打乱は細川右京太夫勝元、泔坏は伊勢伊勢守貞親とかなりの豪華メンバーになった。


「本日より伊勢駿河介新九郎盛時と名乗るが良い」


  駿河介は駿河守の下の現代で言えば都道府県の副知事のような役職で定員は一人、相当官位は従六位上だからまあ妥当なところなのだろうが、やっぱ伊勢家って名家だよな。


 普通は六位相当でも官位なしの冠者だぜ。


「はは、ありがとうございます養父上」


 そして父である伊勢盛定が言う。


「まずは伊勢本宗家と今川氏との申次の見習いから始めてもらうぞ。

 いずれは申次衆か奉公衆を務めてもらうが」


「かしこまりました。

 何卒よろしくご指導の程お願いいたします」


 いや本当にこれからが大変なのだ。


 最終的には将軍への文章を取り次ぐ役目になるとは言えいきなりそれをやらされるよりはまだ今川と伊勢宗家との申次の見習いからのほうがだいぶましだしな。


「皆様、私から一つ提案がございます」


伊勢伊勢守貞親が頷いていった。


「うむ、何だ、言ってみよ」


「鎌倉の時代には“遊君別当”という官職が置かれ、京の遊女より銭を徴収していたと聞きます。

 今現在は全国より兵として京へ男が集っており陣中での遊女は必要不可欠な現状であれば同じように傾城屋を取り締まりつつも保護し、遊女より銭を徴収すれば伊勢家、ひいては幕府の財政もうるおうのではないかと、愚行する次第でありますがいかがでございましょう?

 また焼かれた神社の修繕も早めにおこなうのが良いかと」


 ぶっちゃけ御霊神社を焼いたままとか怖すぎだしな。


 とはいえ周囲の大人たちは顔を見合わせている。


 その中で細川勝元が俺に聞いてきた。


「なかなか面白いことを考えるな。

 なぜそのようなことを考えついたのだ?」


「はい、備中荏原荘にいたときには情報を集めるため曹洞宗の僧侶や諏訪大社の流れ巫女に寄進をしておりましたが、諏訪の流れ巫女は春を売ることもあると聞きました。

 ならば巫女や遊女を陣中に派遣して酒宴で酌を行わせ、春を売らせれば女たちも銭を手に入れられますし、兵どもも京女に対して乱暴狼藉を働かなくなるやもしれませぬ」


「そして現場のものから情報も集めるということか?

 なかなか恐ろしいことを思いつくものよな」


 細川勝元が笑顔だがその目は笑わない表情でそういった。


「あ、いえそこまで深く考えていたわけではございませぬが」


 俺がそう言うと細川勝元は少し何かを考えていたが小さく頷いた。


「よかろう、御所様へ掛け合い、”遊君別当”にそちらがつけるよう話してみよう。

 無論、運上金は室町殿へある程度収めるようにする必要があるぞ」


「はい、無論承知しております」


 史実においては大永8年(1528年)に足利義晴が「傾城局」を創設して年10貫文もしくは15貫文の銭を徴収する代わり、遊女を保護して客あいての訴訟などにも対応したらしい。


「まあ、傾城屋も合戦に巻き込まれて見世を燃やされないで済むならばと傘下に入りたがるかもしれぬし面白い考えではあるな。

 いずれは駿河でもやってみるか」


 と今川治部義忠も何やら納得している。


 実際、応仁の乱が始まると幕府には金が全然といっていいほど入らなくなったこともあって実質的な権限は明朝の貿易を行っている細川が握るわけだが、今のうちは細川家や今川家との伝も重要だ。


 ちなみに足利義政の御台所、要するに正室である日野富子は名目上は細川勝元を総大将とする東軍側についているはずで、東軍の守護達に多額の金銭や米を貸し付けては、それをちゃんと回収しているはずなんだよな。


 そのうち足利義視が西軍に出奔して主戦場が洛外に移動すると、妹の日野良子を通して西軍にも貸し付けるようになっていくらしいけど。


 金の亡者の富子として有名になるはずなんだが目をつけらたりしてもめんどくさそうだからできれば関わり合いたくはないな。

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