日本における現状の大雑把な勢力を再確認するか
さて、現状は尾張における織田伊勢守家とそれに付随して、実質的に美濃の権力を持っている斎藤などをこちらにつける調略を風魔小太郎にしてもらっているところだ。
なお室町中期までの三河国と知多郡の守護が、一色家でありそれはそのまま細川に引き継がれてそのまま放置されていたりするのでややこしいが、取り敢えず知多半島までは俺が既に制圧している。
そして織田伊勢守家は西軍の斯波義廉を担いでいたから美濃の土岐や斎藤、南近江の六角、北伊勢や三河や知多郡の守護であった一色や豪族の長野、大和の越智などとも仲がよく、斎藤は越前の朝倉とも仲が良いので比較的、応仁の乱の西軍勢力が強い地域でもある。
将軍である足利義尚は文明12年(1480年)に大内政弘を相伴衆としているが、これはいつまで経っても権力を手放さない父や強大な権力を持ち続ける細川政元に対して対抗策の1つでもあるのだろう。
で足利義尚・大内政弘を中心にもと西軍や西軍よりの守護の多くはこちらに属しているということだが、今川は斯波と対立していたこともあって、現状では足利義尚・大内陣営へついている。
そして、元公方の足利義政陣営は大雑把に言えば細川と関東管領上杉が二大陣営で、後は畠山政長とか斯波とか京極に若狭や甲斐の武田などだが、甲斐の武田は俺が滅ぼしたし、その他の守護も応仁の乱以前の勢いはなく領国統治に苦心している。
山内上杉も長尾景春の乱と扇谷上杉との争いに悩まされて大きく国力を落としている。
もっとも中国地方では大内はともかく、山名と赤松はどちらも大きく疲弊して国人の台頭を招いているし九州の少弐や菊池、島津などもお家騒動などでごたついていたりするから細川・大内・関東管領上杉と俺が特別に近いとも言えるが。
もともと俺は前将軍や細川政元の命令で堀越公方を討伐しに行ったはずなのだが、いつの間にか彼らとは敵対的な関係になっているというのも意味がわからないがそうなってしまったのだからしょうがない。
しかし現公方様が死んでしまうと足利清晃が還俗して将軍になってしまって、幕府の命令とは言え彼の父親を殺した俺が討伐命令を受けるかもしれない。
できればそういう事態は避けたいとも思うが、中央の政争に関われる状態でもないし難しいか。
せめて細川・大内との全面対決は何とか避けたいところではある 。




