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伊勢は本当に面倒臭い土地だな

 さて、伊勢の攻略調略は正直に言えば全然進んでいない。


 今までも伊豆・相模・甲斐・三河・尾張などでやってきたように、最大勢力に対して反抗的な勢力を調略して味方につけて、敵勢力を相争わせて主家筋を倒させて乗っ取るという方法を進めていくしか無いだろうと思っていたのだが、伊勢ではそれすらあまり通用しないのだ。


 その理由が伊勢ではことさら、守護の権力が弱いことにある。


 そうなった理由はもともと伊勢は南朝勢力である北畠の影響力や伊勢神宮などの神社勢力の影響力が強いうえに、桑名は商人による自治都市である上に、伊勢守護はころころ変わりすぎなのだ。


 畠山・仁木・細川・土岐・山名・一色などの家での間で10年程度くらいの間隔で、守護がころころ変わっていたら、そりゃまともに従う国人はいない。


 ただでさえ守護は、足利幕府によってその地位が保証された存在でしかないのだからな。


 そして北畠氏は南北朝期に南朝方の主力となって北朝方と戦った伊勢国の国司であったが国司は朝廷直轄の存在だが、守護は朝廷に任命された幕府の管轄だから名目上は国司のほうが立場が上だ。


 むろんほとんどの国司は軍事力を持っていないので、守護に好き放題されていたわけだが北畠はバリバリの武闘派だ。


 実際に応永22年(1415年)に、伊勢国司北畠満雅は室町幕府に反乱を起こし、阿射賀城に籠城した。


 幕府は土岐持益を総大将として、世保康政、仁木満長、木造俊康ら派遣し、北畠満雅討伐を開始した。


 しかし、攻め落とすことができず、後亀山法皇の仲介のもとに和睦したことで、伊勢における幕府の権威は低下したというのもある。


 そのため、この乱以降、北畠氏は幕府により当主が任命され、その当主は守護と同じく在京が命じられることになり、領域も幕府によって確定されることになった。


 北畠氏がより幕府の支配体制のもとに強く組み込まれたとも言えるが、それは伊勢守護の権威の低下も当然意味していた。


 ぶっちゃけていえば伊勢の守護というのは、権限も権威も少ないのでうまみがないのだよな……。


 織田信長も北畠家を内側から乗っ取る形で、ようやく伊勢の統治をおこなうことができるようになったぐらいだしな。


 織田信長は尾張と美濃をすでに手中にしていて、北伊勢の平定はあっという間だったし、北畠との力の差も歴然であったので、恭順しようという声も結構あったのだがな。


 俺も尾張への影響力は持っているが、それはあくまでも間接的なものなので、尾張の兵力を自由に動かすことができるわけでないしな。


 そんなことを考えていたら望月六郎から報告が入った。


「川俣正充がこちらの軍門に下るとのことでございます」


「うむ、よくやってくれた」


 そして川俣正充と対面することになった。


「伊勢楠城主、川俣正充にございます」


「うむ、よくぞ来られた」


「北条殿にどうかお願いしたいことがございます」


「うむ、申してみよ」


「わが家は楠木正成の家系にございますが、初代の川俣正重は千子村正に弟子入りし刀鍛冶として働いており、初代正重以降は戦に関わったこともございませぬ。

 わが父である三代目正重もあくまでも城代として城主代行をしておりましたが、本職は刀鍛冶でありますし、わが兄も刀鍛冶をしております」


「ふむ、村正の千子派か」


「はい。

 しかしながら、わが家も含めて朝敵とされておりますゆえに、真に動きがとりづらいのが実情でございます」


「ふむ」


「ゆえにどうか、先祖朝敵御免を得るためにご助力をお願い申しまする」


 俺はその言葉に少し考える。


 実際現状では後南朝は実質上消滅している。


 その理由は応仁の乱において小倉宮の末裔と称する岡崎前門主という人物の息子が、山名宗全ら西軍大名により洛中の西陣に迎えられていが、最終的に西軍から放擲されてしまい、この西陣南帝を最後に、後南朝は消滅したのだ。


 ただ、だからといって、すぐに先祖朝敵御免が出るかというとまだ難しいのも事実だろう。


「ふむ、楠木一族の逆賊の汚名を晴らせるように、働きかけてはみるが、現状では難しいかもしれぬ。

 ただ、働きかけは、まちがいなくしてみよう」


「ありがとうございます」


 楠木正成や新田義貞が朝敵とされて、北畠親房や北畠顕家、北畠顕信らが朝敵とされない理由がよくわからないのだが、おそらく楠木や新田は武士だが、北畠家は、村上源氏の流れを汲む名門公家であり、その軍事力もあって、下手に朝敵の烙印を押せなかったのだろう。


 なんか不公平だよなと感じるのは俺だけだろうか?

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