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山内上杉と和睦した扇谷上杉の軍を玉縄城で迎撃して撤退時の追い打ちで大きな損害を与えたよ

 さて、俺は昨年に鎌倉を手に入れて、相模三浦氏を滅ぼして相模を統一したものの、現状では書類との戦いで手がいっぱいだ。


「やれやれ。

 上杉には長尾や大田と言った家宰などもいるからどうということはないのかもしれないが、俺達は領地を広げるたびに書類が積み上がって人手不足を痛感するよな」


 俺の言葉に大道寺重時がうなずいた。


「まったくだ。

 とは言えこれは今川もたいして変わらんが」


「ああ、それも大問題だよな」


 上杉に対しての備えは必要なので玉縄城の縄張りを再度行って修復拡張工事は行わせているがそちらよりも書類との戦いの方が正直つらい。


 戦で手柄を立てたがるものは腐るほどいるが、書類仕事で功績を立てようとするものなどほとんどいないから誰かに放り投げるというわけにも行かない。


 そしてこれは今川の方でもたいして変わらない。


 俺が今川で重宝された理由の1つは室町幕府の官僚の家である伊勢で色々仕込まれていたからでもある。


 それを考えると豊臣秀吉という人物は実に奇妙な存在であると言えるが、石田三成のような存在に目をかけたのは実に正しいと思う。


 俺にも右筆はいるが奉行衆は多くない。


 今川義忠が戦死した時に、龍王丸が若すぎたことで従兄弟の小鹿範満を擁立して家督争いが起こり、しかも、今川義忠の死の原因になった横地氏・勝間田氏の斯波氏への寝返りについては実際には幕府が任命した正規の遠江守護である斯波義良への帰参であったこともあって、龍王丸の立場は弱く、今川分家の支援はあったものの有力国人の殆どは小鹿範満に一時ついて、一時期は小鹿範満が当主であったから側仕えの者もわずかしかいなかったのが響いている。


 まあそのおかげで国人達の干渉が最小限に抑えられているのは不幸中の幸いと言えるが、そのせいもあって史実の北条早雲は西に東に北にと走り回ることになったわけだ。


 実際に斯波が越前の朝倉討伐に手こずっているうちに、三河・尾張にも早く兵を出すべきではあるのだが、その前に上杉の侵攻を撃退して一時的にでも和睦を結ばなければ西へ赴くどころではないのが実情だ。


「どうせなら上杉が攻めて来てくれたほうが色々と捗るんだがな」


 俺の言葉に大道寺重時がうなずいた。


「それもどうかと思うが事実だな」


 玉縄城の外堀は柏尾川と繋がっていて、船で相模湾まで出ることも可能なので、水軍さえ動かせれば補給が容易なのは実に心強い。


 そしてとうとう扇谷上杉朝良は武蔵は横浜の小机城を経由して兵を南下させ、玉縄城を攻撃してきたが、こちらは万全の供えをしていたこともあったし、新しく扇谷上杉の当主になった上杉朝良は扇谷上杉定正ほどの戦上手でもなく、あちらの力攻めでは城はびくともせず、損害が増えて兵糧切れも起きたことで撤退しようとしたところを追い打ちをかけて散々に打ち破った。


 これでしばらくは時間が稼げるだろうか。


「扇谷上杉朝良が山内上杉に臣従したことで、山内上杉に領地を奪われて面白くないはずの権現山城の上田政盛を扇谷家から離反させて上杉からの防波堤にするか」


 俺の言葉に大道寺重時は首を傾げた。


「ちゃんと支援しないとあっという間に潰されないか?」


「確かにそうなる可能性はありそうではあるな」


 権現山城自体は結構な堅城のはずだが、実際にあっさり落ちたりもしているからな。


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