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楠氏の先祖朝敵御免を得ることができた

 さて、めでたい報告が中央より一つ届いた。


「ふむ、朝廷より楠氏の先祖朝敵御免を得ることができたか」


「は、寺社朝廷はここのところ長く続いています、疫病の流行は祟りによるものとみなしたようで」


「ああ、実際は武士が好き勝手やってるのが原因だとは思ってるであろうがな。

 それはともかく、それはこの上ない朗報だ」


 伊勢は大きく分けて南伊勢の北畠氏、安濃郡の長野氏、鈴鹿の関氏、北伊勢の北勢四十八家ほくせいしじゅうはちけが分立している。


 そして俺はまず近江や美濃にほど近い六角と関係の深い国人衆を討伐した。


 これでもともと守護の影響力の強かった三重郡の千草氏・赤堀氏・後藤氏・楠氏などにくわえて、員弁郡(いなべぐん)の梅戸氏・大木氏・田能村氏の分家を使って統治下に置くことができた。


 で、つぎに制圧するべき場所はといえば尾張と接する桑名郡だな。


 茂福城の茂福氏と木俣氏が統治しており、茂福氏は越前朝倉と同族の市場城朝倉氏、茂福城茂福氏、中野城中野氏などと結んで勢力を保持している。


 一方の木俣氏は、楠木正成の孫である楠木正勝の子孫が移住してきて、木俣氏を名乗ったのが興りで川俣と同族だ。


 俺は川俣正充を呼んだ。


「お呼びでございますか?」


「うむ、まずめでたきことに楠氏の先祖朝敵御免を得ることができた」


「そ、それは本当でございますか!」


「うむ、本当だ

 今上様の勅免が出た故に今後は楠木氏を堂々と名乗れる」


 川俣正充は歓喜し涙をこぼしつつ言った。


「こ、これで川俣ではなく楠木として堂々と我々も表を歩けるのでございますな。

 このご恩はいかようにしてもお返しさせていただきまする」


「うむ、そこで頼みがある」


「は、何でございましょうか?」


「桑名の木俣など伊勢の各地にいる楠木に呼び掛けて、俺のもとにはせ参じるよう伝えてほしいのだ。

 むろん所領安堵は当然行う」


「かしこまりました

 むしろ願ってもないことでございます」


「うむ、頼むぞ」


 ちなみに木俣氏は守時の代に三河に移住して徳川家康に仕え、彦根藩井伊家の家老を務めることになる。


 応仁の乱以前の伊勢のうち三重郡・朝明郡・員弁郡・桑名郡に幕府と関係の深い国人たちが結合して存在し、勢力の分布は一応安定していたはずなのでまずはそこまでは戻したいものだ。


 伊勢の守護はもともと特定の一族が世襲していたわけではないのだが、応仁の乱後は短期間にころころ変わってしまった上に北畠氏が細川方の東軍、一色、伊勢仁木などの守護にくわえて近江の六角や美濃の土岐、大和の畠山義就などは西軍であったこともあって、公方直属の被官であると思われている俺にしたがう者は少なかったわけだが政略と軍事で成功をおさめたことで国人たちも態度も変わってくるだろう。


 というかなってほしいものだ……。


 明応の政変がまだ起きていないことで公方の権威が完全に失墜したわけではないものの、応仁の乱において西軍が優勢だった地域においては幕府の意向というものがあまり通じなくなっているのも事実だから困ったものではあるが。

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