尾張の攻略や統治には織田伊勢守家を使う必要があるだろうな。
さて、尾張攻略のために鎌倉の玉縄城には大道寺重時に変わって弟の伊勢丹波守盛興に委ね、戦で手柄を立てたがっている三河の松平親忠やその家臣などを与力として就けて送り、大道寺重時には俺のもとに来てもらうことにした。
「玉縄城は相模支配の要だ。
しっかり頼むぞ」
俺は弟に声をかけた。
「はい、私にお任せください」
弟の戦の手腕は未知数だが、内政に関しては問題ないし、松平親忠などがいれば大丈夫だろうからそういう点では安心だ。
甲斐の風魔小太郎も弟の小次郎に甲斐の統治を委せて俺のもとへ来てもらうことにしたので、文明15年(1483年)以来バラバラだったメンバーが久しぶりに揃った。
「二人とも久方ぶりだな」
俺がそう言うと大道寺重時は苦笑していった。
「俺はそんなに久しぶりでもないだろうさ」
しかし風魔小太郎は素直にうなずいていった。
「たしかに久方ぶりでございます。
甲斐の国もようやく落ち着きましたのでこちらへ来られました」
「ああ、三河もそれなりに落ち着いてきたし、尾張を攻めようと思うので、二人には力を貸してほしい」
俺がそう言うと大道寺重時は苦笑していった。
「おいおい、今の状態でも人手が足りないだろうに性急すぎじゃないか?」
「たしかにそうではあるが、斯波の主力が朝倉の相続のゴタゴタにつけ込んで討伐軍を出している今が絶好の機会だよ。
内部分裂していた小笠原氏の1つの鈴岡小笠原から人は得られそうでもあるしな」
そこへ冷静に言うのは風魔小太郎。
「なれど、土地を奪っても支配できぬのでは本末転倒では?」
「ああ、そのためにも武衛騒動で落ちぶれている、織田伊勢守家の織田伊勢守敏広を味方につけたい」
俺がそう言うと大道寺重時はうなずいた。
「ああ、なるほど、伊豆統一や小田原のときなんかとやり方は一緒なわけか」
「そういうことだ。
尾張では斯波義廉が守護としての立ち場にあったからな。
織田伊勢守敏広は斯波氏の被官で、尾張の守護代を世襲して織田氏の総領家の立場にあったが、応仁の乱が起こると、斯波義敏を擁立して東軍に属した分家の織田大和守家当主の織田敏定と対立し、美濃国の斎藤妙椿の協力を得て織田敏定と戦い、敗れはしたもののその後は巻き返して大和守家の勢力を尾張から一時的に追放している。
しかし、室町幕府が、新たな尾張守護代に織田敏定を任じて、尾張に送り込んだことで守護代の地位を失っているから恨んでいるはずだ」
俺がそう言うと大道寺重時はうなずいた。
「まあ、そりゃ恨むだろうな」
「ついでに言えば西軍だった美濃の斎藤とも仲がいいが、斯波義寛は東軍だからな」
それに対しては風魔小太郎が言う。
「そうなると斯波義寛にとっても信用し難いところがあるということですな」
「そういうことだ。
まあ美濃もお家騒動の最中だけど」
「そのゴタゴタにつけ込むとはさすが殿ですな」
「なんか褒められている気がしないがそういうことだ。
なんで、織田伊勢守敏広や斎藤妙純なんかを味方につけたい。
斎藤は朝倉とも仲がいいからな」
俺がそう言うと風魔小太郎はうなずいた。
「わかりました、ではそのように手を動かすといたしましょう」
「ああ、頼むぞ」
朝倉・斎藤・織田伊勢守のラインを味方につければ尾張もなんとかなるだろう。




