そろそろ適当な功績を上げなければな
さて、無事に川俣の調略は済んだ。
むろん交換条件を飲む必要があるから、俺は妻達の実家である、摂関家や日野富子を中心とした日野家の支流、分家の面々などを通して、朝廷に楠木正成など楠木家の先祖朝敵御免を得るための働きかけを開始する。
日野家は日野勝光の子の政資が継いでいるのだが、公方足利義尚はいつまでも口うるさい富子を疎んじ、日野富子は権力を失っており、日野家の家運も傾きつつあった。
しかしながら日野家はもともと南朝との結びつきが強い家でもあり、そちらの根回しは割とスムーズに進んでい入るようだが、以前ほどには発言力がないのが、ネックでもある
俺は、北伊勢において国人に横領されている、公家の荘園を川俣に奪回させる代わりに、楠木家の先祖朝敵御免を行うようにも働きかけてみた。
「俺の妻の実家や御台(日野富子)へ働きかけて、楠木家の先祖朝敵御免についての根回しは進めている。
これで少しは動きやすくはなると思うのだが、やはり実際に働きを見せなくてはならぬ」
川俣正充は俺の言葉にうなずいた。
「では、私に対して出陣を命じて下され。
存分に槍働きをご覧に入れましょう」
「うむ、では俺たちとともにに、北伊勢の員弁郡地域において六角と手を結んでいた梅戸氏・大木氏・田能村氏などを討つこととしようぞ」
「承知いたしました」
幕府に反抗した六角と手を結んでいたということは、討伐を行のには十分な大義名分だ。
川俣正充が近郊の国人である千草氏・赤堀氏・後藤氏などに呼びかけを行い、集まった兵数はおおよそ1000。
少ないと思われそうではあるが、扇谷上杉と山内上杉の争いである、長享の乱序盤での兵数は1000程度であったし、一つの郡の国人を合わせてようやく集められる数などこのくらいだ。
それらの兵をひき連れて員弁郡地域へ攻め込むのだが、川俣正充の一団の強さは頭一つぬけている。
先祖伝来の戦術眼に加えて、刀工村正の弟子の家系でもあるため、彼らの一族郎党の持つ刀の切れ味が全く違うのだ。
「なるほど、強いわけだ」
無論これは小集団ならではの強さではあるが、現状では十分だ。
織田信長の配下の滝川一益の軍勢が北伊勢に侵攻してきたときに信長自身が1万の大軍を引き連れて桑名に陣を張り、楠正具の篭る八田城を攻めたが、正具は約500の少数の兵で信長軍の攻撃を何度も撃退し、信長に憎まれたと言われているだけのことはあるな。
とは、いえやはり城攻めは少数の兵だけではなかなか厳しいのだが、まずは大木城を攻め落とすことに成功した。
「これで攻略のための足掛かりができたな。
兵を休めたらば、次は梅戸城に向かうぞ」
川俣正充は俺はそう指示を出す。
「は、承知いたしました」
しかしまあ、万単位の兵力を動かせた織田信長でさえ結構苦労した伊勢を、その十分の一でなんとかするとか……無茶ぶりにもほどがあるだろう。




